取り去られない主の慈しみ 2022年7月27日(水曜 聖書と祈りの会)
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取り去られない主の慈しみ
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 12章24節~31節
聖書の言葉
12:24 ダビデは妻バト・シェバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バト・シェバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子を愛され、
12:25 預言者ナタンを通してそのことを示されたので、主のゆえにその子をエディドヤ(主に愛された者)とも名付けた。
12:26 ヨアブはアンモン人の町ラバと戦い、この王の町を陥れた。
12:27 ヨアブは使者をダビデに送って言わせた。「わたしはラバと戦い、『水の町』を陥れました。
12:28 直ちに残りの兵士を集結させ、この町に対して陣を敷き、陥れてください。わたしがこの町を陥れると、この町はわたしの名で呼ばれてしまいます。」
12:29 ダビデは兵士全員を集結させ、ラバに出撃して戦い、これを陥れた。
12:30 ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った。それは一キカルの金で作られ、宝石で飾られていた。これはダビデの頭を飾ることになった。ダビデがこの町から奪い去った戦利品はおびただしかった。
12:31 そこにいた人々を引き出し、のこぎり、鉄のつるはし、鉄の斧を持たせて働かせ、れんが作りをさせた。また、アンモン人のほかの町々もすべてこのようにした。それからダビデと兵士は皆、エルサレムに凱旋した。サムエル記下 12章24節~31節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』の第12章24節から31節より、「取り去られない主の慈しみ」という題でお話しします。
前回、私たちは、ダビデの罪を担って、ダビデの子が死んだお話しを学びました。ダビデは、主の憐れみを求めて断食しました。しかし、七日目にダビデの子は死んでしまったのです。そのことを知ったダビデは、地面から起き上がり、身を洗って香油を塗り、衣を替え、主の家に行って礼拝しました。そして、王宮に戻り、食事をしたのです。このことは、子供の死によって、主との関係が回復したこと。ダビデが過去のことよりも、将来のことへ心を向けたことを示しています。ダビデの家臣に対する言葉、「だが死んでしまった。断食したところで、何になろう。あの子を呼び戻せようか。わたしはいずれあの子のところに行く。しかし、あの子がわたしのもとに帰って来ることはない」という言葉は、ダビデが過去のことではなく、将来へと心を向けたことを端的に示しているのです。今朝の御言葉は、その続きであります。
ダビデは妻バト・シェバを慰め、彼女のところに行って床を共にしました。ここで「ダビデの妻バト・シェバ」と記されていることに注意したいと思います。バト・シェバは、もはやウリヤの妻ではなく、ダビデの妻であるのです。バト・シェバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けました。主はダビデとバトシェバに、亡くなった男の子に代わる男の子を授けてくださいました(創世4:25参照)。そのようにして、主はダビデとバトシェバを慰めてくださったのです。ダビデは、その男の子に、ソロモンという名前をつけました。ソロモンとは、平和(シャローム)という意味です。ダビデとバトシェバに、男の子が授けられたことは、主との平和が回復したことを示しているのです。
主はその子を愛され、預言者ナタンを通してそのことを示されました。それで、ダビデは、主のゆえに、その子をエディドヤ(主に愛された者)とも名付けました。このようにして、主は、ソロモンがダビデの王位を継ぐ者となることを示されたのです(列王上1章参照)。
26節以下は、アンモン人との戦いの終わりについて記されています。
ヨアブは、アンモン人の町ラバと戦い、この王の町を陥れました。しかし、まだ、完全には陥れてはいませんでした。と言うのも、ヨアブは使者をダビデに送ってこう言わせているからです。「わたしはラバと戦い、『水の町』を陥れました。直ちに残りの兵士を集結させ、この町に対して陣を敷き、陥れてください。わたしがこの町を陥れると、この町はわたしの名で呼ばれてしまいます」。「水の町」とは、ラバに水を供給していた貯水池のある町のようです。その「水の町」を陥れた今、残るは、ラバだけとなりました。それで、指揮官であるヨアブは、王であるダビデに、兵士を引き連れて来て、陣を敷き、町を攻め落とすようにと願うのです。そうしないと、ラバは、ヨアブの町となってしまうと言うのです。エブス人の町エルサレムがダビデによって攻め落とされたゆえに、ダビデの町と呼ばれたように、もし、ヨアブがラバを攻め落とすようなことがあれば、ラバはヨアブの町と呼ばれることになるのです。そのようなことを避けるために、ヨアブは、ダビデに使者を送ったのでした。ヨアブは勝利や功績を、王であるダビデに譲るのです。ヨアブは、ダビデの忠実な家臣であり、王と家臣の微妙な関係をよく知っていたのです。かつて、王であったサウルは、その家臣ダビデの活躍を妬み、その命を狙うようになりました。そのことをヨアブは知っていたので、ヨアブは自分でラバを攻め落とすことをせず、ダビデ王に、ラバを攻め落とすよう願ったのです。
ダビデは兵士全員を集結させ、ラバに出撃して戦い、これを陥れました。主はダビデに勝利を与えられたのです。ダビデは、その王(ハヌン)の冠を王の頭から奪い取りました。その冠は一キカルの金で造られ、宝石で飾られていました。一キカルは、およそ35キログラムです。ですから、これは誇張であると思われます。また、「これはダビデの頭を飾ることになった」も象徴的な表現であると思います。このことは、ダビデ王がアンモン人の町を、直接、支配下に置いたことを示しています。アンモン人の町は、イスラエルとして組み込まれたのです。守備隊を置いて隷属させるのではなく、ダビデが王として直接統治したのです。
ダビデは、この町からおびただしい戦利品を奪い去りました。また、そこにいた人々を捕虜として、のこぎり、鉄のつるはし、鉄の斧を持たせて働かせ、れんが作りをさせました。ダビデは、アンモン人の他の町々にも、同じように強制労働を課したのです。『出エジプト記』の第1章に、エジプト人がイスラエルの人々に、重労働を課して虐待したことが記されていました。ダビデは、それと同じことを、アンモンの人々に対して行ったのです。
ダビデと兵士は皆、エルサレムに凱旋しました。アンモン人の王ハヌンが、ダビデの家臣を捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣服も半分、腰から下を切り落としたことによって始まった戦いは、イスラエルの勝利によって幕を閉じたのです。