ダビデとシムイ 2022年11月02日(水曜 聖書と祈りの会)
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ダビデとシムイ
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 16章5節~14節
聖書の言葉
16:5 ダビデ王がバフリムにさしかかると、そこからサウル家の一族の出で、ゲラの子、名をシムイという男が呪いながら出て来て、
16:6 兵士、勇士が王の左右をすべて固めているにもかかわらず、ダビデ自身とダビデ王の家臣たち皆に石を投げつけた。
16:7 シムイは呪ってこう言った。「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。
16:8 サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ。お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ。」
16:9 ツェルヤの子アビシャイが王に言った。「なぜあの死んだ犬に主君、王を呪わせておかれるのですか。行かせてください。首を切り落としてやります。」
16:10 王は言った。「ツェルヤの息子たちよ、ほうっておいてくれ。主がダビデを呪えとお命じになったのであの男は呪っているのだろうから、『どうしてそんなことをするのか』と誰が言えよう。」
16:11 ダビデは更にアビシャイと家臣の全員に言った。「わたしの身から出た子がわたしの命をねらっている。ましてこれはベニヤミン人だ。勝手にさせておけ。主の御命令で呪っているのだ。
16:12 主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」
16:13 ダビデと一行は道を進んだ。シムイはダビデと平行して山腹を進み、呪っては石を投げ、塵を浴びせかけた。
16:14 王も同行の兵士も皆、疲れて到着し、そこで一息ついた。サムエル記下 16章5節~14節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』の第16章5節から14節より、「ダビデとシムイ」という題でお話します。
ダビデ王がバフリムまでやって来ると、そこに一人の男が現れました。彼はサウル家の一族の出で、その名をシムイと言い、ゲラの息子でありました。シムイは出て来るなり、呪いの言葉を吐き、ダビデと家臣全員に向かって石を投げつけました。新共同訳聖書は、「兵士、勇士が王の左右をすべて固めているにもかかわらず」と翻訳していますが、聖書協会共同訳は、シムイがダビデに石を投げつけたので、「民と兵士たちは皆、王の左右を固めた」と翻訳しています。シムイは呪ってこう言いました。「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ。お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ」。シムイは、ダビデが「サウル家のすべての血を流して王位を奪った」と言っています。これは、サウルやヨナタン、アブネル(サウル軍の司令官)やイシュ・ボシェト(サウルの息子)のことを言っているようです。これまで私たちは、ダビデが、サウルやヨナタン、アブネルやイシュボシェトの死に関わっていないことを学んできました。しかし、シムイは、「ダビデが裏で糸を引いており、サウル家の者たちは、ダビデによって殺された」と考えていたのです。そして、このように考える人も多かったのだと思います(特にベニヤミン人の中に)。それで、『サムエル記』の著者は、そうではないということを、これまで記して来たわけです。シムイによれば、ダビデが息子アブサロムに謀反を起こされ、都エルサレムを去ることは、ダビデがサウル家の血を流しサウルから王位を奪ったことに対する主の報復であるのです。シムイは、「主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ」とまで言うのです。シムイがダビデに「お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ」と言う時、シムイが言う「流血の罪」とは、「サウル家の血を流した罪」のことです。しかし、ダビデは、「流血の罪」を「ヘト人ウリヤの血を流した罪」のことであると理解したと思います。そして、まさしく、ダビデが受けている災難は、ダビデがヘト人ウリヤの血を流したことに原因があるのです。第12章9節と10節前半で、預言者ナタンは、ダビデにこう告げていました。「なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣にかけて殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう」。ダビデは、自分がウリヤの血を流したゆえに、今、災難を受けていることを知っているのです。
ツェルヤ(ダビデの姉妹)の子アビシャイが王にこう言いました。「なぜあの死んだ犬に主君、王を呪わせておかれるのですか。行かせてください。首を切り落としてやります」。アビシャイは、シムイの言動に我慢できないのです(サムエル上26:8参照)。しかし、王はこう言いました。「ツェルヤの息子たちよ、ほうっておいてくれ。主がダビデを呪えとお命じになったのであの男は呪っているのだろうから、『どうしてそんなことをするのか』と誰が言えよう」。ここで、「ツェルヤの息子たち」とありますから、アビシャイだけではなく、ヨアブもシムイを殺そうとしたようです。ダビデは、「ほうっておいてくれ」「あなたがたと何の関わりがあるのか」(聖書協会共同訳)と言ってシムイを殺すことを禁じたのです。もし、ここで、ダビデの命令によってアビシャイがシムイを殺すようなことがあれば、ダビデがサウル家の血を流して王位を奪ったことを証明することになってしまいます。ですから、ダビデがアビシャイに、シムイを殺すことを禁じたのは、政治的にも正しい判断であったのです。けれども、ダビデがアビシャイにシムイを殺すことを禁じたのは、宗教的な判断によるものでした。「主がダビデを呪えとお命じなったのであの男は呪っているのだろうから、『どうしてそんなことをするのか』と誰が言えよう」とダビデは言うのです。ダビデは、自分がウリヤの血を流したゆえに、災難を受けていることを知っていました。それゆえ、ダビデは、シムイの呪いの言葉を主からのものとして受けとめるのです。
ダビデは更にアビシャイと家臣の全員にこう言いました。「わたしの身から出た子がわたしの命をねらっている。ましてこれはベニヤミン人だ。勝手にさせておけ。主のご命令で呪っているのだ。主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない」。ダビデは、シムイの呪いの言葉を主からの懲らしめとして受けとめます。ダビデは、「主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかも知れない」と言うのです。そして、このダビデの言葉のとおり、のちに主はダビデに幸いを返してくださるのです。ダビデはアブサロムに勝利し、王として再びエルサレムに戻ってくることになるのです。「主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない」。このダビデの言葉は、ダビデの子孫であり、私たちの王であるイエス・キリストにおいても実現しました。父なる神様は、十字架に磔にされたイエス様の苦しみを御覧になり、呪いに代えて幸いを返してくださいました。父なる神様は、イエス様を死者の中から栄光の体で復活させられ、ご自分の右の座へと挙げられ、全世界の王とされたのです。
ダビデと一行は道を進んで行きました。そして、シムイもダビデと平行して山腹を進み、呪っては石を投げ、塵を浴びせかけました。石を投げることは、殺人の罪を犯した者への石打の刑を意味します。塵を浴びせることは、葬りを意味しています。シムイは、ダビデを呪い、殺し、葬ってやりたいことを言葉と行いにおいて表したわけです。14節に、「王も同行の兵士も皆、疲れて到着し、そこで一息ついた」と記されています。「そこ」とはどこなのか分かりませんが、おそらく、第15章28節に記されていた「荒れ野の渡し場」であると思います。ダビデは、祭司たちをエルサレムに戻すにあたって、「分かったか。わたしはあなたたちからの知らせを受けるまで、荒れ野の渡し場で待っている」と言いました。その「荒れ野の渡し場」、「ヨルダン川のほとり」にダビデたちは着いたのです。