ダビデの勇士たち 2023年5月10日(水曜 聖書と祈りの会)

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ダビデの勇士たち

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記下 23章8節~39節

聖句のアイコン聖書の言葉

23:8 以下はダビデの勇士たちの名である。ハクモニ人イシュバアル。三勇士の頭。槍を振るって一度に八百人を刺し殺した。
23:9 次にアホア人ドドの子エルアザル。三勇士の一人。ダビデに同行してペリシテ人に屈辱を与えたとき、ペリシテ人が集結して戦いを挑んで来た。イスラエルの兵は退いたが、
23:10 エルアザルはペリシテ人に向かって立ち、手が疲れ、手が剣にはり付いて離れなくなるまで彼らを討った。主はその日、大勝利をもたらされ、彼の後に戻って来た兵士には略奪することのみが残った。
23:11 次にハラリ人アゲの子シャンマ。ペリシテ人がレヒに集結したとき、そこにはレンズ豆が豊に実った畑があった。民はペリシテ人を前にして逃走したが、
23:12 シャンマは畑にとどまってこれを救い、ペリシテ人を討った。主は大勝利をもたらされた。
23:13 三十人の頭の中の三人が、刈り入れ時にアドラムの洞窟にいるダビデを訪ねて来たことがあった。ペリシテ人の一隊がレファイムの谷に陣を張っていた。
23:14 ダビデは要害におり、ペリシテ人の前哨部隊はベツレヘムにいた。
23:15 ダビデは、「ベツレヘムの城門の傍らにある、あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに」と切望した。
23:16 三人の勇士はペリシテの陣を突破し、ベツレヘムの城門の傍らにある井戸から水をくみ、ダビデのもとに持ち帰った。ダビデはこの水を飲むことを望まず、注いで主にささげ、
23:17 こう言った。「主よ、わたしはこのようなことを決してすべきではありません。これは命をかけて行った者たちの血そのものです。」ダビデはその水を飲もうとしなかった。以上が三勇士の武勲である。
23:18 ツェルヤの子、ヨアブの兄弟アビシャイ。三勇士の頭。槍を振るって三百人を刺し殺し、三勇士と共に名をあげた。
23:19 三勇士の中で最も重んじられ、彼らの長でもあったが、武勲は三勇士に及ばなかった。
23:20 ヨヤダの子ベナヤ。勇士の子。カブツェエルの出身。多くの功を立てた。モアブのアリエルの二人の息子を討ち取り、雪の日に、洞穴に獅子を追って下り、それを殺した。
23:21 また彼は、屈強のエジプト人をも殺した。エジプト人は槍を手にしていたが、ベナヤは棒を持って襲いかかり、エジプト人の手から槍を奪い、その槍でエジプト人を殺した。
23:22 以上がヨヤダの子ベナヤの武勲であり、三勇士と共に名をあげ、
23:23 三十人の中でも重んじられたが、武勲は三勇士に及ばなかった。ダビデは彼を護衛兵の長に任じた。
23:24 三十人に名を連ねた者は以下のとおりである。ヨアブの兄弟アサエル。ドドの子エルハナン、ベツレヘム出身。
23:25 ハロド人シャンマ。ハロド人エリカ。
23:26 パルティ人ヘレツ。イケシュの子イラ、テコア人。
23:27 アナトト人アビエゼル。フシャ人メブナイ。
23:28 アホア人ツァルモン。ネトファ人マフライ。
23:29 バアナの子ヘレブ、ネトファ人。リバイの子イタイ、ベニヤミンのギブア出身。
23:30 ピルアトン人ベナヤ。ヒダイ、ガアシュ川の出身。
23:31 アルバト人アビ・アルボン。バフリム人アズマベト。
23:32 シャアルボン人エルヤフバ。ベネヤシェン。ヨナタン。
23:33 ハラリ人シャンマ。シャラルの子アヒアム、アラル人。
23:34 アハスバイの子エリフェレト、マアカ人の子孫。アヒトフェルの子エリアム、ギロ人。
23:35 カルメル人ヘツライ。アラブ人パアライ。
23:36 ナタンの子イグアル、ツォバ出身。ガディ人バニ。
23:37 アンモン人ツェレク。ベエロト人ナフライ、ツェルヤの子ヨアブの武具を持つ者。
23:38 イエテル人イラ。イエテル人ガレブ。
23:39 ヘト人ウリヤ。総員三十七名。
サムエル記下 23章8節~39節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝の御言葉は、「ダビデの勇士たち」について記しています。ダビデの勇士たちは、三勇士と三十人の大きく二つに分けられます。並行箇所である『歴代誌上』の第11章10節によれば、「彼らはダビデの統治に協力し、イスラエルのすべての人々と共に、主がイスラエルに告げられたとおり、ダビデが王となるように尽力した」者たちです。ダビデが、イスラエルの王となることができたのは、彼らの尽力によるものでした。そのことを覚えつつ、今朝の御言葉を読み進めていきたいと思います。

 8節から12節までをお読みします。

 以下はダビデの勇士たちの名である。ハクモニ人イシュバアル。三勇士の頭。槍を振るって一度に八百人を刺し殺した。

 次にアホア人ドドの子エルアザル。三勇士の一人。ダビデに同行してペリシテ人に屈辱を与えたとき、ペリシテ人が集結して戦いを挑んで来た。イスラエルの兵は退いたが、エルアザルはペリシテ人に向かって立ち、手が疲れ、手が剣に張り付いて離れなくなるまで彼らを討った。主はその日、大勝利をもたらされ、彼の後に戻って来た兵士には略奪することのみが残った。

 次にハラリ人アゲの子シャンマ。ペリシテ人がレヒに集結したとき、そこにはレンズ豆が豊かに実った畑があった。民はペリシテ人を前にして逃走したが、シャンマは畑にとどまってこれを救い、ペリシテ人を討った。主は大勝利をもたらされた。

 三勇士の名前は、イシュバアル、エルアザル、シャンマです。この中で、イシュバアルが三勇士の頭でした。彼らはいずれも、ペリシテ人との戦いにおいて武勲(戦争での手柄)を立てた者たちでした。主は三勇士を用いて、イスラエルに大勝利をもたらされたのです。三勇士は、ペリシテ人との戦いにまつわる伝説的な勇士たちであったのです。その彼らの武勲が、13節から17節に記されています。

 三十人の頭の中の三人が、刈り入れ時にアドラムの洞窟にいるダビデを訪ねて来たことがあった。ペリシテ人の一隊がレファイムの谷に陣を張っていた。ダビデは要害におり、ペリシテ人の前哨部隊はベツレヘムにいた。ダビデは、「ベツレヘムの城門の傍らにある、あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに」と切望した。三人の勇士はペリシテの陣を突破し、ベツレヘムの城門の傍らにある井戸から水をくみ、ダビデのもとに持ち帰った。ダビデはこの水を飲むことを望まず、注いで主にささげ、こう言った。「主よ、わたしはこのようなことを決してすべきではありません。これは命をかけて行った者たちの血そのものです。」ダビデはその水を飲もうとしなかった。以上が三勇士の武勲である。

 13節に、「三十人の頭の中の三人が」とあります。また、16節に、「三人の勇士は」とあります。「三十人の頭の中の三人」と「三人の勇士」は別の人物と考えられますので、テキストに混乱が生じています。ここでは、イシュバアル、エルアザル、シャンマの三勇士の武勲として読みたいと思います。要害にいたダビデは、「ベツレヘムの城門の傍らにある、あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに」と切望しました。ベツレヘムには、ペリシテ人の前哨部隊がいました。しかし、三勇士は、ペリシテの陣を突破して、ベツレヘムの城門の傍らにある井戸から水をくみ、ダビデのもとに持ち帰ったのです。それほどまでに、三勇士はダビデに対して忠実であったのです。しかし、ダビデはその水を飲むことを望みませんでした。ダビデは水を注いで主にささげ、こう言うのです。「主よ、わたしはこのようなことを決してすべきではありません。これは命をかけて行った者たちの血そのものです」。このようにして、ダビデは、三勇士の命がけの忠誠が、自分ではなく、主にふさわしいことを示したのです。

 18節から39節までをお読みします。

 ツェルヤの子、ヨアブの兄弟アビシャイ。三勇士の頭。槍を振るって三百人を刺し殺し、三勇士と共に名をあげた。三勇士の中で最も重んじられ、彼らの長でもあったが、武勲は三勇士に及ばなかった。

 ヨヤダの子ベナヤ。勇士の子。カブツェエルの出身。多くの功を立てた。モアブのアリエルの二人の息子を討ち取り、雪の日に、洞穴に獅子を追って下り、それを殺した。また彼は、屈強のエジプト人をも殺した。エジプト人は槍を手にしていたが、ベナヤは棒を持って襲いかかり、エジプト人の手から槍を奪い、その槍でエジプト人を殺した。以上がヨヤダの子ベナヤの武勲であり、三勇士と共に名をあげ、三十人の中でも重んじられたが、武勲は三勇士に及ばなかった。ダビデは彼を護衛兵の長に任じた。

 三十人に名を連ねた者は以下のとおりである。

 ヨアブの兄弟アサエル。ドドの子エルハナン、ベツレヘム出身。ハロド人シャンマ。ハロド人エリカ。パルティ人ヘレツ。イケシュの子イラ、テコア人。アナトト人アビエゼル。フシャ人メブナイ。アホア人ツァルモン。ネトファ人マフライ。バアナの子ヘレブ、ネトファ人。リバイの子イタイ、ベニヤミンのギブア出身。ピルアトン人ベナヤ。ヒダイ、ガアシュ川の出身。アルバト人アビ・アルボン。バフリム人アズマベト。シャアルボン人エルヤフバ。ベネヤシェン。ヨナタン。ハラリ人シャンマ。シャラルの子アヒアム、アラル人。アハスバイの子エリフェレト、マアカ人の子孫。アヒトフェルの子エリアム、ギロ人。カルメル人ヘツライ。アラブ人パアライ。ナタンの子イグアル。ツォバ出身。ガディ人バニ。アンモン人ツェレク。ベエロト人ナフライ、ツェルヤの子ヨアブの武具を持つ者。イエテル人イラ。イエテル人カレブ。ヘト人ウリヤ。総員三十七名。

 18節に、ツェルヤの子、ヨアブの兄弟アビシャイが「三勇士の頭」と記されていますが、これは「三十人の頭」の書き間違えであると思います(口語訳では「三十人の長」と記されている)。アビシャイは第21章17節によれば、疲れていたダビデを助けて、ペリシテ人の巨人を打ち殺した人物でした。

 20節の「ヨヤダの子ベナヤ」は、第8章18節によれば、クレタ人とペレティ人からなる傭兵部隊の監督官でした。ダビデは三十人の中でもベナヤを重んじて、彼を護衛兵の長に任じました。

 24節に、「三十人に名を連ねた者は以下のとおりである」とあります。「三十人」は、ダビデの兵士の中から選ばれた集団の名前です。ですから、かならずしも三十人ぴったりであったのではありません。39節に、「総員37名」とあるように、勇士が亡くなれば、かわりの勇士を加えたのです。今朝は、最初と最後の人物に注目したいと思います。最初の人物は、「ヨアブの兄弟アサエル」です。第2章に、「イスラエルとユダの戦い」について記されていました。その戦いにおいて、アサエルはサウル軍の司令官アブネルによって殺されてしまいます。アブネルはアサエルを殺したくなかったのですが、アサエルがしつこく追跡したので、結果的にアサエルを殺してしまったのです。

 最後の人物は「ヘト人ウリヤ」です。ウリヤは、ダビデ王の策略によって、ペリシテ人の手で殺されてしまいました。そのようなウリヤの名前が、三十人の名簿の最後に記されているのです。このことは、私たちにダビデが犯した罪を思い起こさせます。ダビデが自分に忠実な勇士の妻を奪い、挙げ句の果てに殺してしまう罪深い王であることを思い起こさせるのです。ある研究者は、「イエス様が選ばれた12使徒のリストは、イエス様を裏切る者の名前で終わっている。しかし、三十人のリストは、ダビデから裏切られた者の名前で終わっている」と述べています。ダビデは罪のない正しい王ではありませんでした。罪のない正しい王、それはダビデの子孫としてお生まれになったイエス・キリストであります。ダビデは、勇士たちの尽力によってイスラエルの王となりました。しかし、イエス・キリストは誰の力を借りることなく、全世界の王となられたのです。弟子たちが皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったこと。一番弟子のペトロがイエス様との関係を三度否定したことは、そのことを教えているのです。

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