ダビデの罪 2022年6月22日(水曜 聖書と祈りの会)
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ダビデの罪
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 11章1節~13節
聖書の言葉
11:1 年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ダビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の家臣、そしてイスラエルの全軍を送り出した。彼らはアンモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。
11:2 ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった。
11:3 ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった。
11:4 ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。彼女は汚れから身を清めたところであった。女は家に帰ったが、
11:5 子を宿したので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。
11:6 ダビデはヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。
11:7 ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。
11:8 それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って足を洗うがよい。」ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。
11:9 しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰らなかった。
11:10 ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。「遠征から帰って来たのではないか。なぜ家に帰らないのか。」
11:11 ウリヤはダビデに答えた。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。あなたは確かに生きておられます。わたしには、そのようなことはできません。」
11:12 ダビデはウリヤに言った。「今日もここにとどまるがよい。明日、お前を送り出すとしよう。」ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。
11:13 ダビデはウリヤを招き、食事を共にして酔わせたが、夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り、家には帰らなかった。サムエル記下 11章1節~13節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』の第11章1節から13節より、「ダビデの罪」という題でお話しします。
前回学んだ、第10章14節に、こう記されていました。「アラム軍が逃げるのを見ると、アンモン人も、アビシャイの前から逃げ出し、町の中に入った。ヨアブはアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰った」。今朝の御言葉は、この続きとして記されています。
年が改まり、王たちが出陣する時期になりました。これは具体的には、冬の雨期が終わって、乾期を迎えた夏の初め頃を指しています(イスラエルでは春と秋は短い)。ダビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の家臣とイスラエルの全軍を送り出しました。彼らはアンモン人を滅ぼし、その都ラバを包囲しました。しかし、ダビデ自身はエルサレムにとどまっていました。ダビデは、出陣しなかったのです。
ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していました。ダビデは、屋上から一人の女が水を浴びているのを目に留めました。「女は大層美しかった」と記されています。ダビデは、水を浴びている美しい女の姿を見て、関係を持ちたいと願いました。それで、ダビデは人をやって女のことを尋ねさせます。ダビデは、その女が、エリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻であることを知りました。「エリアム」も「ヘト人ウリヤ」もダビデの勇士たちでありました(23:34、39参照)。ちなみに「バト・シェバ」は「誓いの娘」という意味です。ダビデが関係を持ちたいと願った女は、自分の勇士であるエリアムの娘であり、ヘト人ウリヤの妻である。そのように聞けば、諦めてもよさそうですが、ダビデは、使いの者をやって彼女を召し入れ、床を共にしました。ダビデは、女がヘト人ウリヤの妻であることを知りながら、床を共にしたのです。ダビデは、このことを誰にも知られることはないと考えていました。しかし、女はダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせたのです。「彼女は汚れから身を清めたところであった」とありますから、その子供は、間違いなくダビデの子供です(レビ15:19「女性の生理が始まったならば、七日間は月経期間であり、この期間に彼女に触れた人はすべて夕方まで汚れている」参照)。ヘト人ウリヤの妻バト・シェバが宿した子供は、彼女が姦淫の罪を犯したことの証拠と言えます。そのことを、夫のウリヤが知ったら、相手の男が誰であるかを問い詰めることでしょう。そうすれば、その男がダビデであることが知られてしまいます。姦淫の罪の刑罰は、男も女も死刑です。『レビ記』の第20章10節には、次のように記されています。「人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる」。(申命22:22も参照)。異邦人の国でしたら、王は法律のうえにおり、法律によって処刑されることはありません。しかし、イスラエルでは違います。イスラエルのまことの王は、主なる神、ヤハウェであり、イスラエルの律法は、まことの王ヤハウェによって定められた掟であるのです。王であるダビデといえども、律法のもとにおり、律法によって裁かれるのです。
それで、ダビデは、策を講じます。ヘト人ウリヤを呼び戻し、家に帰らせ、妻と床を共にさせて、お腹の子供がウリヤの子供であるかのように見せかけるのです。ダビデは、ヨアブにヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送りました。ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否、戦況(戦いの状況)について尋ねました(「安否」と訳されているヘブライ語はシャローム。戦況は直訳すると「戦争のシャローム」となる)。ダビデは、ウリヤから戦況を聞くために呼び戻したかのように装うのです。しかし、ダビデの目的は、ウリヤを家に帰らせて、妻と床を共にさせることでありました。ですから、ダビデは、ウリヤに、「家に帰って足を洗うがよい」と命じるのです。
ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続きました。この贈り物は、良い知らせをもたらした報酬としての御馳走であったと思われます。しかし、ウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰りませんでした。ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに、こう尋ねます。「遠征から帰って来たのではないか。なぜ家に帰らないのか」。ウリヤはダビデに、こう答えました。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。あなたは確かに生きておられます。わたしには、そのようなことはできません」。ウリヤはヘト人でありますが、イスラエルの神ヤハウェに忠実な者でありました。ちなみに、「ウリヤ」という名前の意味は「ヤハウェはわが光」という意味です。このことは、ウリヤの親がヤハウェを信じる者であり、ウリヤがイスラエルの契約の中で育ったことを示しています。「神の箱」が戦場に持ち出されていたことは、この戦いが主の戦い、聖戦であったことを示しています。そのような戦いにおいて、兵士たちには女を遠ざけることが命じられていました(申命23:10~15、サムエル上21:6参照)。また、主人ヨアブと兵士たちが野宿している以上、自分だけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にすることはできないと言うのです。しかも、そのことを、ウリヤは、ダビデの命にかけて誓うのです(「あなたは確かに生きておられます」参照)。このウリヤの言葉は、皮肉のようにも聞こえます。なぜなら、ダビデは、神の箱も、家臣たちも野営しているとき、その家臣の妻と床を共にしていたからです。
ダビデはウリヤにこう言いました。「今日もここにとどまるがよい。明日、お前を送り出すことにしよう」。そして、ダビデは、ウリヤを招き、食事を共にして酔わせました。ダビデは、ウリヤが酒に酔えば、家に帰って、妻と床を共にするのではないかと期待したわけです。しかし、ウリヤは、主君の家臣たちと共に眠り、家には帰りませんでした。この続きは、次回学びますが、ダビデは、ウリヤにヨアブ宛の書状を託します。そして、その書状には、「ウリヤを激しい最前線に出し、戦死させるように」と記されていたのです。このようにして、ダビデは、食事を共にした親しい者を裏切る者となるのです。ダビデと言えば、イエス様を指し示す人物であります。しかし、ここで、ダビデは、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダのような人物として描かれているのです。