二人の伝令 2023年1月18日(水曜 聖書と祈りの会)

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二人の伝令

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記下 18章19節~19章1節

聖句のアイコン聖書の言葉

18:19 ツァドクの子アヒマアツは言った。「走って行って、主が王を敵の手から救ってくださったという良い知らせを王に伝えます。」
18:20 ヨアブは彼に、「今日、お前が知らせるのはよくない。日を改めて報告するがよい。今日は知らせないでおこう。王の息子が死んだのだ」と言い、
18:21 クシュ人に命じた。「行って、お前が見たとおりに王に報告せよ。」クシュ人はヨアブに一礼して走り去った。
18:22 ツァドクの子アヒマアツは再びヨアブに、「どんなことになろうと、わたしもクシュ人を追って走りたいのです」と願った。「子よ、お前はどうしてそんなに走りたいのだ。お前が行って知らせるほどの良い知らせではない」とヨアブは言ったが、
18:23 どんなことになろうと行きたいと言うので、ヨアブは「走るがよい」と答えた。アヒマアツは低地に道をとり、クシュ人を追い越した。
18:24 ダビデは二つの城門の間に座っていた。城壁に沿った城門の屋根には、見張りが上って目を上げ、男がただ一人走って来るのを見た。
18:25 見張りは王に呼びかけて知らせた。王は、「一人だけならば良い知らせをもたらすだろう」と言った。その男が近づいて来たとき、
18:26 見張りはもう一人の男が走って来るのに気がつき、門衛に呼びかけて言った。「また一人で走って来る者がいます。」王は、「これもまた良い知らせだ」と言った。
18:27 見張りは、「最初の人の走り方はツァドクの子アヒマアツの走り方のように見えます」と言った。王は、「良い男だ。良い知らせなので来たのだろう」と言った。
18:28 アヒマアツは「王に平和」と叫び、地にひれ伏して礼をし、言った。「あなたの神、主はほめたたえられますように。主は主君、王に手を上げる者どもを引き渡してくださいました。」
18:29 王が、「若者アブサロムは無事か」と尋ねると、アヒマアツは答えた。「ヨアブが、王様の僕とこの僕とを遣わそうとしたとき、大騒ぎが起こっているのを見ましたが、何も知りません。」
18:30 王が、「脇に寄って、立っていなさい」と命じたので、アヒマアツは脇に寄り、そこに立った。
18:31 そこへクシュ人が到着した。彼は言った。「主君、王よ、良い知らせをお聞きください。主は、今日あなたに逆らって立った者どもの手からあなたを救ってくださいました。」
18:32 王はクシュ人に、「若者アブサロムは無事か」と尋ねた。クシュ人は答えた。「主君、王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者はことごとく、あの若者のようになりますように。」
19:1 ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」サムエル記下 18章19節~19章1節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記下』の第18章19節から第19章1節より、「二人の伝令」という題でお話しします。

 前回、私たちは、アブサロムが呪われた者として死んで、葬られたことを学びました。アブサロムの死により、戦いは、ヨアブたちダビデの家臣の勝利に終わりました。今朝の御言葉はその続きであります。

 祭司ツァドクの息子アヒマアツは、こう言いました。「走って行って、主が王を敵の手から救ってくださったという良い知らせを王に伝えます」。かつてアヒマアツは、フシャイの言葉をダビデ王に伝える伝令としての役目を果たしました(17:17~22参照)。それで、今回も、伝令の役目を買って出たのです。主が王を敵の手から救ってくださった。我々は敵に勝利した。この良き知らせを王に伝えたいと言うのです。これはまさしく福音ですね。喜びの知らせを王に伝える、その栄光ある務めをアヒマアツは、ぜひ自分が果たしたいと願ったのです。しかし、ヨアブは、こう言います。「今日、お前が知らせるのはよくない。日を改めて報告するがよい。今日は知らせないでおこう。王の息子が死んだのだ」。主が倒してくださった王の敵とは、王の息子アブサロムでありました。そして、ヨアブこそ、アブサロムの心臓を突き刺した張本人であったのです。ヨアブは、ダビデが息子アブサロムの死の知らせをもたらした者を、殺すのではないかと恐れたのでしょう。このことは、あながち的外れではありません。かつてダビデは、サウルとヨナタンの死を知らせに来たアマレク人を殺しました(1:15参照)。また、サウルの息子イシュボシェトの死を知らせた者を殺しました(4:12参照)。王の感情を高ぶらせることは、その者に死を招きかねないことであったのです(箴20:2「王の脅威は若獅子のうなり声/彼を怒らせる者は自分を危険にさらす」参照)。それで、ヨアブは、クシュ人に、「行って、お前が見たとおりに王に報告せよ」と命じたのです。クシュとは、エジプトの南にあった国で、現在のエチオピアにあたります。このクシュ人は、ダビデの僕(召し使い)であったようです(18:29「王様の僕」参照)。クシュ人はヨアブに一礼して、走り去りました。しかし、アヒマアツは、諦めきれなかったようです。彼は再びヨアブに、「どんなことになろうと、わたしもクシュ人を追って走りたいのです」と願いました。ヨアブは当惑して、こう言います。「子よ、お前はどうしてそんなに走りたいのだ。お前が行って知らせるほどの良い知らせではない」。新しい翻訳聖書、聖書協会共同訳は、「知らせに行ったところで、何も得るところはないであろう」と訳しています。王様は、良い知らせを伝えた者に、褒美を与えました。しかし、今回は何の褒美も期待できない。いや、むしろ、自らの命を危険に晒すことになるのです。かつてサウルとヨナタンの死を伝えた者のように、また、イシュボシェトの死を伝えた者のように、王の逆鱗に触れて、命を落としかねないのです。しかし、アヒマアツが「どんなことになろうとも行きたい」と言うので、ヨアブは「走るがよい」と答えました。そして、アヒマアツは低地の道をとり、クシュ人を追い越したのです。

 マハナイムにいるダビデ王は、外門と内門の間に座って、伝令が来るのを今か今かと待っていました。城門の屋根に上っていた見張りが目を上げると、男がただ一人走って来るのが見えました。見張りは王に呼びかけて知らせると、王は、「一人だけならば良い知らせをもたらすだろう」と言いました。「複数ならば敗残兵であるが、一人ならば勝利を知らせる伝令だ」と言うのです。その男が近づいて来たとき、見張りはもう一人の男が来るのに気がつき、門衛に呼びかけて、こう言いました。「また一人で走って来る者がいます」。王はそれを聞くと、「これもまた良い知らせだ」と言いました。先程の理屈で言えば、複数(二人)の知らせは悪い知らせのはずですが、ダビデは、一人と一人と考えて、良い知らせの兆しであると言うのです。見張りが「最初の人の走り方はツァドクの子アヒマアツの走り方のように見えます」と言うと、ダビデは、「良い男だ。良い知らせなので来たのだろう」と言いました。ダビデは、何でも良い知らせの兆しとして解釈するのです。

 アヒマアツは「王に平和」と叫び、地にひれ伏して礼をし、こう言いました。「あなたの神、主はほめたたえられますように。主は主君、王に手を上げる者どもを引き渡してくださいました」。このように、アヒマアツは、勝利の知らせを伝えるのです。しかし、ダビデの関心は、戦いの勝利よりも、息子アブサロムのことにありました。ダビデは、出陣する三人の将軍に、「若者アブサロムを手荒に扱わないでくれ」と命じていました(18:5参照)。それで、ダビデは、「若者アブサロムは無事か」と尋ねるのです(「無事」と訳されているヘブライ語は「平和」と訳されるシャロームである)。それに対して、アヒマアツは、こう答えます。「ヨアブが、王様の僕とこの僕とを遣わそうとしたとき、大騒ぎが起こっているのを見ましたが、何も知りません」。アヒマアツは、ダビデの息子アブサロムが殺されたことを知っていました(18:20参照)。しかし、アブサロムの身を案じるダビデに、そのことを告げることができなったのです。アヒマアツは、ダビデに、戦いの勝利という良き知らせだけを伝えたのです。王は、アヒマアツのあいまいな答えを聞いて不安になったのでしょう。王はアヒマアツに「脇に寄って、立っていなさい」と命じました。

 そこへクシュ人が到着して、こう言います。「主君、王よ、良い知らせをお聞きください。主は、今日あなたに逆らって立った者どもの手からあなたを救ってくださいました」。クシュ人も戦いの勝利を伝えるのです。王はクシュ人に、「若者アブサロムは無事か」と尋ねます。すると、クシュ人はこう答えました。「主君、王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者はことごとく、あの若者のようになりますように」。ここで、クシュ人は、アブサロムの名前を出していませんし、死んだとも言っていません。しかし、このクシュ人の言葉で、ダビデは、アブサロムが殺されたことを理解したのです。クシュ人は、王の敵である若者アブサロムの死を、良き知らせとして伝えました。しかし、その知らせは、ダビデにとって、息子アブサロムの死を伝える悲しい知らせ(訃報)であったのです。ダビデは身を震わせ、城門の上に上って泣きました。ダビデは上りながらこう言ったのです。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ」。ダビデは、親として息子アブサロムの死を悲しみました。「わたしがお前に代わって死ねばよかった」。このダビデの言葉には、アブサロムの死が、ダビデが犯した罪、ウリヤを殺害し、その妻を奪った罪と無関係ではないことが暗示されています(12:9、10「なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤ剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう」参照)。ダビデは、バト・シェバとの間に産まれた男の子とアムノンに続いて、アブサロムをも失ったのです(12:18、13:37参照)。

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