ダビデの祈り 2022年5月18日(水曜 聖書と祈りの会)
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ダビデの祈り
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 7章18節~29節
聖書の言葉
7:18 ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。
7:19 主なる神よ、御目には、それもまた小さな事にすぎません。また、あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。主なる神よ、このようなことが人間の定めとしてありえましょうか。
7:20 ダビデはこの上、何を申し上げることができましょう。主なる神よ、あなたは僕を認めてくださいました。
7:21 御言葉のゆえに、御心のままに、このように大きな御業をことごとく行い、僕に知らせてくださいました。
7:22 主なる神よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられるものはなく、あなた以外に神があるとは耳にしたこともありません。
7:23 また、この地上に一つでも、あなたの民イスラエルのような民がありましょうか。神は進んでこれを贖って御自分の民とし、名をお与えになりました。御自分のために大きな御業を成し遂げ、あなたの民のために御自分の地に恐るべき御業を果たし、御自分のために、エジプトおよび異邦の民とその神々から、この民を贖ってくださいました。
7:24 主よ、更にあなたはあなたの民イスラエルをとこしえに御自分の民として堅く立て、あなた御自身がその神となられました。
7:25 主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。
7:26 『万軍の主は、イスラエルの神』と唱えられる御名が、とこしえにあがめられますように。僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。
7:27 万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。
7:28 主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。
7:29 どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。」サムエル記下 7章18節~29節
メッセージ
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前回、私たちは、ナタンの預言について学びました。主は、預言者ナタンを通して、ダビデにこう言われました。11節後半から13節。「主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」。このナタンの預言は、いわゆるダビデ契約と言われます(詩89:4、5、29参照)。神様は、ダビデの子孫の王座をとこしえに堅く据えると約束してくださいました。その神様に対する感謝の祈りが、今朝の御言葉に記されています。
ダビデ王は、主が臨在される神の箱の前に座して、次のように言いました。18節後半から21節。「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。主なる神よ、御目には、それもまた小さな事にすぎません。また、あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。主なる神よ、このようなことが人間の定めとしてありえましょうか。ダビデはこの上、何を申し上げることができましょう。主なる神よ、あなたは僕を認めてくださいました。御言葉のゆえに、御心のままに、このように大きな御業をことごとく行い、僕に知らせてくださいました」。
ダビデは、「主なる神よ」と呼びかけます。この「主なる神よ」という呼びかけは、何度も出て来ます(20、22、25、28節)。これは珍しい言い方で、元の言葉を直訳すると「わたしの主人(アドナイ)であるヤハウェ」と記されています。ですから、岩波書店から出ている『旧約聖書』では「わが主、ヤハウェよ」と翻訳しています。ナタンの預言において、主は「わたしの僕ダビデ」と何度も語りました。それに応えて、ダビデは、「わが主、ヤハウェよ」と祈りをささげるのです。主は、牧場の羊の群れの後ろからダビデを取って、主の民イスラエルの指導者にされました(7:8参照)。主は、羊飼いであったダビデを、イスラエルを治める王にされたのです。その主の導きに感謝して、ダビデは、「何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか」と言うのです。主は、ダビデをイスラエルの王にされただけではなく、ダビデの子孫の王座を堅く据えると約束してくださいました。主はダビデに家(王朝)を起こすことを約束してくださったのです。その主の恵みに対して、ダビデは「主なる神よ、このようなことが人間の定めとしてありえましょうか」と言うのです。この神様の約束は、確かに、人間の定めから考えればあり得ないことです。このことは、ダビデの前の王、サウルのことを考えればよく分かります。サウルは主に油を注がれて、イスラエルの王となりました。しかし、サウルは、主の御言葉を退けたゆえに、王位から退けられました(サムエル上13:14、15:26参照)。しかし、主はダビデにこう約束されました。14節から16節。「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。あなたの家、あなたの王国はとこしえに堅く据えられる」。サウルから慈しみを取り去った主は、ダビデとその子孫に対しては、慈しみを取り去ることはないと言われるのです。それどころか、主がダビデの家、ダビデの王国をとこしえに堅く据えられると約束してくださるのです。主は、ダビデを認めてくださり、そのような御心を前もって知らせてくださったのです。
さらにダビデは祈ります。22節から24節。「主なる神よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられるものはなく、あなた以外に神があるとは耳にしたこともありません。また、この地上に一つでも、あなたの民イスラエルのような民がありましょうか。神は進んでこれを贖って御自分の民とし、名をお与えになりました。御自分のために大きな御業を成し遂げ、あなたの民のために御自分の地に恐るべき御業を果たし、御自分のために、エジプトおよび異邦の民とその神々から、この民を贖ってくださいました。主よ、更にあなたはあなたの民イスラエルをとこしえに御自分の民として堅く立て、あなた御自身がその神となられました」。
ここでダビデは、民族としての歴史を振り返っています。ダビデの王国をとこしえに堅く据えると約束してくださった主なるヤハウェは、イスラエルをエジプトの地から導き出し、御自分の民とし、大きな御業を成し遂げて、栄光を現された神であるのです。ここで前提とされているのは、モーセを仲介者として、主がイスラエルの民と結ばれたシナイ契約であります。そのシナイ契約の延長線上に、ダビデ契約があるわけです。すなわち、イスラエルの民を贖われた主、ヤハウェは、ダビデの家(王朝)を用いて、イスラエルの民を支配してくださるのです。
さらにダビデは祈ります。25節から29節。「主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。『万軍の主は、イスラエルの神』と唱えられる御名が、とこしえにあがめられますように。僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます」。ここで、ダビデは、主の恵みの約束に基づいて、それを必ず実現してくださるように懇願しています。ダビデは、主の約束に感謝をささげるだけではなく、その御言葉を繰り返し語ることにより、その恵みを確かなものとしようとするのです。「あなたのために家(王朝)を建てる」という主の御言葉は、一方的な恵みによる約束であります。ダビデとその家が相応しいから、そのような約束が与えられたのではありません。それは、主の一方的な恵みであり、もし、主がダビデとその家から慈しみを取り去っても、文句は言えないのです。しかし、ダビデは、その恵みの御言葉が主の真実な御言葉であるゆえに、「どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください」と祈るのです。ダビデが、主なるヤハウェに、このように祈ることができるのは、主の恵みと真実のゆえであるのです。
主なる神様は、このダビデの祈りのとおり、ダビデの子孫から、永遠の王、イエス・キリストを遣わしてくださいました。そのように、主は、ダビデの祈りを聞きあげてくださったのです。そして、それは、ダビデの子孫であるイエス・キリストを王としていただく、私たちのためでもあったのです。私たちも、今、主イエス・キリストの恵みと真実のゆえに、大胆に、神の御前に出て、祈ることができるのです(ヘブライ4:16参照)。