戦いの準備 2022年12月14日(水曜 聖書と祈りの会)
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戦いの準備
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 17章24節~18章5節
聖書の言葉
17:24 ダビデがマハナイムに着いたころ、アブサロムと彼に従うイスラエルの兵は皆、共にヨルダンを渡った。
17:25 アブサロムはヨアブの代わりにアマサを軍の司令官に任命した。アマサはイトラというイスラエル人の子で、イトラの妻はナハシュの娘アビガル、ヨアブの母ツェルヤの姉妹だった。
17:26 イスラエル軍は、アブサロムに従ってギレアドの地に陣を敷いた。
17:27 ダビデがマハナイムに着くと、ラバ出身のアンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のアミエルの子マキル、ロゲリム出身のギレアド人バルジライとが、
17:28 寝具、たらい、陶器、小麦、大麦、麦粉、炒り麦、豆、レンズ豆、炒り麦、
17:29 蜂蜜、凝乳、羊、チーズを食糧としてダビデと彼の率いる兵に差し出した。兵士が荒れ野で飢え、疲れ、渇いているにちがいないと思ったからである。
18:1 ダビデは彼に従う兵を調べ、千人隊の長と百人隊の長を任命した。
18:2 次いでダビデは兵士を三部隊に分け、三分の一をヨアブの指揮下に、三分の一をツェルヤの子、ヨアブの弟アビシャイの指揮下に、三分の一をガト人イタイの指揮下においた。ダビデ王は兵士に言った。「わたしもお前たちと共に出陣する。」
18:3 兵士は言った。「出陣なさってはいけません。我々が逃げ出したとしても彼らは気にも留めないでしょうし、我々の半数が戦死しても気にも留めないでしょう。しかしあなたは我々の一万人にも等しい方です。今は町にとどまり、町から我々を助けてくださる方がよいのです。」
18:4 「わたしはお前たちの目に良いと映ることをしよう」と王は言って、町の城門の傍らに立ち、兵士は皆、百人隊、千人隊となって出て行った。
18:5 王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じた。「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ。」兵士は皆、アブサロムについて王が将軍たち全員に命じるのを聞いていた。サムエル記下 17章24節~18章5節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』の第17章24節から18章5節より、「戦いの準備」という題でお話しします。
ダビデとその兵士たちは、ヨルダン川を渡り、マハナイムに着きました。マハナイムは、サウル子イシュボシェトが都としていた城壁のある堅固な町です(サムエル下2:8参照)。ちなみに、マハナイムという町の名前は、族長ヤコブに神の御使いたちが現れたことに由来します。『創世記』の第32章2節と3節にはこう記されています。「ヤコブが旅を続けていると、突然、神の御使いたちが現れた。ヤコブは彼らを見たとき、『ここは神の陣営だ』と言い、その場所をマハナイム(二組の陣営)と名付けた」。族長のヤコブが、二組の陣営と名付けた町、マハナイムに、ダビデとその兵士たちは入ったのです。
ダビデがマハナイムに着いたころ、アブサロムと彼に従うイスラエルの兵士たちは皆、ヨルダン川を渡りました。アブサロムは、フシャイの提案に従い、自分のもとにイスラエルの兵士たちを集めて、自分で率いて戦いに出てきました(17:11「わたしはこう提案いたします。まず王の下に全イスラエルを集結させることです。ダンからベエル・シェバに至る全国から、海辺の砂のように多くの兵士を集結させ、御自身で率いて戦闘に出られることです」参照)。アブサロムはヨアブの代わりに、アマサを軍の司令官に任命しました。「アマサはイトラというイスラエル人の子で、イトラの妻はナハシュの娘アビガル、ヨアブの母ツェルヤの姉妹だった」と記されています(歴代上2:16、17参照)。アマサは、ダビデの甥であり、ヨアブの従兄弟(いとこ)であるのです。これから始まろうとしている戦いは、親族同士の戦いであるのです。イスラエル軍は、アブサロムに従ってギレアドの地に陣を敷きました。24節に、「イスラエルの兵」とあり、26節にも「イスラエル軍」とあります。このことは、アブサロムを支持していたのが、ユダ族を除く諸部族であったことを示しています。第2章には、イスラエルとユダの戦いのことが記されていました。また、第5章には、ダビデがイスラエルとユダの王となったことが記されていました。イスラエルとユダはダビデを王とすることによって一つとなったのです。イスラエルとユダは、ダビデを王とすることによって結ばれた連合国家であったのです(パーソナル・ユニオン)。しかし、そのイスラエルが、ダビデではなく、アブサロムを自分たちの王として、再び、ユダに戦いを挑んだのです(19:11「我々が油を注いで王としたアブサロムは戦いで死んでしまった」参照)。
ダビデがマハナイムに着くと、ラバ出身のアンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のアミエルの子マキル、ロゲリム出身のギレアド人バルジライとが、ダビデと兵士たちに、寝具や食糧などを差し出しました。「ラバ出身のアンモン人ナハシュの子ショビ」は、第10章でダビデが打ち破ったアンモン人の王ハヌンの兄弟であると考えられています。アンモン人はイスラエルに隷属していました。そのアンモン人を治めていたのが、「ナハシュの子ショビ」であったのです。また、「ロ・デバル出身のアミエルの子マキル」は、ヨナタンの息子メフィボシェトを保護していた人物です(9:4「ツィバは王に、『ロ・デバルにあるアミエルの子マキルの家におられます』と答えた」参照)。アミエルの子マキルは、ダビデがメフィボシェトを王子の一人のように扱ったことを知って、ダビデに好意を抱いていたのでしょう。「ロゲリム出身のギレアド人バルジライ」については、第19章32節以下に記されていますが、かなりの高齢でありました。バルジライは大層裕福で、マハナイム滞在中の王の生活を支えていたのです(19:33参照)。
アンモン人ナハシュの子ショビ、アミエルの子マキル、ギレアド人バルジライから、寝具や食糧などを得て、ダビデとその兵士たちは疲れを癒し、飢えと渇きを満たすことができたのです。
ダビデは自分に従う兵を調べ、千人隊の長と百人隊の長を任命しました。そのようにして、ダビデは軍隊を整えたのです。次いでダビデは兵士を3つの部隊に分けました(サムエル上11:11、13:17参照)。そして、三分の一をヨアブの指揮下に置き、三分の一をツェルヤの子、ヨアブの弟アビシャイの指揮下に置き、三分の一をガト人イタイの指揮下に置きました。ガド人イタイについては、第15章17節以下に記されていました。イタイは、「生きるも死ぬも、主君、王のおいでになるところが僕のいるべきところです」と言って、ダビデに従いました(15:21)。そのガド人イタイを、ダビデは、三人の将軍の一人にしたのです。
ダビデ王は、兵士たちに「わたしもお前たちと共に出陣する」と言いました。しかし、兵士たちはこう言いました。「出陣なさってはいけません。我々が逃げ出したとしても彼らは気にも留めないでしょうし、我々の半数が戦死しても気にも留めないでしょう。しかしあなたは我々の一万人にも等しい方です。今は町にとどまり、町から我々を助けてくださる方がよいのです」。ここで兵士たちが言っていることは、アヒトフェルが提案したことでもあります(17:1~3参照)。アヒトフェルは、アブサロムではなく、自分が兵を率いて戦うことを提案しました。それは、王であるアブサロムの命を危険に晒してはならないと考えたからです。そのアヒトフェルと同じようなことを、兵士たちはダビデに言ったのです。ダビデは、「わたしはお前たちの目に良いと映ることをしよう」と言って、城壁のある町にとどまることにします。ダビデは、町の城門の傍らに立ち、兵士たちを見送りました。その際、ダビデ王は、三人の将軍にこう命じました。「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」。この期に及んでも、ダビデは息子アブサロムの命のことを心配しているのです。そして、このダビデ王の命令を兵士たちは皆、聞いていたのです。ダビデは、自分の兵士たちがイスラエル軍と戦おうとしているのに、イスラエル軍を率いる息子アブサロムの命を心配しているのです。