アンモン、アラムとの戦い 2022年6月15日(水曜 聖書と祈りの会)
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アンモン、アラムとの戦い
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 10章1節~19節
聖書の言葉
10:1 その後、アンモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。
10:2 ダビデは、「ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ」と言って、使節を遣わして哀悼の意を表そうとした。ところが、ダビデの家臣たちがアンモン人の領地に入ると、
10:3 アンモン人の高官たちは主君ハヌンに言った。「ダビデがお父上に敬意を表して弔問の使節を送って来たとお考えになってはなりません。この町を探りうかがい、倒そうとして、家臣を送り込んだにちがいありません。」
10:4 それでハヌンはダビデの家臣を捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣服も半分、腰から下を切り落として追い返した。
10:5 この人たちが甚だしい辱めを受けたという知らせがダビデに届くと、ダビデは人を遣わして彼らを迎えさせ、王の伝言として、「ひげが生えそろうまでエリコにとどまり、それから帰るように」と言わせた。
10:6 アンモン人は、ダビデの憎しみをかったと悟ると、ベト・レホブおよびツォバのアラム人に人を遣わして歩兵二万を傭兵として要請し、マアカの王には兵一千、トブには兵一万二千を要請した。
10:7 これを聞いたダビデは、ヨアブをはじめ勇士たちの全軍を送り出した。
10:8 アンモン人は城門の入り口まで出て戦いに備え、ツォバとレホブのアラム兵およびトブとマアカの兵は野にあって戦いに備えた。
10:9 ヨアブは戦線が前方と後方にあるのを見て、イスラエルの全精鋭から兵をえりすぐり、アラム軍に向かって戦列を整え、
10:10 残りの兵士を兄弟アビシャイの指揮にゆだねて、アンモン軍に向かって戦列を整えさせた。
10:11 ヨアブは言った。「アラム人がわたしより強ければ、こちらを助けてくれ。アンモン人がお前より強ければ、そちらを助けに行く。
10:12 我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように。」
10:13 ヨアブと彼に従う兵士たちが戦おうと迫ると、アラム軍はヨアブの前から逃げ去った。
10:14 アラム軍が逃げるのを見ると、アンモン人も、アビシャイの前から逃げ出し、町の中に入った。ヨアブはアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰った。
10:15 イスラエルに打ち負かされたと見ると、アラムは団結し、
10:16 ハダドエゼルは人を遣わして、ユーフラテスの向こうにいたアラム軍を出動させた。彼らは、ハダドエゼルの軍の司令官ショバクに率いられてヘラムに着いた。
10:17 報告を受けたダビデもイスラエルの全軍を集結させ、ヨルダン川を渡ってヘラムに向かった。アラム軍は戦列を整えてダビデを迎え撃ち、戦ったが、
10:18 彼らはイスラエルの前から逃げ去った。ダビデはアラムの戦車兵七百、騎兵四万を殺し、軍の司令官ショバクもその場で打ち殺した。
10:19 ハダドエゼルに隷属していた王たちは皆、イスラエルに敗北したことを認めて和を請い、イスラエルに隷属した。アラム人は恐れて、二度とアンモン人を支援しなかった。サムエル記下 10章1節~19節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』の第10章1節から19節より、「アンモン、アラムとの戦い」という題でお話しします。
そののち、アンモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となりました。ダビデは、「ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ」と言って、使節を遣わして哀悼の意を表そうとしました。前回、私たちは、ダビデがヨナタンのために、その息子メフィボシェトに忠実を尽くしたことを学びました。この「忠実」と訳されているヘブライ語は、「契約に誠実な愛」を意味するヘセドという言葉です。ヨナタンの息子メフィボシェトに忠実を尽くしたダビデは、アンモン人の王の息子ハヌンにも忠実を尽くそうとするのです。ここには記されていませんが、ダビデとアンモン人の王ナハシュは、契約を結んでいたようです。ちなみに、アンモン人の王ナハシュは、『サムエル記上』の第11章で、ギレアドのヤベシュを包囲した人物であります。かつてギレアドのヤベシュを包囲したアンモン人の王ナハシュとダビデは、友好的な契約を結んでいたのです。そして、それはおそらく、ダビデがサウルの手から逃れていたときであると考えられているのです。
ダビデは、新しくアンモン人の王となったハヌンにも、忠実を尽くそうと、使節を遣わし、哀悼の意を表そうとしました。ところが、ダビデの家臣たちがアンモン人の領地に入ると、アンモン人の高官たちは主君ハヌンに、こう言いました。「ダビデがお父上に敬意を表して弔問の使節を送って来たとお考えになってはなりません。この町を探りうかがい、倒そうとして、家臣を送り込んで来たにちがいありません」。このように、アンモン人の高官たちは、ダビデの善意を悪意として曲解するのです。「ダビデは、自分たちを倒すために、スパイとして、使節を送って来たのだ」と言うのです。ハヌンは、この高官たちの言葉を真に受けて、ダビデの家臣を捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣服も半分、腰から下を切り落として追い返しました。このことは、甚だしい辱めでありました。それゆえ、ダビデは、人を遣わして彼らを迎え、伝言としてこう伝えたのです。「ひげが生えそろうまでエリコにとどまり、それから帰るように」。ひげの半分をそりおとされることは、そのままで、イスラエルに帰って来ることができないほどの辱めであったのです(古代オリエントの社会において、ひげは誇りと力の象徴であった)。
アンモン人は、ダビデの憎しみをかったと悟ると、ベト・レホブおよびツォバのアラム人に人を遣わして歩兵二万を傭兵として要請し、マアカの王には兵一千、トブには兵一万二千を要請しました。これを聞いたダビデは、ヨアブをはじめ勇士たちの全軍を送り出しました。アンモン人は城門の入り口まで出て戦いに備えました。また、ツォバとレホブのアラム兵およびトブとマアカの兵は野にあって戦いに備えました。これによって、ヨアブと勇士たちは、挟み撃ちにされたようです。ヨアブは戦線が前方と後方にあるのを見て、イスラエルの兵士たちを二つに分けました。そして、一つは自分が指揮し、アラム軍に向かって戦列を整え、もう一つは兄弟のアビシャイに委ねて、アンモン軍に向かって戦列を整えました。ヨアブはこう言います。「アラム人がわたしより強ければ、こちらを助けてくれ。アンモン人がお前より強ければ、そちらを助けに行く。我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように」。アンモン軍とアラム軍は、人数ではイスラエル軍より勝っています。しかし、その心意気では、アンモン軍とアラム軍よりも、イスラエル軍の方が勝っています。ヨアブと勇士たちは、「我らの民のために、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう」と言うのです。そして、そこには、「主(ヤハウェ)が良いと思われることをしてくださる」という信仰があるのです。それに対して、アラム軍は傭兵部隊です。お金のために雇われた兵士たちです。それゆえ、ヨアブと兵士たちが戦おうと迫ると、アラム軍はヨアブの前から逃げ去ってしまうのです。また、アラム軍が逃げるのを見ると、アンモン人も、アビシャイの前から逃げ出して、城壁のある町の中に入ってしまいました。ヨアブは、アンモン人をそのままにして引き上げ、エルサレムに帰りました。このアンモン人との戦いは、まだ終わっていません。第12章26節に、「ヨアブはアンモン人の町ラバと戦い、この王の町を陥れた」とあるように、第12章まで続くのです。そして、その間に、ダビデがウリヤの妻バト・シェバと関係を持ち、ウリヤをアンモン人との戦いの最前線に送って殺してしまうことが記されているのです。
15節からです。イスラエルに打ち負かされたと見ると、アラムは団結し、ハダドエゼルは人を遣わして、ユーフラテスの向こうにいたアラム軍を出動させました。「ハダドエゼル」については、第8章3節に記されていました。第8章3節から6節までに、ダビデが、ツォバの王レホブの子ハダドエゼルとアラム軍と戦い、勝利し、隷属させたことが記されていました。それと同じことが、別の資料に基づいて、第10章15節から19節に記されているのです。ダビデは、イスラエルの全軍を集結させ、ヨルダン川を渡ってヘラムに向かいました。そして、アラム軍と戦い、勝利を収めたのです。これにより、ハダドエゼルに隷属していた王たちは、ダビデに隷属することになりました。また、アラム人は恐れて、二度とアンモン人を支援しなくなったのです。