テコアの女とダビデ 2022年9月14日(水曜 聖書と祈りの会)
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テコアの女とダビデ
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記下 14章1節~24節
聖書の言葉
14:1 ツェルヤの子ヨアブは、王の心がアブサロムに向かっていることを悟り、
14:2 テコアに使いを送って一人の知恵のある女を呼び寄せ、彼女に言った。「喪を装ってほしい。喪服を着、化粧もせず、長い間死者のために喪に服しているように装うのだ。
14:3 そして王のもとに行き、こう語りなさい。」ヨアブは語るべき言葉を彼女に与えた。
14:4 テコアの女は王の前に出ると、地にひれ伏して礼をし、「王様、お救いください」と言った。
14:5 「どうしたのだ」と王が尋ねると、彼女は言った。「わたしは実はやもめでございます。夫は亡くなりました。
14:6 はしためには二人の息子がおりました。ところが二人は畑でいさかいを起こし、間に入って助けてくれる者もなく、一人がもう一人を打ち殺してしまいました。
14:7 その上、一族の者が皆、このはしためを責めて、『兄弟殺しを引き渡せ。殺した兄弟の命の償いに彼を殺し、跡継ぎも断とう』と申すのです。はしために残された火種を消し、夫の名も跡継ぎも地上に残させまいとしています。」
14:8 王は女に言った。「家に帰るがよい。お前のために命令を出そう。」
14:9 テコアの女は王に言った。「主君である王様、責めは、わたしとわたしの父の家にございます。王様も王座も責めを負ってはなりません。」
14:10 王は言った。「お前にあれこれ言う者がいたら、わたしのもとに連れて来なさい。その者がお前を煩わすことは二度とない。」
14:11 彼女は言った。「王様、どうかあなたの神、主に心をお留めください。血の復讐をする者が殺戮を繰り返すことのありませんように。彼らがわたしの息子を断ち滅ぼしてしまいませんように。」王は答えた。「主は生きておられる。お前の息子の髪の毛一本たりとも地に落ちることはない。」
14:12 女は言った。「主君である王様、はしためにもうひと言申し述べさせてください。」王は言った。「語るがよい。」
14:13 女は言った。「主君である王様、それではなぜ、神の民に対してあなたはこのようにふるまわれるのでしょう。王様御自身、追放された方を連れ戻そうとなさいません。王様の今回の御判断によるなら、王様は責められることになります。
14:14 わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。神は、追放された者が神からも追放されたままになることをお望みになりません。そうならないように取り計らってくださいます。
14:15 王様のもとに参りまして、このようなことを申し上げますのは、民がわたしに恐怖を与えるからでございます。王様に申し上げれば、必ずはしための願いをかなえてくださると思いました。
14:16 王様は聞き届けてくださいました。神からいただいた嗣業の地からわたしと息子を断ち滅ぼそうとする者の手から、はしためを救ってくださいます。
14:17 はしためは、主君である王様のお言葉が慰めになると信じて参りました。主君である王様は、神の御使いのように善と悪を聞き分けられます。あなたの神、主がどうかあなたと共におられますように。」
14:18 王は女に言った。「わたしがこれから問うことに、隠し立てをしないように。」女は答えた。「王様、どうぞおっしゃってください。」
14:19 王は言った。「これはすべて、ヨアブの指図であろう。」女は答えて言った。「王様、あなたは生きておられます。何もかも王様の仰せのとおりでございます。右にも左にもそらすことはできません。王様の御家臣ヨアブがわたしにこれを命じ、申し上げるべき言葉をすべて、はしための口に授けたのでございます。
14:20 御家臣ヨアブが事態を変えるためにこのようなことをしたのです。王様は神の御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上に起こることをすべてご存じです。」
14:21 王はヨアブに言った。「よかろう、そうしよう。あの若者、アブサロムを連れ戻すがよい。」
14:22 ヨアブは地にひれ伏して礼をし、王に祝福の言葉を述べた。ヨアブは言った。「王よ、今日僕は、主君、王の御厚意にあずかっていると悟りました。僕の言葉を実行してくださるからです。」
14:23 ヨアブは立ってゲシュルに向かい、アブサロムをエルサレムに連れ帰った。
14:24 だが、王は言った。「自分の家に向かわせよ。わたしの前に出てはならない。」アブサロムは自分の家に向かい、王の前には出なかった。サムエル記下 14章1節~24節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』の第14章1節から24節より、「テコアの女とダビデ」という題でお話しします。
前回、私たちは、アブサロムがアムノンを殺害して、ゲシュルに逃亡したことを学びました。今朝の御言葉には、それから三年後のことが記されています(13:38参照)。
ツェルヤの子ヨアブは、王の心がアブサロムに向かっていることを悟り、テコアに使いを送って、一人の知恵のある女を呼び寄せ、彼女にこう言いました。「喪を装ってほしい。喪服を着、化粧もせず、長い間死者のために喪に服しているように装うのだ。そして王のもとに行き、こう語りなさい」。そして、ヨアブは語るべき言葉を彼女に与えました。ヨアブは、アブサロムをエルサレムに連れ戻すために、テコアの女を用いて、ダビデを説得しようとするのです。
テコアの女は王の前に出ると、地にひれ伏して礼をし、「王様、お救いください」と言いました。テコアの女は、王であるダビデに裁きを願い出るのです。「どうしたのだ」と王が尋ねると、彼女はこう言いました。「わたしは実はやもめでございます。夫は亡くなりました。はしためには二人の息子がおりました。ところが二人は畑でいさかいを起こし、間に入って助けてくれる者もなく、一人がもう一人を打ち殺してしまいました。その上、一族の者が皆、このはしためを責めて、『兄弟殺しを引き渡せ。殺した兄弟の命の償いに彼を殺し、跡継ぎも断とう』と申すのです。はしために残された火種を消し、夫の名も跡継ぎも地上に残させまいとしています」。一族の者は、残っている息子を殺して、やもめの地所や財産を自分たちのものにしようとしていたようです。確かに、律法にはこう記されています。「敵意を抱いて殴りつけて、人を死なせた場合、手出しをした者は必ず死刑に処せられる。彼は殺害者である。血の復讐をする者は、その殺害者に出会うとき殺すことができる」(民数35:21)。しかし、もし、兄弟を殺害した息子が殺されてしまえば、夫の名と跡継ぎも残すことができなくなってしまいます。夫の名と跡継ぎを残し、家を存続させることも、律法によって定められていたことでありました(申命25章のレビラート婚など)。血の復讐と家の存続、これらはどちらも律法が命じていることであります。それで、このやもめは、王であるダビデに助けを求めたのです。王は女にこう言いました。「家に帰るがよい。お前のために命令を出そう」。この命令は、やもめのために出す命令ですから、「やもめの夫の名と跡継ぎを残すために、やもめの息子を殺してはならない」という命令であると思います。テコアの女は王にこう言いました。「主君である王様、責めはわたしとわたしの父の家にございます。王様も王座も責めを負ってはなりません」。ここでの責めは「血の復讐の責め」のことだと思います。テコアの女は、「兄弟を殺害した者を殺害してはならないと命じることは、血の復讐の責めを王様に負わせることになってしまう」と言うのです。王はこう言いました。「お前にあれこれ言う者がいたら、わたしのもとに連れて来なさい。その者がお前を煩わすことは二度とない」。このように、ダビデは、血の復讐の責めを自ら負うのです。テコアの女はこう言いました。「王様、どうかあなたの神、主に心をお留めください。血の復讐をする者が殺戮を繰り返すことのありませんように。彼らがわたしの息子を断ち滅ぼしてしまいませんように」。このように、テコアの女は、主の御前に誓うよう、王を誘導するのです。そして、王はこう誓うのです。「主は生きておられる。お前の息子の髪の毛一本たりとも地に落ちることはない」。このように、ダビデは、主の御前に、兄弟殺しの息子の命が守られることを保証するのです。
女はこう言いました。「主君である王様、はしためにもうひと言申し述べさせてください」。王が「語るがよい」と言うと、女はこう言いました。「主君である王様、それではなぜ、神の民に対してあなたはこのようにふるまわれるのでしょう。王様御自身、追放された方を連れ戻そうとはなさいません。王様の今回のご判断によるなら、王様は責められることになります。わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。神は、追放されたままになることをお望みになりません。そうならないように取り計らってくださいます」(14節まで)。アブサロムが兄アムノンを殺害し、国外に逃亡してから3年が経っていました。しかし、ダビデはアムノンを殺したアブサロムを連れ戻そうとはしませんでした。それは、先程のダビデの判断によれば、責められることになると、テコアの女は言うのです。兄アムノンを殺して追放されたアブサロムを呼び戻そうとしないダビデは、血の復讐によって家を存続させない者となってしまうのです。
14節に、「わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます」とありますが、これは殺されたアムノンのことを言っているようです。テコアの女は、「死んでしまったアムノンを悼み続けることではなく、追放されたアブサロムを連れ戻すことが神様の御心である」と言うのです。
15節から、話の内容が、テコアの女の家の話に戻っています。女は、そうすることによって、王の家のお話しを、ついでにしたかのように装うのです。「王様のもとに参りまして、このようなことを申し上げますのは、民がわたしに恐怖を与えるからでございます。王様に申し上げれば、必ずはしための願いをかなえてくださると思いました。王様は聞き届けてくださいました。神からいただいた嗣業の地からわたしと息子を断ち滅ぼそうとする者の手から、はしためを救ってくださいます。はしためは、主君である王様のお言葉が慰めになると信じて参りました。主君である王様は、神の使いのように善と悪を聞き分けられます。あなたの神、主がどうかあなたと共におられますように」。このテコアの女の言葉は、ダビデにアブサロムを連れ戻すようにと強要する言葉ですね。このテコアの女の話は、かつてのナタンの叱責のときと似ています。ナタンの話よりも手が込んでいると言えるでしょう。ダビデもそのことに気づきました。王は女にこう言います。「わたしがこれから問うことに隠し立てをしないように」。女が「王様、どうぞおっしゃってください」と答えると、王はこう言いました。「これはすべて、ヨアブの指図であろう」。女は答えてこう言いました。「王様、あなたは生きておられます。何もかも王様の仰せのとおりでございます。右にも左にもそらすことはできません。王様の御家臣ヨアブがわたしにこれを命じ、申し上げるべき言葉をすべて、はしための口に授けたのでございます。御家臣ヨアブが事態を変えるためにこのようなことをしたのです。王様は神の御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上に起こることをすべて御存じです」。テコアの女は、すべてを打ち明けました。そして、「王様は神の御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上に起こることはすべてご存じです」とダビデをほめたたえるのです。このテコアの女は確かに知恵のある女であります。ダビデは、テコアの女との対話により、自分とアブサロムのことを客観的に捉え、自分が何をなすべきかを悟ったのです。王はヨアブにこう言います。「よかろう、そうしよう。あの若者、アブサロムを連れ戻すがよい」。ヨアブは地にひれ伏して礼をし、王に祝福の言葉を述べました。「王よ、今日僕は、主君、王の御厚意にあずかっていると悟りました。僕の言葉を実行してくださるからです」。そして、ヨアブは立って、ゲシュルに向かい、アブサロムをエルサレムに連れ帰りました。しかし、王はこう言いました。「自分の家に向かわせよ。わたしの前に出てはならない」。ダビデは、何もなかったように、アブサロムを受け入れることはできなかったのです。