ダビデの町エルサレム 2022年4月06日(水曜 聖書と祈りの会)

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ダビデの町エルサレム

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記下 5章6節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

5:6 王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い、ダビデに言った。「お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ。」
5:7 しかしダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である。
5:8 そのとき、ダビデは言った。「エブス人を討とうとする者は皆、水くみのトンネルを通って町に入り、ダビデの命を憎むという足の不自由な者、目の見えない者を討て。」このために、目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない、と言われるようになった。
5:9 ダビデはこの要害に住み、それをダビデの町と呼び、ミロから内部まで、周囲に城壁を築いた。
5:10 ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた。
5:11 ティルスの王ヒラムはダビデのもとに使節を派遣し、レバノン杉、木工、石工を送って来た。彼らはダビデの王宮を建てた。
5:12 ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を高めてくださったことを悟った。
5:13 ダビデはヘブロンから移った後、エルサレムでも妻をめとり、側女を置いたので、息子や娘が更に生まれた。
5:14 エルサレムで生まれた子供たちの名は次のとおりである。シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモン、
5:15 イブハル、エリシュア、ネフェグ、ヤフィア、
5:16 エリシャマ、エルヤダ、エリフェレト。サムエル記下 5章6節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記下』の第5章6節から16節より、「ダビデの町エルサレム」という題でお話しします。

 前回、私たちは、ダビデがイスラエルとユダの王になったことを学びました。ダビデは、イスラエルとユダの王になったことにより、都をヘブロンからエルサレムに移すことにしました。ヘブロンは、ユダ領にありましたが、エルサレムは、ユダ領とベニヤミン領の境目に位置していました。エルサレムはヘブロンよりも北にあり、イスラエルとユダを治めるには良い場所にありました。また、エルサレムにはエブス人が住んでおり、イスラエルに属していませんでした。エルサレムについてしがらみが無いわけです。このことは、都にする上で都合のよいことでした。また、エルサレムは高い丘のうえにあり、その周りは谷に囲まれていました。エルサレムは天然の要害を備えた難攻不落の町であったのです。ダビデは、このエルサレムに移り住み、イスラエルとユダの全土を統治しようと考えたのです。

 ダビデ王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとしました。ダビデは、ユダやイスラエルから兵士を招集することなく、自分とその兵だけで、エルサレムを攻め落とそうとしたのです。エブス人は、ダビデが町に入ることはできないと思い、ダビデにこう言いました。「お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ」。目の見えない人、足の不自由な人は、通常は、兵隊になって戦うことはありません。しかし、その目の見えない人や足の不自由な人でも、ダビデを追い払うことができると、エブス人は言ったのです。それほどに、ダビデがエルサレムに入ることはできない、と彼らは考えたのです。

 しかし、ダビデはシオンの要害を陥れました(要害とは「①地勢が険しく、敵を防ぐのに都合のいい場所②とりで」の意)。シオンとは「乾いた土地」という意味で、エルサレムの別名であります。「これがダビデの町である」とありますように、エルサレムは、ダビデとその兵によって陥れられた、ダビデの所有物、ダビデの町であるのです。それにしても、ダビデは、どのようにして難攻不落の町エルサレムを落としたのでしょうか?その答えが、8節前半に記されています。

 そのとき、ダビデは言った。「エブス人を討とうとする者は皆、水くみのトンネルを通って町に入り、ダビデの命を憎むという足の不自由な者、目の見えない者を討て。」

 ダビデの兵士たちは、水くみトンネルを通って町に侵入したのです。参考資料として、「ダビデの部下が通ってイェブス人を討った水くみトンネル」の図をお配りしました(岩波書店『旧約聖書 歴史書』より)。その「二 竪坑(たてこう)(ウォレンの竪穴深さ12.3メートル)」とあります。この竪坑(垂直に掘り下げた坑道)をダビデの兵士たちは、登って行ったのです。そのようにして、ダビデの兵士たちは、ダビデの命を憎むという足の不自由な者、目の見えない者を討ったのです。これは、エブス人が用いた言葉をそのまま皮肉で用いているわけです。ダビデは、皮肉を込めて、エブス人の兵士たちを、「足の不自由な者、目の見えない者」と呼んでいるのです。

 8節の後半に、こう記されています。

 このために、目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない、と言われるようになった。

 これは、『サムエル記』を編集した人が、後から付け加えたものですね。ダビデが、エルサレムを占拠したとき、まだ神殿はありませんでした。神殿は、ダビデの子、ソロモンによって建てられるからです。ですから、後の時代に、「目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない」という掟があって、その由来として、ダビデの言葉が用いられたのだと思います。

 『レビ記』の第21章に、アロンの子孫で障害のある者は、神様に献げ物をささげる務めをしてはならないと記されています。目や足の不自由な者は、神様に献げ物をささげる務めをしてはならない。このような掟が、拡大解釈されて、「目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない」と言われていたようです。そして、その掟が、ダビデの語った言葉、「ダビデの命を憎むという足の不自由な者、目の見えない者を討て」という言葉と結び付けられて、正当化されていたわけです。しかし、このようなことを、ダビデが意図していなかったことは明らかであります。ですから、ダビデの子孫であるイエス様は、神殿で、目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たとき、彼らを喜んで癒されたのです(マタイ21:14参照)。

 ダビデは、天然の要害であるエルサレムに住み、それをダビデの町と呼びました。そして、周囲に城壁を築き、より堅固な町としたのです。ダビデがエブス人の町エルサレムを自分の町とすることができたのは、万軍の神、主が共にいてくださったからであるのです。

 ダビデが、イスラエルとユダの全土の王となった。また、エブス人の町エルサレムを占拠し、自分の町としたことは、ティルスの王ヒラムの耳にも入りました。それで、ヒラムは、ダビデのもとに使節を派遣し、レバノン杉、木工、石工(いしく)を送ってきました。そして、彼らはダビデの王宮を建てたのです。このように、ダビデは、堅固な町の立派な王宮に住む者となりました。ダビデは、そのことを通して、主が自分をイスラエルの王として揺るぎない者としてくださったこと、主の民イスラエルのために、自分の王権を高めてくださったことを悟ったのであります。

 13節から16節に、「エルサレムで生まれたダビデの子供」について記されています。ダビデは、エルサレムに移った後も妻をめとりました。また、側女を置きました。ダビデのハーレムはより大きなものとなりました。このことは、ダビデの勢力が増していることを示しています。また、ダビデには、エルサレムでも多くの息子と娘が生まれました。このことも神様からの祝福であります。息子たちのリストの四番目に、「ソロモン」とあります。ソロモンは「平和」という意味です。このソロモンが、ダビデの王位を継ぐことになるのです。

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