慈しみ深い神 2023年6月14日(水曜 聖書と祈りの会)
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慈しみ深い神
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 24章11節~25節
聖書の言葉
24:11 ダビデが朝起きると、神の言葉がダビデの預言者であり先見者であるガドに臨んでいた。
24:12 「行ってダビデに告げよ。主はこう言われる。『わたしはあなたに三つの事を示す。その一つを選ぶがよい。わたしはそれを実行する』と。」
24:13 ガドはダビデのもとに来て告げた。「七年間の飢饉があなたの国を襲うことか、あなたが三か月間敵に追われて逃げることか、三日間あなたの国に疫病が起こることか。よく考えて、わたしを遣わされた方にどうお答えすべきか、決めてください。」
24:14 ダビデはガドに言った。「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない。」
24:15 主は、その朝から定められた日数の間、イスラエルに疫病をもたらされた。ダンからベエル・シェバまでの民のうち七万人が死んだ。
24:16 御使いはその手をエルサレムに伸ばして、これを滅ぼそうとしたが、主はこの災いを思い返され、民を滅ぼそうとする御使いに言われた。「もう十分だ。その手を下ろせ。」主の御使いはエブス人アラウナの麦打ち場の傍らにいた。
24:17 ダビデは、御使いが民を打つのを見て、主に言った。「御覧ください、罪を犯したのはわたしです。わたしが悪かったのです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように。」
24:18 その日ガドが来て、ダビデに告げた。「エブス人アラウナの麦打ち場に上り、そこに主のための祭壇を築きなさい。」
24:19 ダビデは主が命じられたガドの言葉に従い上って行った。
24:20 アラウナが見ると、王と家臣が彼の方に来るのが見えた。アラウナは出て行き、王の前で地にひれ伏して、
24:21 言った。「どのような理由で主君、王が僕のところにおいでになったのですか。」ダビデは言った。「お前の麦打ち場を譲ってもらいたい。主のために祭壇を築き、民から疫病を除きたい。」
24:22 アラウナは、「お受け取りください。主君、王の目に良いと映るままにいけにえをおささげください。御覧ください。焼き尽くしてささげる牛もおりますし、薪にする打穀機も、牛の軛もございます」と言って、
24:23 何もかも王に提供し、「あなたの神、主が王を喜ばれますように」と言った。
24:24 王はアラウナに言った。「いや、わたしは代価を支払って、あなたから買い取らなければならない。無償で得た焼き尽くす献げ物をわたしの神、主にささげることはできない。」ダビデは麦打ち場と牛を銀五十シェケルで買い取り、
24:25 そこに主のための祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。主はこの国のために祈りにこたえられ、イスラエルに下った疫病はやんだ。
サムエル記下 24章11節~25節
メッセージ
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2020年の9月から『サムエル記』を少しずつ読み進めてきました。今朝はその最後となります。
前回は、第24章1節から10節前半までを学びましたので、今朝は10節後半から25節より、「慈しみ深い神」という題でお話しします。
目に見えない神にではなく、目に見える兵士の数に依り頼んだダビデは、主にこう言います。「わたしは重い罪を犯しました。主よ、どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました」。このダビデの言葉に対して、主は預言者ガドを通して答えられます。翌朝、預言者ガドに次のような御言葉が臨みました。「行ってダビデに告げよ。主はこう言われる。『わたしはあなたに三つの事を示す。その一つを選ぶがよい。わたしはそれを実行する』と」。そして、ガドはダビデのもとに来てこう告げます。「七年間の飢饉があなたの国を襲うことか、あなたが三か月間敵に追われて逃げることか、三日間あなたの国に疫病が起こることか。よく考えて、わたしを遣わされた方にどうお答えすべきか、決めてください」。「七年間の飢饉」は、『歴代誌上』の並行箇所ですと「三年間の飢饉」となっています(歴代上21:12)。そうすると、災いの期間はそれぞれ、三年、三か月、三日となります。期間が長いものほど災いは軽く、期間が短いものほど災いが重くなっています。ダビデはガドにこう言います。「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない」。このダビデの言葉によれば、敵に追われて逃げることは除外され、飢饉か疫病になります。そして、飢饉よりも疫病の方が、より主の御手にかかる災いと判断したのでしょう。ダビデは、疫病を選んだようです。主はその朝から定められた日数の間、イスラエルに疫病をもたらされました。この疫病によって、ダンからベエル・シェバまでの民のうち七万人が死んだのです。「ダンからベエル・シェバまで」とは、ダビデが人口調査をしたイスラエル全土のことです。そして、「民」はダビデが依り頼んだ剣を取りうる兵士たちのことです。主はイスラエル全土に住む兵士たち七万人を討つことによって、ダビデの不信仰を戒められたのです。御使いはその手をエルサレムに伸ばして、滅ぼそうとしました。しかし、主はこの災いを思い返されて、「もう十分だ。その手を下ろせ」と命じられます。主はダビデが言っていたように、慈しみ深いお方であるのです(出エジプト34:6、7参照)。
ダビデは慈しみ深い主が、御使いに手を下ろすように言われたことを知らなかったようです。それで、ダビデは、御使いが民を打つのを見て、主にこう言うのです。「御覧ください、罪を犯したのはわたしです。わたしが悪かったのです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように」。ダビデの罪のゆえに、民が打たれたことは、王とその民が一体的な関係にあることを教えています。しかし、ダビデはそのことに耐えられずに、「羊の群れではなく、罪を犯したわたしを罰してください」と願うのです。このダビデの言葉は、良い羊飼いであるイエス・キリストのことを思い起こさせます(ヨハネ10章参照)。良い羊飼いであるイエス・キリストは罪を犯しませんでした。良い羊飼いであるイエス・キリストは、御自分の羊の罪のゆえに、自ら命を捨ててくださったのです。そのようにして、御自分の羊の群れに、永遠の命を与えてくださったのです。
その日、預言者ガドが来て、ダビデにこう告げます。「エブス人アラウナの麦打ち場に上り、そこに主のために祭壇を築きなさい」。エブス人アラウナの麦打ち場は、主の御使いが手を下ろした場所でした。その場所に祭壇を築くように主はお命じになるのです。ダビデは、主が命じられたとおり、アラウナの麦打ち場に上りました。アラウナは王と家臣が来るのを見て、出て行ってひれ伏し、こう尋ねます。「どのような理由で主君、王が僕のところにおいでになったのですか」。ダビデはこう言いました。「お前の麦打ち場を譲ってもらいたい。主のために祭壇を築き、民から疫病を除きたい」。これを聞いてアラウナは、無償で土地をゆずり、さらには焼き尽くす献げ物とする牛と薪を提供しようとします。しかし、王はアラウナにこう言いました。「いや、わたしは代価を払って、お前から買い取らなければならない。無償で得た焼き尽くす献げ物をわたしの神、主にささげることはできない」。ここでダビデは大切なことを教えています。主への献げ物には、痛みが伴わなければならないということです。なぜなら、主が見られるのは、その人の心であるからです。神様は雄牛の肉を食べるのでも、その血を飲まれるのでもありません。神様が御覧になるのは雄牛を献げる人の心であるのです。ダビデは、麦打ち場と牛を銀五十シェケルで買い取りました。『歴代誌上』の並行箇所には、「金六百シェケル」で買い取ったと記されています(歴代上21:25)。ダビデは、そこに主のための祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげました。こうして、主は祈りに答えられ、イスラエルに下った疫病はやんだのでした。
『歴代誌上』の並行箇所によれば、ダビデが買い取り、主の祭壇を築いたアラウナの麦打ち場こそ、後にエルサレム神殿が建てられた場所でした。そのことを今朝は確認して終わりたいと思います。『歴代誌上』の第22章1節をお読みします。旧約の658ページです。
そこでダビデは言った。「神なる主の神殿はここにこそあるべきだ。イスラエルのために焼き尽くす献げ物をささげる祭壇は、ここにこそあるべきだ」。
また、『歴代誌下』の第3章1節には、次のように記されています。旧約の673ページです。
ソロモンはエルサレムのモリヤ山で、主の神殿の建築を始めた。そこは、主が父ダビデに御自身を現され、ダビデがあらかじめ準備しておいた所で、かつてエブス人オルナンの麦打ち場があった。
エブス人オルナンは、「エブス人アラウナ」のことです。ダビデがエブス人アラウナから購入した土地に、神殿は建てられることになるのです。このことは、神殿が建てられる土地を、ダビデが代金を払って自分のものにしたことを教えています。『創世記』の第23章に、アブラハムが妻サラを葬るために、ヘト人のエフロンに代金を払って土地を購入したことが記されています。アブラハムは正式な手続きによって、カナンの土地にあるマクペラの畑を自分のものにしました。それと同じように、ダビデは、正式な手続きによって、エブス人アラウナの麦打ち場を自分のものとしたのです。この話は、ダビデがイスラエル全土の兵士の数を知ろうとした罪から始まりました。しかし、その罪を償うためにダビデがエブス人アラウナの麦打ち場を買い取ることにより、神殿が建てられる場所が備えられたのです。エジプトに売られたヨセフは、「神は悪を善に変えてくださる」と語りました(創世50:20参照)。そのことは、今朝の御言葉においても言えるのです。ダビデが祭壇を築くために購入したエブス人アラウナの麦打ち場に、ソロモンが神殿を築くことになるのです。それゆえ、この物語は、『列王記』に続く、『サムエル記』の最後に置かれているのです。