ナタンの預言 2022年5月11日(水曜 聖書と祈りの会)
問い合わせ
ナタンの預言
- 日付
-
- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記下 7章1節~17節
聖書の言葉
7:1 王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。
7:2 王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」
7:3 ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」
7:4 しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。
7:5 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。
7:6 わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。
7:7 わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。
7:8 わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。
7:9 あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。
7:10 わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。
7:11 わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。サムエル記下 7章1節~17節
メッセージ
関連する説教を探す
前回(先々週)、私たちは、ダビデが神の箱をエルサレムに運び上げたことを御一緒に学びました。ダビデが、主の御前で、力の限り踊ったこと。その姿を見て、サウルの娘ミカルがダビデさげすんだことを御一緒に学んだのであります。今朝の御言葉は、その続きであります。
ダビデは王宮に住むようになり、主は周囲の敵であるペリシテ人をすべて退けて、彼に安らぎをお与えになりました。しかし、ダビデには一つ気になることがあったようです。ダビデは、預言者ナタンにこう言います。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」。ダビデは、自分がレバノン杉の家に住んでいるのに、神様が臨在される神の箱が天幕(テント)の中にあることを心苦しく思っていたようです。それで、ダビデは、神の箱を置くレバノン杉の家(神殿)を建てようと考えたのです。預言者ナタンは、「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます」とダビデの提案に賛成しました。しかし、主の御心は異なるものでした。その夜、ナタンに望んだ主の御言葉は次のようなものでした。5節から7節。
「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、といったことがあろうか。」
主は、王であるダビデを「わたしの僕ダビデ」と呼ばれます。わたしの僕であるあなたが、主人であるわたしのために住むべき家を建てようというのか、と神様は言われるのです。イスラエルの民をエジプトから導き出し、カナンの土地へ導き入れた主は、天幕に住み、イスラエルの民と共に歩まれました。『出エジプト記』の第25章以下に記されているように、主ご自身が幕屋の建設を指示されたのです。そして、これまで神様は、どの部族の一つにでも、「なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか」と言われたことはなかったのです。このように、神様は、ダビデの考えに潜んでいる驕り高ぶりを牽制されるのです。
続けて、主はこう言われます。8節から12節。
「わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。」
主は、王であるダビデを、再び「わたしの僕ダビデ」と呼ばれます。そして、万軍の主である自分が、ダビデを羊飼いからイスラエルの指導者にしたことを思い起こさせるのです。ダビデの行く手の敵をことごとく断ち、ダビデを大いなる者としたのは、主であるのです。そのような御方として、主は、ダビデの家を興すと言われるのです。ダビデが主の家(神殿)を建てるのではなくて、主がダビデの家(王朝)を興すと言われるのです。ダビデが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、ダビデの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする、と主は言われるのです。
続けて、主はこう言われます。13節から16節。
「この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
主は、ダビデの考え、主の名のために家(神殿)を建てることを退けはしませんでした。けれども、主の名のために家を建てるのは、ダビデではなく、その子孫で、跡を継ぐ者であるのです。
主は、ダビデの子孫の王座をとこしえに堅く据えると言われます。主は、ダビデの子孫について、「わたしは彼の父となり、神はわたしの子となる」と言われます。主はダビデの子孫が過ちを犯すとき、父が子を懲らしめるように懲らしめられます。しかし、「わたしは慈しみを彼から取り去りはしない」とあるように、決して見捨てることはないのです。ここで「慈しみ」と訳されているヘブライ語(ヘセド)は「契約に誠実な愛」を表します。主は、ダビデの子孫から契約に誠実な愛を取り去ることはないのです。かつてのサウル王とは違って、ダビデの王国はとこしえに続き、ダビデの王座はとこしえに堅く据えられるのです。これは主の一方的な恵みによるものであります。それゆえ、ダビデは、次回学ぶことになる18節以下で、感謝の祈りをささげるのです。
『サムエル記』に続いて、『列王記』が記されています。そこには、ダビデの跡を継いでソロモンが王になったこと。このソロモンによって、主の名のために神殿が建てられたことが記されています。さらには、ソロモンの跡を継いだレハブアムのときに、王国が北王国イスラエルと南王国ユダの2つに分裂したことが記されています。ダビデの子孫であるレハブアムは、南王国ユダの王であり続けます。そして、ナタンの預言、いわゆるダビデ契約は、南王国ユダに引き継がれるのです。『列王記』は、ユダ王国がバビロン帝国によって滅ぼされることを記して終わります。ソロモンが建てた神殿は破壊され、ダビデの子孫である王は、バビロンに奴隷として連れて行かれるのです。では、主の約束、ダビデの王座はとこしえに堅く据えられるという約束は、実現しなかったのでしょうか。そうではありません。神様は、ダビデの子孫であるヨセフのいいなずけのマリアから、イエス様を遣わしてくださいました(マタイ1章参照)。イエス様は、十字架の死によって悪魔を滅ぼし、御自分の民の救いを成し遂げてくださいました。十字架の死から復活されたイエス様は、今、父なる神の右に座しておられます。主イエス・キリストは、ダビデ契約を実現する御方として、とこしえに、全世界とそのあらゆる領域を、王として支配しておられるのです。