ダビデとフシャイ 2022年10月19日(水曜 聖書と祈りの会)

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ダビデとフシャイ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記下 15章30節~37節

聖句のアイコン聖書の言葉

15:30 ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った。
15:31 アヒトフェルがアブサロムの陰謀に加わったという知らせを受けて、ダビデは、「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」と祈った。
15:32 神を礼拝する頂上の場所に着くと、アルキ人フシャイがダビデを迎えた。上着は裂け、頭に土をかぶっていた。
15:33 ダビデは彼に言った。「わたしと一緒に来てくれてもわたしの重荷になるだけだ。
15:34 都に戻って、アブサロムにこう言ってくれ。『王よ、わたしはあなたの僕です。以前、あなたの父上の僕でしたが、今からはあなたの僕です』と。お前はわたしのためにアヒトフェルの助言を覆すことができる。
15:35 都には祭司ツァドクとアビアタルもいて、お前と共に行動する。王宮で耳にすることはすべて祭司のツァドクとアビアタルに伝えてほしい。
15:36 また、そこには彼らの二人の息子も共にいる。ツァドクの息子アヒマアツ、アビアタルの息子ヨナタンだ。耳にすることは何でもこの二人を通してわたしのもとに伝えるようにしてくれ。」
15:37 こうしてダビデの友フシャイは都に入った。アブサロムもエルサレムに入城した。サムエル記下 15章30節~37節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記下』の第15章30節から37節より、「ダビデとフシャイ」という題でお話しします。

 ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行きました。頭を覆うこと、はだしで歩くこと、泣くことは、嘆き悲しみの表現です。ダビデは、体全体で都エルサレムを去る悲しみを表して、オリーブ山を登って行きました。また、同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行きました。このように、ダビデと兵士たちは、主の御前に、嘆き悲しんだのです。ある人が、ダビデの顧問であるアヒトフェルがアブサロムの陰謀に加わったことを伝えました(15:12参照)。その知らせを受けて、ダビデはこう祈ります。「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」。ここでダビデは、「主よ」「ヤハウェよ」と呼びかけています。主、ヤハウェとは、その昔、モーセに示された神様の御名前で、「わたしはあなたと共にいる」という約束を含み持つ御名前であります(出エジプト3:12参照)。ダビデは、自分と共におられる神様に、「主よ」と呼びかけ、「アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」と祈ったのです。山の頂上にある神様を礼拝する場所に着くと、アルキ人フシャイがダビデを迎えました。フシャイの上着は裂け、頭には土をかぶっていました。これも嘆き悲しみを表しています。フシャイは、上着を裂き、頭に土をかぶることによって、自分がダビデと一緒に嘆き悲しむ者であることを表したのです。ダビデは、フシャイにこう言いました。「わたしと一緒に来てくれてもわたしの重荷になるだけだ。都に戻って、アブサロムにこう言ってくれ。『王よ、わたしはあなたの僕です。以前、あなたの父上の僕でしたが、今からはあなたの僕です』と。お前はわたしのためにアヒトフェルの助言を覆すことができる。都には祭司ツァドクとアビアタルもいて、お前と共に行動する。王宮で耳にすることはすべて祭司のツァドクとアビアタルに伝えてほしい。また、そこには彼らの二人の息子も共にいる。ツァドクの息子アヒマアツ、アビアタルの息子ヨナタンだ。耳にすることは何でもこの二人を通してわたしのもとに伝えるようにしてくれ」。このダビデの言葉から推測すると、フシャイは高齢であり、王に助言する地位の高い者であったようです(19:36のバルジライの言葉を参照)。37節に、「ダビデの友フシャイ」とありますが、「王の友」は宮廷の地位の高い役職のことです(列王上4:5参照)。王に助言をしたり、王の代理人を務める人を「王の友」と呼んだのです。これからダビデは、どこへ行くかも分からない放浪生活に入ります。戦力となるガト人イタイとは違い、高齢であるフシャイがダビデと一緒に来ても重荷になるだけであるのです(17:22、18:2参照)。それよりも、都エルサレムに戻り、アブサロムに取り入って、アヒトフェルの助言を覆し、情報を伝えてくれるように、ダビデは命じるのです。

前回、私たちは、ダビデが、祭司ツァドクとアビアタルとその息子たちを、神の箱と一緒にエルサレムに戻したお話しを学びました。その祭司たちを通じて、アブサロムの動きを伝えるようにと頼むのです。これは、危険が伴うことです。アブサロムは祭司たちを殺すようなことはしないと思いますが、王の友であるフシャイは殺すかも知れません。しかし、フシャイは、ダビデの友であるゆえに、命じられたとおり、都に入ったのです。フシャイは「王の友」という職務についていただけではなく、個人的にも「ダビデの友」であったのです。フシャイがエルサレムに戻ると、アブサロムもエルサレムに入城しました。間一髪という感じですね。

 今朝の御言葉で教えられることは、主がダビデの祈りを聞いてくださったということです。ダビデは、「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」と祈りました。その祈りを主は聞いてくださり、アルキ人フシャイを備えてくださったのです。アルキ人フシャイがダビデを迎えた場所が、神を礼拝する場所であったことは、主がフシャイを備えてくださったことを示しています。そして、ダビデは、そのフシャイを用いて、アヒトフェルの助言を覆し、空しいものとすることを企てるのです。ダビデは、主に願うだけではなくて、その願いを実現させるために、最善を尽くすのです。そして、第17章を読みますと、アヒトフェルの助言よりも、フシャイの助言が採用されることにより、ダビデは、アブサロムに勝利することができるのです。第17章14節に、こう記されています。

アブサロムも、どのイスラエル人も、アルキ人フシャイの提案が、アヒトフェルの提案にまさると思った。アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである。

このように、ダビデが、フシャイを都に戻し、アブサロムの僕を装わせることによって、「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」というダビデの祈りは実現することになるのです。

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