父ではなく王として 2023年1月25日(水曜 聖書と祈りの会)
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父ではなく王として
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 19章2節~9節
聖書の言葉
19:2 王がアブサロムを悼んで泣いているとの知らせがヨアブに届いた。
19:3 その日兵士たちは、王が息子を思って悲しんでいることを知った。すべての兵士にとって、その日の勝利は喪に変わった。
19:4 その日兵士たちは、戦場を脱走して来たことを恥じる兵士が忍び込むようにして、こっそりと町に入った。
19:5 王は顔を覆い、大声で叫んでいた。「わたしの息子アブサロム、アブサロム。わたしの息子、わたしの息子よ。」
19:6 ヨアブは屋内の王のもとに行き、言った。「王は今日、王のお命、王子、王女たちの命、王妃、側女たちの命を救ったあなたの家臣全員の顔を恥にさらされました。
19:7 あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか。わたしは今日、将軍も兵士もあなたにとっては無に等しいと知らされました。この日、アブサロムが生きていて、我々全員が死んでいたら、あなたの目に正しいと映ったのでしょう。
19:8 とにかく立って外に出、家臣の心に語りかけてください。主に誓って言いますが、出て来られなければ、今夜あなたと共に過ごす者は一人もいないでしょう。それはあなたにとって、若いときから今に至るまでに受けたどのような災いにもまして、大きな災いとなるでしょう。」
19:9 王は立ち上がり、城門の席に着いた。兵士は皆、王が城門の席に着いたと聞いて、王の前に集まった。サムエル記下 19章2節~9節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』第19章2節から9節前半より、「父ではなく王として」という題でお話しします。
クシュ人から、アブサロムの死の知らせを聞いたダビデは、身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣きました。ダビデは、「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ」と言って、嘆き悲しんだのです。
王がアブサロムを悼んで泣いているとの知らせがヨアブのもとに届きました。その日、兵士たちは、王が息子の死を悲しんでいることを知りました。それによって、その日の勝利は喪に変わりました。兵士たちは、イスラエル軍に勝利したのですから、堂々と、胸を張って、マハナイムに入るはずでした。しかし、兵士たちは、戦場を脱走して来たことを恥じる兵士のように、こっそりと町に入ったのです。王は、その兵士たちを出迎えることもせず、城門の上の部屋に籠もって、顔を覆い、「わたしの息子アブサロム、アブサロム。わたしの息子、わたしの息子よ」と大声で叫んでいたのです。この王の声を、命がけで戦って帰って来た兵士たちは、どのような気持ちで聞いたでしょうか。その兵士たちの気持ちを代弁するかのように、将軍ヨアブは、王のもとに行き、こう言いました。「王は今日、王のお命、王子、王女たちの命、王妃、側女たちの命を救ったあなたの家臣全員の顔を恥にさらされました。あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか。わたしは今日、将軍も兵士もあなたにとって無に等しいと知らされました。この日、アブサロムが生きていて、我々全員が死んでいたら、あなたの目に正しいと映ったのでしょう。とにかく立って外に出て、家臣の心に語りかけてください。主に誓って言いますが、出て来られなければ、今夜あなたと共に過ごす者は一人もいないでしょう。それはあなたにとって、若いときから今に至るまでに受けたどのような災いにもまして、大きな災いとなるでしょう」。ダビデが凱旋した兵士たちを出迎えもせずに、息子アブサロムの死を嘆き悲しんでいることは、ダビデの命と、その息子たちと娘たちの命、妻たちの命、側女たちの命を救った家臣たちに恥をかかせることであるとヨアブは言います。ダビデは、自分と家族の命を救った家臣たちに感謝することなく、かえって息子アブサロムの死を悲しむことによって、その責めを家臣たちに負わせているからです。アブサロムはダビデの息子ですが、父親であるダビデを憎み、反逆しました。他方、家臣たちは、王を愛して、王とその家族のために命がけで戦いました。そうであれば、ダビデは家臣たちを出迎え、その心に労いの言葉をかけるべきです。しかし、ダビデは、部屋に引きこもって、息子アブサロムの死を、大声で嘆き悲しんでいるのです。そのようなダビデに、ヨアブは、「あなたは自分を憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれる」と言うのです(聖書協会共同訳参照)。ヨアブは、「わたしは今日、将軍も兵士もあなたにとっては無に等しいと知らされました」と言っていますが、これは第18章3節の兵士たちの言葉をひっくり返したものです。出陣しようとするダビデに、兵士たちはこう言いました。「出陣なさってはいけません。我々が逃げ出したとしても彼らは気にも留めないでしょうし、我々の半数が戦死しても気にも留めないでしょう。しかしあなたは我々の一万人にも等しい方です。今は町にとどまり、町から我々を助けてくださる方がよいのです」。兵士たちは、ダビデ一人を「我々の一万人にも等しい方である」と言いました。しかし、ダビデは、将軍や家臣よりも、アブサロム一人が大切であることを、身をもって示したのです。ヨアブは、「この日、アブサロムが生きていて、我々全員が死んでいたら、あなたの目に正しいと映ったのでしょう」と言っていますが、これは少し言い過ぎだと思います。しかし、王とその家族の命を救うために、自分の命をかけて戦った兵士たちの本音であったかも知れません。
ヨアブは、「とにかく立って外に出、家臣の心にかたりかけてください」と言います。王とその家族の命を救うために戦った兵士たちには、王からのお褒めの言葉、「良く戦ってくれた」という言葉が必要であるのです。このままでは、自分たちが命をかけて戦ったのは何のためであったのかが分からなくなってしまいます。ヨアブは、ここで脅しとも取れる言葉を語っています。「主に誓って言いますが、出て来られなければ、今夜あなたと共に過ごす者は一人もいないでしょう。それはあなたにとって、若いときから今に至るまでに受けたどのような災いにもまして、大きな災いとなるでしょう」。ヨアブは、もし、ダビデが出て行かなければ、ダビデに対する兵士たちの忠誠心は揺らぎ、ダビデが孤立することになると警告します。もしそうなれば、ダビデではない他の誰かが王になる恐れがあるのです。ある研究者は、「ヨアブは、自分が反逆して王になることをほのめかしている」と指摘しています。もしダビデが出て行かなければ、今夜、ヨアブもダビデと共に過ごすことはないのです。
このようなヨアブの言葉を聞いて、ダビデは父ではなく、王として立ち上がり、城門の席に着きました。そして、兵士たちは皆、王が城門の席に着いたと聞いて、王の前に集まったのです。このようにして、ダビデ王は、兵士たちの忠誠心を失うという大きな災いを免れることができたのです。