イシュ・ボシェトの死を知ったダビデ 2022年3月23日(水曜 聖書と祈りの会)
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イシュ・ボシェトの死を知ったダビデ
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記下 4章1節~12節
聖書の言葉
4:1 アブネルがヘブロンで殺されたと聞いて、サウルの息子イシュ・ボシェトは力を落とし、全イスラエルはおびえた。
4:2 このサウルの息子のもとに二人の略奪隊の長がいた。名をバアナとレカブといい、共にベニヤミンの者で、ベエロトのリモンの息子であった。ベエロトもベニヤミン領と考えられるからである。
4:3 ベエロトの人々はかつてギタイムに逃げ、今日もそこに寄留している。
4:4 サウルの子ヨナタンには両足の萎えた息子がいた。サウルとヨナタンの訃報がイズレエルから届いたとき、その子は五歳であった。乳母が抱いて逃げたが、逃げようとして慌てたので彼を落とし、足が不自由になったのである。彼の名はメフィボシェトといった。
4:5 ベエロト人リモンの子レカブとバアナは、日盛りのころイシュ・ボシェトの家にやって来た。イシュ・ボシェトは昼寝をしていた。
4:6 レカブとその兄弟バアナは、小麦を受け取る振りをして家の中に入り、彼の下腹を突き刺して殺し、逃亡した。
4:7 すなわち、彼らが家に入ると、イシュ・ボシェトが寝室の寝床に横たわっていたので、二人は彼を突き刺して殺し、首をはねた。彼らはその首を携えてアラバへの道を夜通し歩き、
4:8 ヘブロンのダビデのもとに、その首を持参した。二人は王に言った。「御覧ください。お命をねらっていた、王の敵サウルの子イシュ・ボシェトの首です。主は、主君、王のために、サウルとその子孫に報復されました。」
4:9 ダビデはベエロト人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる。
4:10 かつてサウルの死をわたしに告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、わたしはその者を捕らえ、ツィクラグで処刑した。それが彼の知らせへの報いであった。
4:11 まして、自分の家の寝床で休んでいた正しい人を、神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか。お前たちを地上から除き去らずにいられようか。」
4:12 ダビデの命令によって、従者は二人を殺して両手両足を切り落とし、ヘブロンの池のほとりで木につるした。イシュ・ボシェトの首はヘブロンに運ばれ、アブネルの墓に葬られた。サムエル記下 4章1節~12節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』の第4章1節から12節より、「イシュ・ボシェトの死を知ったダビデ」という題でお話しします。
前回、私たちは、ヨアブによって、アブネルが暗殺されたことを御一緒に学びました。アブネルは、サウルの伯父ネルの息子であり、サウル軍の司令官でした。そのアブネルがダビデ軍の司令官ヨアブによって殺されたのです。その知らせを聞いた、サウルの息子イシュ・ボシェトは力を落としました。イシュ・ボシェトは、アブネルによって王にされた人物であったからです。また、全イスラエルはおびえました。アブネルの死によって、良からぬことが起こりはしないかと彼らはおびえたのです。サウルの息子イシュ・ボシェトのもとに二人の略奪隊の長がいました。名をバアナとレカブといい、ベニヤミン族の者で、ベエロトのリモンの息子でした。ベエロトは、もともとは先住民のカナン系のギブオン人の町でした(ヨシュア9:17参照)。それで、わざわざ「ベエロトもベニヤミン領と考えられるからである。ベエロトの人々はかつてギタイムに逃げ、今日もそこに寄留している」と註釈が記されているのです。ベエロトに住んでいたギブオン人は、サウル王の虐殺を逃れて、ギタイムに寄留していたのです(サムエル下21:2参照)。ともかく、ここで強調されていることは、バアナもレカブも共にベニヤミン族の者であったということです。
4節は、サウルの子ヨナタンの息子について記しています。ヨナタンには、両足の萎えた息子がいました。五歳のとき、サウルとヨナタンの訃報を聞いた乳母が慌てて逃げようしたとき、落として、足が不自由になってしまったのです。彼の名は、メフィボシェトと言いました。『歴代誌上』の第8章35節によれば、彼の名は「メリブ・バアル」でした。その意味は「主は勇士」という意味です。「バアル」はカナンの神の名前でした。それで、『サムエル記』を編集した人が、恥を意味するボシェトという言葉に書き換えたのです(イシュ・ボシェトと同じ)。メフィボシェトについては、第9章に詳しく記されています。
さて、ベエロト人リモンの子レカブとバアナは、日盛りのころイシュ・ボシェトの家にやって来ました。お話しの舞台であるパレスチナは、日中はとても暑く、昼寝をすることが習慣となっていました。案の定、イシュ・ボシェトも昼寝をしていました。レカブとその兄弟バアナは、小麦を受け取るふりをして家の中に入り、彼の下腹を突き刺して殺しました。そして、首をはね、その首を携えて、アラバへの道を夜通し歩き、ヘブロンのダビデのもとに持参したのです。二人は王にこう言います。「御覧ください。お命をねらっていた、王の敵サウルの子イシュ・ボシェトの首です。主は、主君、王のために、サウルとその子孫に報復されました」。ここで、注意したことは、「お命をねらっていた、王の敵」という言葉が、「イシュ・ボシェト」ではなくて、「サウル」にかかっていることです。イシュ・ボシェトがダビデの命を狙っていたのではありません。イシュ・ボシェトは、ダビデの命を狙っていた敵サウルの息子であるゆえに、殺害されたのです。このことは、モーセの掟によれば、あってはならないことでした。『申命記』の第24章16節にこう記されています。「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる」。この掟によれば、イシュ・ボシェトには、死に定められる罪はないのです。11節で、ダビデが言っているように、イシュ・ボシェトは正しい人であるのです。この二人は、自分たちの行為、サウルの息子イシュ・ボシェトを殺したことが、主の御心に適うことであったと言います。「主は、主君、王のために、サウルとその子孫に報復されました」。このように、主の名を持ち出すことによって、自分たちのしたことを正当化したのです。二人は、ダビデが喜び、自分たちに褒美を与えてくれると考えたと思います。しかし、ダビデは、二人に答えてこう言いました。「あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる。かつてサウルの死をわたしに告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、わたしはその者を捕らえ、ツィクラグで処刑した。それが彼の知らせへの報いであった。まして、自分の家の寝床で休んでいた正しい人を、神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか。お前たちを地上から除き去らずにいられようか」。二人は、「主は自分たちを通して、あなたのために報復してくださった」と言うのですが、ダビデは、そのような解釈を受け入れません。ダビデは、あらゆる苦難から自分の命を救ってくださった主の御前に、二人を裁くのです。この二人は、かつてサウルの死を知らせたアマレク人の若者と同じ運命をたどることになります。アマレク人の若者は、自分の手でサウルを殺したことをダビデに伝えました。それは、ダビデがそのことを喜び、褒美を与えてくれると思ったからです。しかし、ダビデが彼に与えた報いは死でありました。そして、同じ報いをこの二人も受けることになるのです。ダビデは、イシュ・ボシェトを罪のない正しい人であると言います。そして、その正しい人を、寝床で殺した二人を神に逆らう者であると断罪するのです。「人の血を流す者は/人によって自分の血を流される」とあるように、彼らは死刑に処せられるのです(創世9:6参照)。
ダビデの命令によって、従者は二人を殺して両手両足を切り落とし、ヘブロンの池のほとりで木につるしました。なぜ、ダビデは、二人の両手両足を切り落とし、木につるしたのでしょうか。それは、自分が二人と関係のないことをはっきりと示すためです。ダビデは、二人を神の呪いの死に定めることにより、自分がイシュ・ボシェトの死と関係のないことを示したのです(申命21:22、23参照)。イシュ・ボシェトが死んで、一番得するのはダビデです。ですから、人々の中には、ダビデがイシュ・ボシェトを殺したのではないかと考える人もいたと思います(サムエル下16:8参照)。そのような誤解を避けるために、ダビデは、二人を呪いの死にさだめたのです。そして、イシュ・ボシェトの首を、アブネルの墓に丁重に葬ったのです。