アブネルとダビデ 2022年3月09日(水曜 聖書と祈りの会)
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アブネルとダビデ
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記下 3章6節~21節
聖書の言葉
3:6 サウル王家とダビデ王家の戦いが続くうちに、サウル王家ではアブネルが実権を握るようになっていた。
3:7 アヤの娘でリツパという名の女がいた。この女はサウルの側女であった。ある日イシュ・ボシェトはアブネルに、「なぜ父の側女と通じたのか」と言った。
3:8 アブネルはイシュ・ボシェトの言葉に激しく怒って言った。「わたしをユダの犬どもの頭とでも言われるのですか。今日までわたしは、あなたの父上サウルの家とその兄弟、友人たちに忠実に仕えてきました。あなたをダビデの手に渡すこともしませんでした。それを今、あの女のことでわたしを罪に問おうとなさる。
3:9 主がダビデに誓われたことを、わたしがダビデのために行わないなら、神がこのアブネルを幾重にも罰してくださるように。
3:10 わたしは王権をサウルの家から移し、ダビデの王座をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てる。」
3:11 イシュ・ボシェトはアブネルを恐れ、もはや言葉を返すこともできなかった。
3:12 アブネルはダビデのもとに使者を送って言った。「この地を誰のものと思われますか。わたしと契約を結べば、あなたの味方となって全イスラエルがあなたにつくように計らいましょう。」
3:13 ダビデは答えた。「よろしい、契約を結ぼう。ただし、一つのことをわたしは要求する。すなわち、会いに来るときは、サウルの娘ミカルを必ず連れて来るように。さもなければ会いに来るには及ばない。」
3:14 ダビデは、サウルの子イシュ・ボシェトに使者を遣わし、ペリシテ人の陽皮百枚を納めてめとった妻ミカルをいただきたい、と申し入れた。
3:15 イシュ・ボシェトは人をやって、ミカルをその夫、ライシュの子パルティエルから取り上げた。
3:16 パルティエルは泣きながらミカルを追い、バフリムまで来たが、アブネルに「もう帰れ」と言われて帰って行った。
3:17 アブネルの言葉がイスラエルの長老たちに届いた。「あなたがたは、これまでもダビデを王にいただきたいと願っていた。
3:18 それを実現させるべき時だ。主はダビデに、『わたしは僕ダビデの手によって、わたしの民イスラエルをペリシテ人の手から、またすべての敵の手から救う』と仰せになったのだ。」
3:19 またアブネルは、ベニヤミンの人々とも直接話した後、イスラエルとベニヤミンの家全体との目に良いと映ったことについて直接ダビデに話そうと、ヘブロンのダビデのもとに行った。
3:20 アブネルは二十人の部下を連れてヘブロンのダビデのもとに着いた。ダビデは酒宴を催してアブネルとその部下をもてなした。
3:21 アブネルはダビデに言った。「わたしは立って行き、全イスラエルを主君である王のもとに集めましょう。彼らがあなたと契約を結べば、あなたはお望みのままに治めることができます。」
3:21 ダビデはアブネルを送り出し、アブネルは平和のうちに出発した。サムエル記下 3章6節~21節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記下』第3章6節から21節より、「アブネルとダビデ」という題でお話しします。
サウル王家とダビデ王家の戦いが続くうちに、サウル王家ではアブネルが実権を握るようになりました。アブネルはサウル軍の司令官でしたから、戦いが続けば続くほど、力を持つようになったのです。アヤの娘でリツパという名の女がおりました。この女はサウルの側女でありました。ある日、サウルの息子で王であるイシュ・ボシェトが、アブネルに「なぜ父の側女と通じたのか」と言いました。王様の側女と関係を持つことは、自分をその王様に代わる王とすることでありました。王様の側室と関係を持つことは、王冠を奪うに等しい行為であったのです。アブネルがサウル王の側室と関係を持ったことは、自分をサウルに代わる王とする行為であり、王位についているイシュ・ボシェトを蔑ろにする行為でありました。それで、イシュ・ボシェトは、アブネルを咎めたわけです。しかし、アブネルは、イシュ・ボシェトの言葉に激しく怒ってこう言いました。「わたしをユダの犬どもの頭とでも言われるのですか。今日までわたしは、あなたの父上サウルの家とその兄弟、友人たちに忠実に仕えてきました。あなたをダビデの手に渡すこともしませんでした。それを今、あの女のことでわたしを罪に問おうとなさる。主がダビデに誓われたことを、わたしがダビデのために行わないなら、神がこのアブネルを幾重にも罰してくださるように。わたしは王権をサウルの家から移し、ダビデの王座をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てる」。アブネルが実際に、サウルの側女と関係をもったのかどうかはよく分かりません。実際に関係を持ったのかも知れませんし、実際には関係を持たなかったのかも知れません。しかし、アブネルにとっては、同じことでしょう。アブネルは、サウルの側女のことで、王に反逆する罪に問われているのです。アブネルは、イシュ・ボシェトの言葉に激しく怒って、「わたしをユダの犬どもの頭とでも言われるのですか」と言いました。ユダはイスラエルの敵です。犬どもは卑劣な人間というような意味です。その犬どもの頭ですから、最も卑劣な人間という意味でしょう。アブネルは、「あなたは、わたしを敵の最も卑劣な人間であるかのように言われるのですか」と言ったのです。そして、自分がどれだけサウルの家に忠実に仕えてきたかを語るのです。アブネルは、サウルの息子であるイシュ・ボシェトをダビデの手に渡しませんでした。しかし、それなのに、イシュ・ボシェトは、サウルの側女のことでアブネルを罪に問おうとしているのです。それゆえ、アブネルは、主がダビデに誓われたことを実行すると誓うのです。主がダビデに誓われたこと。それはダビデの王座をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てることです(ダンは最北の町、ベエル・シェバは最南の町)。ダビデが、イスラエル全部族の王になることは、ヨナタンもサウルも認めていたことでありました(23:17「恐れることはない。父サウルの手があなたに及ぶことはない。イスラエルの王となるのはあなただ」、24:21「今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエルの王国はお前の手によって確立される」)。そして、アブネルも、主がダビデをイスラエルとユダの王とされることを認めていたのです。認めるだけではなく、自分の手によって、ダビデの王権を打ち立てるとさえ言うのです。イシュ・ボシェトは、アブネルによって擁立された王でありました。しかし、今や、そのアブネルの後ろ盾を失ってしまったのです。イシュ・ボシェトは、アブネルを恐れて、もはや言葉を返すこともできなかったのです。
アブネルは早速、ダビデのもとに使者を送ってこう言いました。「この地を誰のものと思われますか。わたしと契約を結べば、あなたの味方となって全イスラエルがあなたにつくように計らいましょう」。アブネルの「この地を誰のものと思われますか」という質問の答えは何でしょうか。その答えは「主のもの」です。更に言えば、「主が油を注がれた王のもの」です。この答えを前提にして、アブネルは、「わたしと契約を結べば、あなたの味方となって全イスラエルがあなたにつくように計らいましょう」と言うのです。それに対して、ダビデはこう答えました。「よろしい、契約を結ぼう。ただし、一つのことをわたしは要求する。すなわち、会いに来るときは、サウルの娘ミカルを必ず連れて来るように。さもなければ会いに来るには及ばない」。ダビデは、アブネルに、かつての妻、サウルの娘ミカルを連れて来るように命じました。ダビデは、サウルの宮殿から逃れてからは、ミカルとは音信不通でした。『サムエル記上』の第25章44節によれば、「サウルは、ダビデの妻であった自分の娘ミカルを、ガリム出身のライシュの子パルティに与えた」のです。なぜ、ダビデは、ミカルを連れて来るように言ったのでしょうか。それは自分がミカルの夫であり、サウルの義理の息子であることを示すためです。それによって、ダビデは、サウル家を支持する者たちからの反対を免れることができると考えたのです。ダビデは、自分がサウルの義理の息子であり、サウルの王権を受け継ぐ資格があることを示そうとするのです。ダビデがミカルを連れて来るように命じたのは、ロマンティックな思いからではなく、政治的な判断によることであったのです。
ダビデは、サウルの子イシュ・ボシェトに使者を遣わし、ペリシテ人の陽皮100枚を納めてめとった妻ミカルをいただきたい、と申し入れました。ここで、「サウルの子イシュ・ボシェトに使者を遣わし」とあることに注意したいと思います。ダビデがミカルを迎えることは、密かに行われることではなく、イシュ・ボシェトによって公に行われる必要があったのです。イシュ・ボシェトも、このことがダビデにとって有利に働くことを知っていたでしょう。しかし、アブネルがダビデの味方になった今、ダビデの申し入れを断ることはできなかったのです。イシュ・ボシェトは人をやって、ミカルをその夫、ライシュの子パルティエルから取り上げました。パルティエルは泣きながらミカルを追い、バフリムまできましたが、アブネルに「もう帰れ」と言われて帰って行きました。パルティエルは、ミカルのことを心から愛していたようです。
アブネルは、全イスラエルがダビデにつくように、イスラエルの長老たちやベニヤミンの人々の説得にあたります。アブネルは、イスラエルの長老たちにこう言いました。「あなたがたは、これまでもダビデを王にいただきたいと願っていた。それを実現させるべき時だ。主はダビデに、『わたしの僕ダビデの手によって、わたしの民イスラエルをペリシテ人の手から、またすべての敵の手から救う』と仰せになったのだ」。この二重カッコの言葉が、どこかに記されているわけではありません。しかし、このことは、アブネルと長老たちの実感ではなかったかと思います。つまり、彼らはサウルの息子のイシュ・ボシェトでは、イスラエルをペリシテ人の手から救うことはできないことに気づいていたのです。サウルが死に、その息子のイシュ・ボシェトも頼りにならない今、彼らが王とすべきは、ダビデであるのです。イスラエルの長老たちは、ユダと戦い、衰えていく中で、そのことを願うようになっていたのです。
また、アブネルはベニヤミンの人々と直接話して、彼らからも賛成を得ました。そして、そのことをダビデに直接話そうと20人の部下を連れて、ヘブロンに来たのです。ダビデは酒宴を催し、アブネルとその部下をもてなしました。アブネルはダビデにこう言います。「わたしは立って行き、全イスラエルを主君である王のもとに集めましょう。彼らがあなたと契約を結べば、あなたはお望みのままに治めることができます」。ここで、アブネルは、ダビデのことを、「主君である王」と呼んでいます。アブネルにとって、「主君である王」はイシュ・ボシェトではなく、ダビデであるのです。ダビデは、主がアブネルを通して、自分を全イスラエルの王としようとしてくださると考えたと思います。それで、ダビデは、アブネルを平和のうちに送り出すのです。