アブネルの死を知ったダビデ 2022年3月16日(水曜 聖書と祈りの会)
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アブネルの死を知ったダビデ
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記下 3章22節~39節
聖書の言葉
3:22 そこへダビデの家臣を率いたヨアブが多くの戦利品を携えて略奪から帰って来た。アブネルは平和のうちに送り出された後で、ヘブロンのダビデのもとにはいなかった。
3:23 ヨアブと彼に同行していた全軍が到着すると、「ネルの子アブネルが王を訪ねて来ましたが、平和のうちに送り出されて去りました」とヨアブに告げる者があった。
3:24 ヨアブは王のもとに行き、こう言った。「どうなさったのです。アブネルがあなたのもとにやって来たのに、なぜ送り出し、去らせてしまわれたのですか。
3:25 ネルの子アブネルをよくご存じのはずではありませんか。あの男が来たのは、王を欺いて動静を探り、王のなさることをすべて調べるためなのです。」
3:26 ヨアブはダビデのもとを引き下がると、アブネルを追って使いを出した。使いはボル・シラからアブネルを連れ戻した。ダビデはそのことを知らなかった。
3:27 アブネルがヘブロンに戻ると、ヨアブは静かなところで話したいと言って城門の中に誘い込み、その場でアブネルの下腹を突いて殺し、弟アサエルの血に報いた。
3:28 後にこれを聞いたダビデは言った。「ネルの子アブネルの血について、わたしとわたしの王国は主に対してとこしえに潔白だ。
3:29 その血はヨアブの頭に、ヨアブの父の家全体にふりかかるように。ヨアブの家には漏出の者、重い皮膚病を病む者、糸紡ぎしかできない男、剣に倒れる者、パンに事欠く者が絶えることのないように。」
3:30 ヨアブと弟のアビシャイがアブネルを殺したのは、ギブオンの戦いで彼らの弟アサエルをアブネルが殺したからであった。
3:31 ダビデは、ヨアブとヨアブの率いる兵士全員に向かって、「衣服を裂き、粗布をまとい、悼み悲しんでアブネルの前を進め」と命じ、ダビデ王自身はアブネルのひつぎの後に従った。
3:32 一同はアブネルをヘブロンに葬った。王はその墓に向かって声をあげて泣き、兵士も皆泣いた。
3:33 王はアブネルを悼む歌を詠んだ。「愚か者が死ぬように/アブネルは死なねばならなかったのか。
3:34 手を縛られたのでもなく/足に枷をはめられたのでもないお前が/不正を行う者の前に倒れるかのように/倒れねばならなかったのか。」兵士は皆、彼を悼んで更に泣いた。
3:35 兵士は皆、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとやって来た。しかし、ダビデは誓って言った。「日の沈む前に、わたしがパンであれほかの何であれ、口にするようなことがあるなら、神が幾重にも罰してくださるように。」
3:36 兵士は皆これを知って、良いことと見なした。王のすることは常に、兵士全員の目に良いと映った。
3:37 すべての兵士、そして全イスラエルはこの日、ネルの子アブネルが殺されたのは王の意図によるものではなかったことを認めた。
3:38 王は家臣に言った。「今日、イスラエルの偉大な将軍が倒れたということをお前たちは悟らねばならない。
3:39 わたしは油を注がれた王であるとはいえ、今は無力である。あの者ども、ツェルヤの息子たちはわたしの手に余る。悪をなす者には主御自身がその悪に報いられるように。」サムエル記下 3章22節~39節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』の第3章22節から39節より、「アブネルの死を知ったダビデ」という題でお話しします。
前回、私たちは、サウル軍の司令官アブネルが、イシュ・ボシェトと衝突し、ダビデと手を結ぼうとしたお話しを学びました。アブネルは20人の部下を連れて、ヘブロンのダビデのもとに行きました。ダビデは、アブネルと部下たちを、酒宴を催してもてなしたのです。アブネルはダビデにこう言いました。「わたしは立って行き、全イスラエルを主君である王のもとに集めましょう。彼らがあなたと契約を結べば、あなたはお望みのままに治めることができます」。アブネルは、ダビデのことを「主君である王」と呼んでいます。アブネルにとって、主君である王はイシュ・ボシェトではなく、ダビデであるのです。そのアブネルを、ダビデは平和のうちに送り出しました。そこへダビデの家臣を率いたヨアブが戦利品を携えて略奪から帰って来ました。ヨアブと兵士たちは、ツィクラグにいたときと同じように、アマレク人などを襲っていたようです。帰って来たヨアブに、「ネルの子アブネルが王を訪ねて来ましたが、平和のうちに送り出されて去りました」と告げる者がいました。アブネルはサウル軍の司令官であり、ヨアブはダビデ軍の司令官でありました。また、ヨアブは、ギブオンの戦いで、弟のアサエルをアブネルに殺されています。ヨアブは、アブネルを敵対視していたのです。ヨアブは王のもとに行き、こう言いました。「どうなさったのです。アブネルがあなたのもとにやって来たのに、なぜ送り出し、去らせてしまわれたのですか。ネルの子アブネルをよく御存じのはずではありませんか。あの男が来たのは、王を欺いて動静を探り、王のなさることをすべて調べるためなのです」。ヨアブはアブネルに恨みを抱いているので、アブネルのことを悪意ある人物であると判断します。アブネルは、王と手を結ぼうとしているけれども、それは欺きに過ぎないと言うのです。しかし、そうではないことを私たちは知っています。アブネルは、主がダビデに誓われたことを実現するために、ダビデと手を結ぼうとしたのです(3:8参照)。ヨアブに対して、ダビデが何と答えたかは記されていません。おそらく、何も答えなかったのでしょう。それで、ヨアブは自分のしたいことをするのです。ヨアブは、アブネルを追って使いを出しました。使いはボル・シラからアブネルを連れ戻しました。ダビデはそのことを知りませんでした。ヨアブはダビデに知らせることなく、アブネルをヘブロンに連れ戻したのです。アブネルがヘブロンに戻ると、ヨアブは静かなところで話したいと言って城門の中に誘い込み、その場でアブネルの下腹を突いて殺し、弟アサエルの血に報いたのでした。ある研究者は、このヨアブの行為を、『民数記』の第35章に記されている「血の復讐」から正当化しています。しかし、私は、それは無理であると思います。『民数記』の第35章には、「殺害者は必ず死刑に処せられる。血の復讐をする者は、自分でその殺害者を殺すことができる。彼と出会うとき、自分で殺すことができる」と記されています(18、19節)。この掟は、平常の時のもので、戦争においては当てはまらないと思います。少なくとも、アブネルはそう考えたと思います。しかし、ヨアブは、弟アサエルへの恨みから、アブネルを殺してしまうのです。かつてアブネルは、アサエルの下腹を突いて殺しましたが、それと同じように、ヨアブは下腹をついてアブネルを殺したのです。ヨアブは個人的な恨みからアブネルを殺したわけですが、その影響は大きなものでありました。そのことを聞いた人々は、ダビデがヨアブに命じて、アブネルを殺害したと考える恐れがあったからです。そうすれば、まとまりかけていた話も無かったことになってしまいます。それどころか、イスラエルの長老たちやベニヤミンの人々から誤解され、その関係はいよいよ難しくなる恐れがあったのです。それで、後にヨアブがアブネルを殺害したことを聞いたダビデは、こう言いました。「ネルの子アブネルの血について、わたしとわたしの王国は主に対してとこしえに潔白だ。その血はヨアブの頭に、ヨアブの父の家全体にふりかかるように。ヨアブの家は漏出の者、重い皮膚病を病む者、糸紡ぎしかできない男、剣に倒れる者、パンに事欠く者が絶えることのないように」。ダビデは、イスラエルの神、主に誓って、自分と自分の王国の潔白を主張しています。そして、ヨアブとヨアブの家全体を呪うのです。30節を見ると、アブネルを殺したのは、ヨアブと弟のアビシャイであると記されています。ヨアブとアビシャイは、ギブオンの戦いで弟のアサエルを殺したアブネルを恨んでおり、騙し討ちで殺してしまったのです。
ダビデは、ヨアブとヨアブの率いる兵士全員に向かって、「衣服を裂き、粗布をまとい、悼み悲しんでアブネルの前を進め」と命じました。ダビデは、アブネルを殺害したヨアブにも、喪に服することを命じたのです。ダビデは、政治的な判断から、そのように命じたのです。また、ダビデ王自身もアブネルのひつぎの後に従いました。一同はアブネルをヘブロンに葬りました。王はその墓に向かって声をあげて泣き、兵士も皆泣きました。そして、ダビデはアブネルを悼む歌を詠んだのです。「愚か者が死ぬように/アブネルは死なねばならなかったのか。手を縛られたのでもなく/足に枷をはめられたのでもないお前が/不正を行う者の前に倒れるかのように/倒れねばならなかったのか」。この歌は、アブネルの死を悲しむ歌であると同時に、アブネルを殺したヨアブを非難する歌でもあります。アブネルは戦って死んだのではありません。ヨアブから話をしたいと誘われ、下腹を突き刺されて殺されたのです。ヨアブはまさに不正を行う者であるのです。兵士は、まだ日のあるうちに、ダビデに食事をとらせようとやってきました。しかし、ダビデは誓ってこう言いました。「日の沈む前に、わたしがパンであれほかの何であれ、口にするようなことがあるなら、神が幾重にも罰してくださるように」。ダビデは、自分と自分の王国の潔白を主に誓い、ヨアブの家を呪いました。そして、アブネルの死を悲しみ、墓に葬り、悼む歌を詠み、日没まで断食したのです。そのダビデの姿を見て、全イスラエルは、ネルの子アブネルが殺されたのは王の意図によるものでなかったことを認めました。このようにして、ダビデは、自分に対する疑いを払拭し、ヨアブの個人的な恨みによってもたらされた危機を乗り越えることができたのです。
38節と39節には、ダビデが家臣に言った言葉が記されています。「今日、イスラエルの偉大な将軍が倒れたということをお前たちは悟らねばならない。わたしは油を注がれた王であるとはいえ、今は無力である。あの者ども、ツェルヤの息子たちはわたしの手に余る。悪をなす者には主御自身がその悪に報いられるように」。ダビデは、イスラエルの偉大な将軍アブネルを騙し討ちにしたヨアブを殺しませんでした。それは、ヨアブがダビデ軍の司令官であり、大きな力を持っていたからです。それゆえ、ダビデは、ツェルヤの息子たちに対する裁きを主に委ねるのです(ただし、列王上2:5、6参照)。「悪をなす者には主御自身がその悪に報いられるように」。そのように、ダビデは、「ツェルヤの息子たちがしたことは主の御前に悪である」と言い表したのです。