イスラエルとユダの戦い 2022年2月16日(水曜 聖書と祈りの会)

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イスラエルとユダの戦い

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記下 2章8節~3章1節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:8 サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、
2:9 彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした。
2:10 サウルの子イシュ・ボシェトは四十歳でイスラエルの王となり、二年間王位にあった。だが、ユダの家はダビデに従った。
2:11 ダビデがユダの家の王としてヘブロンにとどまった期間は七年六か月であった。
2:12 ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトの家臣と共にマハナイムを出て、ギブオンに向かった。
2:13 一方、ツェルヤの子ヨアブとダビデの家臣も出陣した。両軍はギブオンの池で出会い、一方は池のこちら側に、他方は向こう側にとどまった。
2:14 アブネルはヨアブに申し入れた。「若者を立てて、我々の前で勝負させてはどうか。」「よかろう」とヨアブは言った。
2:15 ベニヤミン族とサウルの子イシュ・ボシェトの側から十二人、ダビデの家臣からも十二人、同数の者が立って次々と出て行った。
2:16 彼らはそれぞれ相手の頭をとらえ、剣を相手の脇腹に突き刺し、皆共に倒れた。その場所はヘルカト・ツリムと呼ばれ、ギブオンにある。
2:17 その日、激しい戦いが続き、アブネルとイスラエルの兵がダビデの家臣に打ち負かされた。
2:18 ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルも戦いに加わっていたが、アサエルは野のかもしかのように足が速く、
2:19 アブネルを追跡し、右にも左にもそれることなくアブネルの後を追った。
2:20 アブネルは振り向いて言った。「お前はアサエルだな。」「そうだ」と彼は答えた。
2:21 「右か左にそれて若者の一人でも捕らえ、身につけているものを奪ったらどうだ」とアブネルは言ったが、アサエルはアブネルを追って離れようとしなかった。
2:22 アブネルは重ねてアサエルに言った。「追うのはやめてくれ。お前を地に打ち倒すわけにはいかない。お前の兄、ヨアブに顔向けできないではないか。」
2:23 だがアサエルは頑として離れなかった。アブネルは槍の石突きでアサエルの下腹を突いた。槍は背中まで突き抜け、アサエルは倒れ、その場で死んだ。アサエルが倒れて死んでいる所まで来た者は皆、立ち止まったが、
2:24 ヨアブとアビシャイはアブネルを追い続けた。夕暮れ時となって、彼らはギブオンの荒れ野に続くギアの入り口にあったアンマの丘に着いた。
2:25 ベニヤミン族はアブネルに合流し、一団となって一つの丘の頂にとどまった。
2:26 アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまで剣の餌食とし合うのか。悲惨な結末になることを知らぬわけではあるまい。いつになったら、兄弟を追うのはやめよ、と兵士に命じるのか。」
2:27 ヨアブは答えた。「神は生きておられる。もしお前がそう言い出さなかったなら、兵士は朝までその兄弟を追い続けたことだろう。」
2:28 ヨアブは角笛を吹いた。兵士は皆、イスラエル軍を追うことをやめ、それ以上戦いを続けなかった。
2:29 アブネルとその兵はアラバを夜通し歩いてヨルダン川を渡り、更に午前中も歩いて、マハナイムに着いた。
2:30 ヨアブはアブネルの追跡から戻り、兵士を皆集合させた。ダビデの家臣のうち十九人とアサエルが欠けていた。
2:31 ダビデの家臣はベニヤミン族とアブネルの兵のうち三百六十人を打ち殺した。
2:32 アサエルはベツレヘムに運ばれ、父の墓に葬られた。ヨアブとその兵は夜通し歩いて、明け方ヘブロンに着いた。
3:1 サウル王家とダビデ王家との戦いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった。サムエル記下 2章8節~3章1節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記下』の第2章8節から第3章1節より、「イスラエルとユダの戦い」という題でお話しします。

 前回、私たちは、ユダの人々がヘブロンで、ダビデに油を注いで、ユダの家の王としたことを学びました。今朝の御言葉には、アブネルが、サウルの子イシュ・ボシェトを、マハナイムで、イスラエルの王にしたことが記されています。アブネルは、サウルの軍の司令官であり、サウルの伯父ネルの息子でありました。アブネルは、サウル王と食卓を共にする者でありました(サムエル上20:25参照)。かつてダビデは、アブネルのことを「お前に比べられる者は、イスラエルにいない」と言っていました(サムエル上26:15)。そのアブネルが、サウルの子イシュ・ボシェトを、マハナイムでイスラエルの王としたのです。イシュ・ボシェトとは「恥の人」という意味ですが、もともとは「エシュバアル」という名前でありました(歴代上8:33「サウルにはヨナタン、マルキ・シュア、アビナダブ、エシュバアルが生まれた」参照、サムエル上14:49の「イシュビ」と記されている)。バアルは、「主人」という意味で、後の時代に、イスラエルの神様に対して用いることが禁じられました(ホセア2:18、19参照)。それで、『サムエル記』を記した人が、バアルという言葉をボシェト(恥)という言葉に書き換えたと考えられます。また、マハナイムは「二つの陣営」を意味する、ヤコブにまつわる町であります(創世32:2参照)。ヨルダン川の東岸にある町です(配布した地図を参照)。このマハナイムで、イシュ・ボシェトは、全イスラエルの王となったのです。サウルの子イシュ・ボシェトは40歳でイスラエルの王となり、二年間王位にありました。しかし、ユダの家は、自分たちが油を注いだダビデに従いました。このようにして、イスラエルに二人の王が立てられたのです。そして、このことは、イスラエルに内戦を引き起こすことになるのです。

 ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトの家臣と共にマハナイムを出て、ギブオンに向かいました。一方、ツェルヤの子ヨアブとダビデの家臣も出陣しました。ツェルヤとは、ダビデの姉妹のことです。ヨアブはそのツェルヤの子ですから、ダビデの甥に当たります。ヨアブはダビデ軍の司令官でありました。両軍はギブオンの池で出会い、対岸にそれぞれ留まっていました。アブネルは、ヨアブに、こう申し入れます。「若者を立てて、我々の前で勝負させてはどうか」。ヨアブは「よかろう」と言いました。それで、それぞれ12人を出し、勝負させることになりました。ここで「勝負する」と訳されている言葉(サーハク)は「演じる」とも「遊ぶ」とも訳せます。それで、ある研究者は、この勝負はフェンシングのようなゲームであったのではないかと言っています。しかし、その勝負の結末は、それぞれ相手の頭をとらえ、剣を相手の脇腹に突き刺し、共に倒れるという、むごたらしいものでありました。そして、この勝負は、24人に留まることなく、イスラエル軍とユダ軍の全体へと広がっていくのです。その日、激しい戦いが続き、アブネルとイスラエルの兵はダビデの家臣に打ち負かされ、敗走しました。この戦いには、ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルも加わっていました。「アビシャイ」は、かつてダビデと行動を共にして、サウルの陣営に忍び込んだ人物であります(サムエル上26:6参照)。アサエルは、野のかもしかのように足が速く、アブネルを追跡し、右にも左にもそれませんでした。アサエルは、サウル軍の司令官であるアブネルを討ち取ろうとしたのです。アブネルは、自分を追う者がアサエルであることを確かめると、「右か左にそれて若者の一人でも捕らえ、身につけているものを奪ったらどうだ」と言いました。アブネルはアサエルと戦いたくないわけです。しかし、アサエルはアブネルを追って離れようとしませんでした。アブネルは重ねてこう言います。「追うのはやめてくれ。お前を地に打ち倒すわけにはいかない。お前の兄、ヨアブに顔向けできないではないか」。アブネルは、戦えば、自分がアサエルに勝利することを知っていました。しかし、そうなれば、アサエルの兄ヨアブに顔向けできなくなると考えたのです。アブネルとヨアブは、サウル王のもとで、共に戦ってきた者たちでした。ですから、アブネルは、アサエルの兄がヨアブであることを知っていたのです。アブネルは、ヨアブの弟を殺すことによって、ヨアブから個人的な恨みを買いたくなかったのです。しかし、アサエルは頑として離れませんでした。それで、アブネルは、槍の石突きでアサエルの下腹を突いたのです。アブネルは、アサエルを殺すつもりはなかったと思います。しかし、アサエルが勢いよく走って来たので、槍は背中まで突き抜け、アサエルはその場で倒れ、死んでしまったのです。アサエルが倒れて死んでいる所まで来た者は皆、立ち止まりましたが、ヨアブとアビシャイはアブネルを追い続けました。ヨアブとアビシャイは、弟のアサエルの血に報復しようと、アブネルを追い続けたのです。

 夕暮れ時となって、ヨアブとユダの兵士たちは、ギブオンの荒れ野に続くギアの入口にあったアンマの丘に着きました。ベニヤミン族はアブネルに合流し、一団となって一つの丘の頂きにとどまりました。そのとき、アブネルがヨアブにこう呼びかけます。「いつまで剣の餌食とし合うのか。悲惨な結末になることを知らぬわけではあるまい。いつになったら、兄弟を追うのはやめよ、と兵士に命じるのか」。ここで、アブネルは、ユダとベニヤミンが兄弟であることを思い起こさせます。イスラエルの12部族は、イスラエルの12人の息子たちの子孫であり、ユダ族もベニヤミン族も兄弟であるのです。兄弟同士で殺し合うほど、悲惨なことはありません。そのような悲惨な結末を避けるために、「兄弟を追うのをやめよと、兵士たちに命じたらどうか」とアブネルは呼びかけたのです。それに対して、ヨアブはこう言いました。「神は生きておられる。もしお前がそう言い出さなかったなら、兵士は朝までその兄弟を追い続けたことだろう」。このヨアブの言葉は、「戦いが始まってしまえば、その戦いをやめることはなかなかできない」ことを教えています。その戦いがルールのない生きるか死ぬかの殺し合いなら尚更です。戦いは憎しみを増し続けるからです。しかし、ここでヨアブは、アブネルの呼びかけに応じました。それは、アブネルが言っているように、兄弟同士で殺し合うほど、悲惨なことはないことにヨアブも同意したからです。ヨアブが角笛を吹くと、ユダの兵士たちは、イスラエルの兵士たちを追うのをやめました。こうして戦いは終わり、アブネルとその兵はマハナイムに、ヨアブとその兵はヘブロンに帰って行ったのです。

 30節と31節に、戦死者の数が記されています。ユダの戦死者は、アサエルを含めて20人でした。それに対して、イスラエルの戦死者は360人でした。イスラエルの戦死者の数は、ユダの戦死者の数の18倍にもなりました。このように、イスラエルとユダの戦いは、ユダの圧勝であったのです。このことは、先のギルボア山での戦いで、イスラエルの有能な兵士たちが死んでしまったことと関係があるかも知れません。ともかく、ダビデの家はますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていったのです。

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