飢饉とサウルの子孫 2023年4月05日(水曜 聖書と祈りの会)

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飢饉とサウルの子孫

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記下 21章1節~14節

聖句のアイコン聖書の言葉

21:1 ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った。ダビデは主に託宣を求めた。主は言われた。「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある。」
21:2 王はギブオン人を招いて言った。――ギブオン人はアモリ人の生き残りで、イスラエルの人々に属する者ではないが、イスラエルの人々は彼らと誓約を交わしていた。ところがサウルは、イスラエルとユダの人々への熱情の余り、ギブオン人を討とうとしたことがあった。
21:3 ダビデはギブオン人に言った。「あなたたちに何をしたらよいのだろう。どのように償えば主の嗣業を祝福してもらえるだろうか。」
21:4 ギブオン人はダビデに答えた。「サウルとその家のことで問題なのは金銀ではありません。イスラエルの人々をだれかれなく殺すというのでもありません。」ダビデは言った。「言ってくれれば何でもそのとおりにしよう。」
21:5 彼らは王に答えた。「わたしたちを滅ぼし尽くし、わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、
21:6 あの男の子孫の中から七人をわたしたちに渡してください。わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします。」王は、「引き渡そう」と言った。
21:7 しかし、王はサウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを惜しんだ。ダビデとサウルの子ヨナタンとの間には主をさして立てた誓いがあったからである。
21:8 王はアヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子、アルモニとメフィボシェトと、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドリエルとの間に生まれた五人の息子を捕らえ、
21:9 ギブオン人の手に渡した。ギブオンの人々は彼らを山で主の御前にさらした。七人は一度に処刑された。彼らが殺されたのは刈り入れの初め、大麦の収穫が始まるころであった。
21:10 アヤの娘リツパは粗布を取って岩の上に広げた。収穫の初めのころから、死者たちに雨が天から降り注ぐころまで、リツパは昼は空の鳥が死者の上にとまることを、夜は野の獣が襲うことを防いだ。
21:11 サウルの側女、アヤの子リツパのこの行いは王に報告された。
21:12 ダビデはギレアドのヤベシュの人々のところへ行って、サウルの骨とその子ヨナタンの骨を受け取った。その遺骨はギレアドのヤベシュの人々がベト・シャンの広場から奪い取って来たもので、ペリシテ人がギルボアでサウルを討った日に、そこにさらしたものであった。
21:13 ダビデはそこからサウルの骨とその子ヨナタンの骨を運び、人々は今回さらされた者たちの骨を集め、
21:14 サウルとその子ヨナタンの骨と共にベニヤミンの地ツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬った。人々は王の命令をすべて果たした。この後、神はこの国の祈りにこたえられた。サムエル記下 21章1節~14節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記下』の第21章1節から14節より、「飢饉とサウルの子孫」という題でお話します。

 第21章から第24章までは、ダビデについての伝承をまとめたものです。ダビデについての様々な伝承をまとめて、後から付け加えた補遺です。ですから、第20章の続きとして記されているのではありません。第20章の続きは、『列王記上』の第1章に記されているのです。『サムエル記』を編集した人たちは、ダビデの死を記す前に、書き漏らしたダビデについての伝承をまとめて、第21章から第24章に記したのです。

 ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲いました。この飢饉がいつの頃なのかは分かりません。7節に、サウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトのことが記されていますので、ダビデがメフィボシェトを見出した後であったようです(9章参照)。この飢饉は雨が降らない、干ばつによってもたらされました。三年続いて雨が降らず、飢饉となる。このことはイスラエルの民にとって、危機的な状況です。ダビデは、干ばつによる飢饉を神様の刑罰として理解しました(申命28:22)。それで、ダビデは主に託宣を求めたのです。主はこう言われます。「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある」。ギブオン人については、2節に、こう記されています。「ギブオン人はアモリ人の生き残りで、イスラエルの人々に属する者ではないが、イスラエルの人々は彼らと誓約を交わしていた」。この誓約については、『ヨシュア記』の第9章に記されています。旧約の352ページです。第9章1節から21節までをお読みします。

 ヨルダン川の西側の山地、シェフェラ、レバト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちは皆、このことを聞くと、集結してヨシュアの率いるイスラエルと一致して戦おうとした。

 ところがギブオンの住民は、ヨシュアがエリコとアイに対してしたことを聞き、賢く立ちまわった。彼らは使者を装い、古びた袋、使い古して繕ってあるぶどう酒の革袋をろばに負わせ、継ぎの当たった古靴を履き、着古した外套をまとい、食料として干からびたぼろぼろのパンを携えた。彼らはギルガルの陣営に来てヨシュアとイスラエル人に、「わたしたちは遠い国から参りました。どうか今、わたしたちと協定を結んでください」と言うと、イスラエル人はそのヒビ人に言った。「お前たちは、我々と共にここに住んでいるのだろう。どうして協定を結べようか。」彼らはヨシュアに、「わたしたちはあなたの僕でございます」と言うと、ヨシュアは尋ねた。「あなたたちは何者か、どこから来たのか。」彼らは言った。「僕どもはあなたの神、主の御名を慕ってはるかな遠い国から参りました。主がエジプトでなさった一切のことも、ヨルダン川の東側のアモリ人の二人の王、すなわちへシュボンの王シホンとアシュタロトにいたバシャンの王オグになさったことも、ことごとく伝え聞きました。わたしたちの長老はじめ国の住民は皆、わたしたちに、『旅の食糧を手に携え、彼らに会って、わたしたちはあなたたちの僕です、どうか今、わたしたちと協定を結んでくださいと言いなさい』と申しました。御覧ください。これがわたしたちのパンです。ここに来ようと出発した日に、食糧として家から携え出たときにはまだ温かかったのが、今はすっかり干からびてぼろぼろです。このぶどう酒の革袋も酒を詰めたときは真新しかったのですが、ご覧ください、破れてしまいました。わたしたちの外套も靴も、はるかな長旅のため、古びてしまいました。」

 男たちは彼らの食糧を受け取ったが、主の指示を求めなかった。ヨシュアは彼らと和を講じ、命を保障する協定を結び、共同体の指導者たちもその誓いに加わった。

 協定を結んでから三日後、彼らが近くの者で、自分たちのうちに住んでいることを聞くと、イスラエルの人々はそこをたって、三日目に彼らの町ギブオン、ケフィラ、ベエロト、キルヤト・エアリムに着いた。イスラエルの人々は、共同体の指導者たちがイスラエルの神、主にかけて誓いを立てていたので、彼らを攻撃しなかったが、共同体全体は指導者たちに不平を鳴らした。指導者たちは皆、共同体全体に言った。「我々はイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。今、彼らに手をつけることはできない。我々のなすべきことはこうである。彼らを生かしておこう。彼らに誓った誓いのゆえに、御怒りが我々に下ることはないだろう。」指導者たちは続けた。「彼らを生かしておき、共同体全体のために芝刈りと水くみをさせよう。」彼らはこうして、指導者たちの告げたとおりになった。

 飛んで、26節と27節をお読みします。

 ヨシュアは彼らにそのようにし、イスラエルの人々の手から彼らを助け、殺すことを許さなかった。ヨシュアは、その日、彼らを共同体および主の祭壇のため、主の選ばれた所で芝刈りまた水くみとした。それは今日まで続いている。

 このように、ギブオン人は、遠くから来たように見せかけて、イスラエルと「命を保障する協定」を結びました。ヨシュアは、その協定が主にかけて誓ったことであるゆえに、ギブオン人を殺すことを許さず、芝刈りや水くみをさせたのです。しかし、サウルは、そのギブオン人を殺害したのです。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の516ページです。

 サウルがギブオン人を討とうとしたのは、「イスラエルとユダの人々の熱情の余り」であったと記されています。サウルは、民族主義的な熱情からギブオン人を討とうとしました。しかし、イスラエルとギブオン人の協定は、主にかけて誓ったことであるゆえに、サウルの振る舞いは、主の怒りを買うことになったのです。

 ダビデ王はギブオン人を招いて、こう言いました。「あなたたちに何をしたらよいのだろう。どのように償えば主の嗣業を祝福してもらえるのだろうか」。このダビデの言葉からすると、ギブオン人は、サウルが自分たちの血を流したことを赦さず、主の民であるイスラエルを呪っていたようです。それで、ダビデ王は、「あなたたちに何をしたらよいのだろう」と尋ねるのです。ギブオン人はこう答えました。「サウルとその家のことで問題なのは金銀ではありません。イスラエルの人々をだれかれなく殺すというのでもありません」。ダビデ王はこう言います。「言ってくれれば何でもそのとおりにしよう」。ギブオン人は王にこう答えました。「わたしたちを滅ぼし尽くし、わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、あの男の子孫の中から七人をわたしたちに渡してください。わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします」。このギブオン人の言葉を読むと、『エステル記』に出てくるアガグ人ハマンのことを思い起こします。ハマンは、策略を用いてペルシャ帝国に住むユダヤ人を皆、滅ぼそうとしました(エステル3:6参照)。そのハマンと同じことをサウルはギブオン人に対して謀ったのです。そのサウルの子孫の七人を、主の御前で処刑し、さらしものにするとギブオン人は言うのです。ダビデ王は「引き渡そう」と言いました。ダビデ王は、イスラエルの民を飢饉から救うために、ギブオン人の願いどおり、サウルの子孫を引き渡すのです。しかし、ダビデ王は、サウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを渡しませんでした。なぜなら、ダビデはヨナタンと主の御前で契約を結んでいたからです。ダビデは、主の御前に、「わたしの慈しみをヨナタンの家からとこしえに断たない」という契約を結んでいたのです(サムエル上20:15、16参照)。

 ダビデ王はアヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子、アルモニとメフィボシェトを捕らえて、ギブオン人の手に渡しました。誤解のないように申しますが、このメフィボシェトは、ヨナタンの息子ではありません。同じ名前の別の人物です。また、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドリエルとの間に生まれた五人の息子を捕らえ、ギブオン人の手に渡しました。ここで、「ミカル」とありますが、これはミカルの姉である「メラブ」のことであると考えられています。『サムエル記上』の第18章19節に、こう記されています。「ところが、サウルの娘メラブはダビデに嫁ぐべきときに、メホラ人アドリエルに嫁がせられた」。ミカルには子供がいませんでしたが、その姉のメラブには5人の息子がいたのです(6:23「サウルの娘ミカルは、子を持つことのないまま、死の日を迎えた」参照)。

 ギブオンの人々は、七人を一度に処刑し、その遺体を主の御前にさらしました。ここでは、サウルの七人の子孫たちが、主の怒りをなだめる供え物であるかのように記されています。彼らが殺されたのは刈り入れの始め、大麦の収穫が始まる4月下旬から5月上旬でありました。

 アヤの娘リツパは粗布を取って岩の上に広げ、さらされた遺体に空の鳥がとどまり、野の獣が襲うことを防ぎました。リツパは自分の息子たちの遺体が鳥や獣の餌になることを許さなかったのです(サムエル上16:44のゴリアトのダビデに対する言葉、「お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」参照)。このリツパの行いを知ったダビデ王は、ギレアドのヤベシュの人々のところへ行って、サウルの骨とヨナタンの骨を受け取りました。ヤベシュの人々は、ペリシテ人がさらしものにしたサウルとヨナタンの遺体を夜の間に奪い取って、丁重に葬ったのでした(サムエル上31:11〜13参照)。それは、かつてサウルが、ヤベシュの人々をアンモン人の王ナハシュの手から救ったからでありました。ギブオン人を滅ぼそうと謀ったサウルは、ヤベシュの人々を救った王でもあったのです(サムエル上11章参照)。

 ダビデは、ヤベシュからサウルの骨とヨナタンの骨を運び、七人のさらされた者たちの骨と共にベニヤミンの地ツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬りました。ダビデは、リツパの行いに心を動かされて、サウルの骨とヨナタンの骨と七人の骨を、先祖の墓に葬ったのです。この後、神はこの国の祈りに答えられました。主はイスラエルの民の祈りに応えて、雨を降らせてくださったのです。サウルの七人の子孫の犠牲によって、雨が与えられ、イスラエルの民は飢饉から救われたのでした。このように見てきますと、サウルの罪を担って殺された七人の子孫が、イエス・キリストを指し示しているようにも思えます。イエス・キリストは、私たちの罪を担って、十字架のうえでさらし者にされ、呪いの死を死んでくださいました。そのイエス・キリストの呪いの死によって、私たちはすべての罪を赦され、神の祝福に生きる者とされているのです。

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