ダビデの人口調査 2023年5月24日(水曜 聖書と祈りの会)
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ダビデの人口調査
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 24章1節~10節
聖書の言葉
24:1 主の怒りが再びイスラエルに対して燃え上がった。主は、「イスラエルとユダの人口を数えよ」とダビデを誘われた。
24:2 王は直属の軍の司令官ヨアブに命じた。「ダンからベエル・シェバに及ぶイスラエルの全部族の間を巡って民の数を調べよ。民の数を知りたい。」
24:3 ヨアブは王に言った。「あなたの神、主がこの民を百倍にも増やしてくださいますように。主君、王御自身がそれを直接目にされますように。主君、王はなぜ、このようなことを望まれるのですか。」
24:4 しかし、ヨアブと軍の長たちに対する王の命令は厳しかったので、ヨアブと軍の長たちはダビデの前を辞し、イスラエルの民を数えるために出発した。
24:5 彼らはヨルダン川を渡って、アロエルとガドの谷間の町から始め、更にヤゼルを目指し、
24:6 ギレアドに入って、ヘト人の地カデシュに至り、ダン・ヤアンからシドンに回った。
24:7 彼らはティルスの要塞に入り、ヒビ人、カナン人の町をことごとく巡ってユダのネゲブの、ベエル・シェバに至った。
24:8 彼らは九か月と二十日をかけて全国を巡った後、エルサレムに帰還した。
24:9 ヨアブは調べた民の数を王に報告した。剣を取りうる戦士はイスラエルに八十万、ユダに五十万であった。
24:10 民を数えたことはダビデの心に呵責となった。ダビデは主に言った。「わたしは重い罪を犯しました。主よ、どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました。」サムエル記下 24章1節~10節
メッセージ
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『サムエル記下』の第21章から第24章までは、ダビデについてのいろいろな伝承を付け加えた補遺であります。この補遺は、ある規則性をもって並べられています。物語、家臣のリスト、歌、歌、家臣のリスト、物語というように、ある規則性をもって並べられているのです。1節に、「主の怒りが再び燃え上がった」とありますが、この「再び」は第21章に記されていたサウルの罪のゆえに飢饉が起こった物語を受けてのものです。サウルの罪のゆえに怒りを燃やした主が、ダビデの罪のゆえに再び怒りを燃え上がらせるのです。1節の後半に、「主は、『イスラエルとユダの人口を数えよ』とダビデを誘われた」と記されています。イスラエルとユダの人口を数えることこそ、ダビデが犯すことになる罪なのですが、そのように誘われたのは主であるのです。主が「イスラエルとユダの人口を数えよ」と誘われて、そのとおりにしたダビデを罪に定めて、怒りを燃やされた。このことは、受け入れにくいことであります。『ヤコブの手紙』の第1章13節に、次のように記されています。「誘惑に遭うとき、だれも、『神に誘惑されている』と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです」。神様が人を誘惑されることは考えにくいと私たちは考えるのです。それで、『歴代誌』の並行個所を見ると、次のように記されています。「サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った」(歴代上21:1)。サタンが主の御許しを得て、イスラエルの人口を数えるように、ダビデを誘った。これは『ヨブ記』と同じ理解ですが、私たちもそのように理解したいと思います。
サタンから「イスラエルとユダの人口を数えよ」と誘われたダビデは、この誘いにのってしまいます。先程引用した『ヤコブの手紙』の御言葉の続きにこう記されています。「むしろ、人はそれぞれ、自分の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコブ1:14)。「イスラエルとユダの人口を数えよ」というサタンの誘惑は、ダビデの欲望を刺激したようです。そして、ダビデは、自分の欲望に従って、直属の軍の司令官ヨアブに、こう命じるのです。「ダンからベエル・シェバに及ぶイスラエルの全部族の間を巡って民の数を調べよ。民の数を知りたい」。ダンはイスラエルの最北端の町です。また、「ベエル・シェバ」はイスラエルの最南端の町です。ですから、「ダンからベエル・シェバまで」とは、イスラエル全土を意味します。また、ここでの「民」は「兵」を意味します。ダビデは軍の司令官であるヨアブにイスラエル全土に住む兵士の数を調べよと命じたのです。ヨアブは王にこう言いました。「あなたの神、主がこの民を百倍にも増やしてくださいますように。主君、王はなぜ、このようなことを望まれるのですか」。ここでヨアブは、イスラエル全土に住む兵士の数を調べることに反対しています。ヨアブの目にも、イスラエル全土に住む兵士の数を調べることは悪と映ったのです。そもそも、なぜ、ダビデ王はイスラエル全土に住む兵士の数を数えようとするのでしょうか。それは徴集できる兵士の数を正確に知りたかったからです。かつて、サムエルは、王を求めるイスラエルの民に警告の言葉を語ったことがありました。サムエルは、王にはどのような権限が与えられているのかを前もってイスラエルの民に語って聞かせたのです。そこでサムエルは次のように言っています。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである」(サムエル上8:11、12)。ダビデは、イスラエル全土の兵士たちの数を調べて、徴兵制度を設けて、イスラエルをより強い国にしようとしたのです。そして、このことは、これまでのイスラエルの戦い方を大きく変えるものでありました。これまでは、自発的に集まった義勇軍によって、主の戦いは行われていました。しかし、徴兵制度を設けることによって、イスラエルの民に戦うことが強制されるようになるのです。そのような徴兵制度を兵士たちが歓迎しないことをヨアブはよく知っていたのでしょう。ですから、ヨアブは反対したわけです。
『民数記』を見ますと、主はイスラエルの人々の共同体全体の人口を調査することをモーセに命じています。ですから、人口調査そのものが罪ではないのです。問題はその動機ですね。ヨアブが尋ねたのもダビデの動機でありました。「なぜ、王はこのようなことを望まれるのですか」。このヨアブの問いにダビデは答えていません。王として厳しい言葉で命じるだけです。それで、ヨアブと軍の長たちは、王に命じられたとおり、イスラエル全土に住む兵士たちの数を調べるために出発しました。彼らは九か月と二十日をかけて全国を巡った後、エルサレムに帰還しました。ヨアブの報告によると、剣を取りうる戦士はイスラエルに八十万、ユダに五十万でした。
民を数えたことはダビデの心に呵責となりました。ダビデは、イスラエル全土に住む兵士の数を調べたことが主の御前に重い罪であると認識したのです。かつてダビデは、ペリシテ人の代表戦士であるゴリアトと戦ったとき、こう言いました。「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される」(サムエル上17:47)。そして、石投げ紐で、石を飛ばして、巨人ゴリアトに勝利を収めたのでした。そのダビデが、イスラエル全土に住む兵士の数を数え、その兵士の数によって勝利を確かなものにしようとしたのです。ダビデは、目に見えない神様にではなく、目に見える兵士の数に依り頼んだのです。