ダビデの家臣たちの武勲 2023年4月12日(水曜 聖書と祈りの会)
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ダビデの家臣たちの武勲
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 21章15節~22節
聖書の言葉
21:15 ペリシテ人は再びイスラエルと戦った。ダビデは家臣を率いて出陣し、ペリシテと戦ったが、ダビデは疲れていた。
21:16 ラファの子孫の一人イシュビ・ベノブは、三百シェケルの重さの青銅の槍を持ち、新しい帯を付けて、ダビデを討つ、と言った。
21:17 しかし、ツェルヤの子アビシャイは、ダビデを助けてこのペリシテ人を打ち殺した。それ以来、ダビデの家来たちはダビデに誓わせた。「以後、我々と共に戦いに出てはなりません。イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください。」
21:18 その後、ゴブの地で、再びペリシテ人との戦いがあった。このときは、フシャ人シベカイがラファの子孫の一人サフを打ち殺した。
21:19 ゴブで、またペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム出身のヤアレ・オルギムの子エルハナンが、ガト人ゴリアトを打ち殺した。ゴリアトの槍の柄は機織りの巻き棒ほどもあった。
21:20 別の戦いがガトでもあった。ラファの子孫で、手足の指が六本ずつ、合わせて二十四本ある巨人が出て来て、
21:21 イスラエルを辱めたが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を討ち取った。
21:22 これら四人はガトにいたラファの子孫で、ダビデとその家臣の手によって倒された。サムエル記下 21章15節~22節
メッセージ
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第21章から第24章までは、ダビデについての様々な伝承を付け加えた、いわゆる補遺です。今朝の御言葉には、ペリシテ人との戦いでのダビデの家臣たちの武勲(戦争でたてた手柄)が記されています。ペリシテ人との戦いについては、ダビデがイスラエルの王となった後の第5章17節から25節までに記されていました。また、ナタンの預言を聞いた後の、第8章1節に、「その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からメテグ・アンマを奪った」と記されていました。ペリシテ人は、サウル王の時代から、イスラエルの宿敵でありました。そのペリシテ人との戦いにおいて、ダビデの家臣たちが上げた手柄が、今朝の御言葉に記されているのです。
15節から17節までをお読みします。
ペリシテ人は再びイスラエルと戦った。ダビデは家臣を率いて出陣し、ペリシテと戦ったが、ダビデは疲れていた。ラファの子孫の一人イシュビ・ベノブは、三百シェケルの重さの青銅の槍を持ち、新しい帯を付けて、ダビデを討つ、と言った。しかし、ツェルヤの子アビシャイは、ダビデを助けてこのペリシテ人を打ち殺した。それ以来、ダビデの家来たちはダビデに誓わせた。「以後、我々と共に戦いに出てはなりません。イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください。」
16節に「ラファの子孫」とありますが、口語訳聖書を見ると、「巨人の子孫」と翻訳されています。『サムエル記上』の第17章に、ペリシテ人の代表戦士であるゴリアトと少年ダビデの戦いが記されていました。「ラファの子孫」とは、ゴリアトのような巨人のことであるのです(ゴリアトの身長は3メートルほど)。巨人の子孫の一人イシュビ・ベノブは、三百シェケル(一シェケルは11.4グラム、よって300シェケルは約3.4キログラム)の重さの青銅の槍を持ち、新しい武具を帯びて、「ダビデを討つ」と言いました。ペリシテ人もイスラエルの王であるダビデを討つことが、戦略として重要であることを知っていたのです。このとき、ダビデは疲れており、危うく殺されそうになったようです。ダビデを助けたのは、ダビデの姉妹ツェルヤの子アビシャイでした。アビシャイは、このペリシテ人を打ち殺して、ダビデを助けたのです。それ以来、ダビデの家来たちは、ダビデに、以後自分たちと共に戦いに出ないことを誓わせました。家来たちは、ダビデにこう言います。「以後、我々と共に戦いに出てはなりません。イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください」。『サムエル記上』の第8章に、イスラエルの民がサムエルに王を求めたことが記されていました。そこで民が求めたのは、「陣頭に立って進み、自分たちの戦いをたたかう王」でありました(サムエル上8:20参照)。しかし、ここで家臣たちは、「自分たちと共に戦いに出てはならない」と言うのです。「もし、ダビデが死ぬようなことがあれば、イスラエルの灯火(ともしび)が消えてしまう」と言うのです。この家臣たちの言葉の背後には、ナタンの預言、いわゆるダビデ契約があると思われます。主は、預言者ナタンを通して、ダビデのために家を建てること、ダビデの王権を堅く据えることを約束してくださいました。ダビデの命が断たれることは、今や、イスラエルの希望の灯火が消えることであるのです。そのようなことがないように、家臣たちは、自分たちと共に戦いに出ないことを、ダビデ王に誓わせたのです。
18節から22節までをお読みします。
その後、ゴブの地で、再びペリシテ人との戦いがあった。このときは、フシャ人シベカイがラファの子孫の一人サフを打ち殺した。ゴブで、またペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム出身のヤアレ・オルギムの子エルハナンが、ガト人ゴリアトを打ち殺した。ゴリアトの槍の柄は機織りの巻き棒ほどもあった。別の戦いがガトでもあった。ラファの子孫で、手足の指が六本ずつ、合わせて二十四本ある巨人が出て来て、イスラエルを辱めたが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を討ち取った。
これら四人はガトにいたラファの子孫で、ダビデとその家臣の手によって倒された。
22節の4人のラファの子孫、4人の巨人の子孫とは、16節の「イシュビ・ベノブ」と18節の「サフ」と、19節の「ゴリアト」と20節の名前が記されていない巨人のことです。この中でも、注意を引くのが、ゴリアトであります。と言いますのも、『サムエル記上』の第17章で、ダビデが倒したペリシテ人の巨人の名前もゴリアトであったからです。『歴代誌上』の並行箇所である第20章5節を見ると、「ヤイルの子エルハナンがガト人ゴリアトの兄弟ラフミを打ち殺した」と記されています。ですから、エルハナンが打ち殺したゴリアトは、ダビデが打ち殺したゴリアトとは別人であるようです。
ダビデが疲れており、危うく殺されそうになったことは、ダビデの体力が衰えていたこと、年齢を重ねていたことを暗示しています。かつて、六百シェケルの槍を持ったゴリアトに勝利したダビデが、三百シェケルの槍を持ったイシュビ・ベノブに殺されそうになったのです(槍の重さが半減していることは、強さも半減していることを暗示している)。しかし、ダビデの家臣たちは、ペリシテ人の巨人たちに勝利を収めました。ダビデは年を重ね、衰えても、そのダビデに代わって戦う家臣たちがいるのです。王であるダビデだけが、イスラエルをペリシテ人の手から救ったのではありません。ダビデの家臣たちが、ダビデに代わって戦い、ペリシテ人に勝利したのです。かつて、ダビデに勝利を与えられた主なる神様は、ダビデの家臣たちにも勝利を与えられたのです。このことは、イエス・キリストと私たちとの関係にも言えます。イエス・キリストに勝利を与えられた主なる神様は、その家臣である私たちにも勝利を与えてくださるのです。