神の箱をエルサレムへ 2022年4月20日(水曜 聖書と祈りの会)
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神の箱をエルサレムへ
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 6章1節~11節
聖書の言葉
6:1 ダビデは更にイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。
6:2 ダビデは彼に従うすべての兵士と共にバアレ・ユダから出発した。それは、ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱をそこから運び上げるためであった。
6:3 彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた。
6:4 彼らは丘の上のアビナダブの家から神の箱を載せた車を運び出し、アフヨは箱の前を進んだ。
6:5 ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。
6:6 一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。
6:7 ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ。
6:8 ダビデも怒った。主がウザを打ち砕かれたためである。その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている。
6:9 その日、ダビデは主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言って、
6:10 ダビデの町、自分のもとに主の箱を移すことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。
6:11 三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された。サムエル記下 6章1節~11節
メッセージ
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今朝は、サムエル記下の第6章1節から11節より、「神の箱をエルサレムへ」という題でお話しします。
第5章6節以下に記されていたように、ダビデは、エブス人の町であるエルサレムを陥れて、ダビデの町としました。ダビデは、エルサレムに住み、イスラエルとユダの全土を統治しました。エルサレムは、政治の中心地となったのです。そのエルサレムに、ダビデは、神の箱を運び上げようとするのです。ダビデは、エルサレムを政治だけではなく、宗教の中心地にもしようとするのです。
神の箱については、『サムエル記上』の第4章から第7章に記されていました。そこには、神の箱がペリシテ軍に奪われたこと。しかし、神様は、ペリシテ人に災いをもたらし、雌牛を導き、金の戦利品を携え、ペリシテの五人の領主を引き連れて、イスラエルのもとに帰って来たことが記されていました。神の箱は、イスラエルに戻って来たのです。しかし、ベト・シェメシュの人々が、主の箱の中をのぞいたことにより、主はその人々を打たれました。それで、ベト・シェメシュの人々は、主の箱をキルヤト・エアリムに移すことにしたのです。第7章1節と2節には、こう記されています。「キルヤト・エアリムの人々はやって来て、主の箱を担ぎ上り、丘の上のアビナダブの家に運び入れた。そして、アビナダブの息子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。主の箱がキルヤト・エアリムに安置された日から時が過ぎ、二十年を経た。イスラエルの家はこぞって主を慕い求めていた」。この記述は、サウルが王になる前ですから、今朝の御言葉からは70年ほど前であると考えられます(20年に、サウルの治世40年とダビデの治世を10年を加算して)。70年もの間、主の箱は放置されていたのです。それは、おそらく、ペリシテ人の管理の下に、神の箱があったからだと思います。ペリシテ人は、神の箱をイスラエルに返しましたが、なお、自分たちの管理のもとに置いていたのです。前回、私たちは、ダビデが、ペリシテ軍を討ち滅ぼしたことを学びました。それによって、ダビデは、ペリシテ人の管理の下にあった神の箱を、エルサレムへと運び込むことができるようになったのです。1節に、「ダビデは更に、イスラエルの精鋭三万をことごとく集めた」とあります。神の箱を運び上げるのに、なぜ、イスラエルの精鋭三万人を集めたのか。それは、神の箱がペリシテ人の管理の下にあったことと関係があるのです。また、このことは、ふさわしいことでもあります。なぜなら、神の箱の上に臨在される主は、「万軍の主」であるからです。
『サムエル記上』の第7章1節では、神の箱が置かれていた町は、キルアト・エアリムでした。ここでは、「バアレ・ユダ」と記されています。「バアレ・ユダ」は、キルアト・エアリムの別名であります(歴代上13:6参照)。また、神の箱のことが、「ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱」と記されています。神の箱については、『出エジプト記』の第25章に詳しく記されています。その箱は、金で覆われており、中には、契約の石板が納められていました。また、その蓋(贖いの座)には、一対のケルビムが打ち出し作りで作られており、主はそのケルビムの間に臨在されると言われたのです。その神の箱を、彼らは新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出したのです。この運び方は、ペリシテ人が神の箱を、イスラエルに送り返した時と同じ運び方です(サムエル上6:7参照)。しかし、神様が命じられたのは、神の箱の四隅に取り付けた輪に、竿を通して運ぶことでした。日本で言えば、御神輿のように、肩に担いで運ぶことであったのです。しかし、このとき、彼らは、ペリシテ人がしたように、新しい車に乗せて運び出したのです。そして、このことが、ある事件を引き起こすことになるのです。
アビナダブの子孫(おそらく孫)であるウザとアフヨがその新しい車を御していました。この車は牛によって引かれていたようですから、ゆっくり進みます。牛に引かれる車に載せられた神の箱の前で、ダビデとイスラエルの人々はさまざまな楽器を奏でました。そのようにして、神様を賛美したのです(詩150参照)。一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、事件は起こります。牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえました。すると、ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに、その場で彼を打たれたのです。ウザは神の箱の傍らで死んでしまったのであります。このことは、神の箱に、聖なる神が臨在されることを示しています。70年も放置されていた神の箱は、ただの箱になってしまったのではなく、神様が御言葉の約束に従って臨在される聖なるものであるのです。『民数記』の第4章に、宿営の移動についての指示が記されています。そこには、こう記されています。「まずアロンとその子らは、宿営の移動に当たって、そこに来て、至聖所の垂れ幕をはずし、それで掟の箱を覆い、その上にじゅごんの皮の覆いを掛け、その上から青い一枚布を広げ、担ぎ棒を差し入れる」(民数4:5)。このように神の箱は、布に覆われて運ばれたのです。また、その15節には、神の箱を覆った後で運ぶのは、アロンとその子らが、「聖なる者に触れて死を招くことがあってはならない」からであると記されています。その神の箱にウザは触れたので、主はウザに怒りを発し、ウザを打たれたのでした。この知らせを聞いて、ダビデも怒りました。ダビデは、主に対して怒ったというよりも、自分の計画どおりに事が運ばなかったことに怒ったのでしょう。その日、ダビデは、主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言いました。ダビデは、主がウザを打たれたことを通して、聖なる神が、その箱の蓋の上に、確かに臨在されることを知ったのです。それで、ダビデは、神の箱を自分の町、エルサレムではなく、ガト人オベト・エドムの家に向かわせました。ガト人オベト・エドムは、イスラエルに寄留していた外国人であったようです。三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にありました。主はオベト・エドムとその家の者一同を祝福されました。おそらく、作物がたくさん実り、家畜が子を産み増え広がったのでしょう。その知らせを聞いたダビデ王は、直ちにオベド・エドムの家に出かけ、神の箱を自分の町、エルサレムへと運び上げることにするのです。ダビデは、主がオベド・エドムとその家を祝福されたことを知って、主の箱が祝福をもたらすこと、そして、ウザの死を招いたのが、主の箱を神様の教えに従って正しく取り扱わなかったためであることを悟ったのです。13節に、「主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき」とありますように、今度は、車に載せるのではなく、主が定められた、円環に竿を通して担ぐという仕方で、運んだのでした。