ギルボア山での戦い 2022年1月19日(水曜 聖書と祈りの会)
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ギルボア山での戦い
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 31章1節~13節
聖書の言葉
31:1 ペリシテ軍はイスラエルと戦い、イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた。
31:2 ペリシテ軍はサウルとその息子たちに迫り、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを討った。
31:3 サウルに対する攻撃も激しくなり、射手たちがサウルを見つけ、サウルは彼らによって深手を負った。
31:4 サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた。「お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない。」だが、従卒は非常に恐れ、そうすることができなかったので、サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した。
31:5 従卒はサウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に倒れ伏してサウルと共に死んだ。
31:6 この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ。
31:7 谷の向こう側と、ヨルダンの向こう側のイスラエル人は、イスラエル兵が逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去ったので、ペリシテ軍が来てそこにとどまった。
31:8 翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその三人の息子がギルボア山上に倒れているのを見つけた。
31:9 彼らはサウルの首を切り落とし、武具を奪った。ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像の神殿と民に戦勝が伝えられた。
31:10 彼らはサウルの武具をアシュトレト神殿に納め、その遺体をベト・シャンの城壁にさらした。
31:11 ギレアドのヤベシュの住民は、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞いた。
31:12 戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し、
31:13 彼らの骨を拾ってヤベシュのぎょりゅうの木の下に葬り、七日間、断食した。サムエル記上 31章1節~13節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第31章1節から13節より、「ギルボア山での戦い」という題でお話します。
今朝の御言葉は、第28章に記されていた、サウルが口寄せの女を訪れたお話の翌日の出来事であります。また、第30章に、ダビデとその兵士たちがアマレク人の略奪隊に勝利したお話が記されていましたが、それよりも前の出来事であります。そのことを心に留めて、今朝の御言葉を読み進めていきましょう。
ペリシテ軍はイスラエルと戦い、イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちはギルボア山上で倒れました。おそらく、ペリシテ軍は戦車に乗って、イスラエルに戦いを仕掛けて来たのでしょう。それで、イスラエル兵は、山へと逃れ、そこに多くの兵士たちが倒れたのです(戦車は平地は得意だが、山は苦手)。ペリシテ軍はサウルとその息子たちに迫り、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを討ちました。サウルに対する攻撃も激しくなり、射手たちがサウルを見つけ、サウルは弓矢によって、深手を負いました。サウルは彼の武器を持つ従卒にこう命じます。「お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない」。しかし、従卒は非常に恐れ、そうすることができませんでした。おそらく、従卒はダビデと同じように、主に油を注がれた方を、自分の手で殺すことを恐れたのでしょう。それで、サウルは剣を取り、その上に倒れ伏して自害しました。それを見た従卒も、サウルの後を追って、自害しました。こうして、同じ日に、サウルとその3人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだのです。第28章で、サムエルの霊がサウルに告げていたとおりのことが起こったのです。口寄せの女のもとを訪れたサウルは、サムエルから、次のように聞いていました。「主はあなたのみならず、イスラエルをもペリシテ人の手に渡される。明日、あなたとあなたの子らはわたしと共にいる。主はイスラエルの軍隊を、ペリシテ人の手に渡される」(28:19)。このように、サウルはサムエルから聞いていたのです。そして、そのことを承知の上で、サウルは、イスラエルの王として、ペリシテ軍と戦い、死んだのですね。サウルは、主から捨てられましたが、主から油を注がれた王として、その生涯を閉じたのです。
谷の向こう側と、ヨルダンの向こう側のイスラエル人は、イスラエル兵が逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去りました。そして、ペリシテ軍がそこにとどまったのです。
翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその三人の息子がギルボア山上に倒れているのを見つけました。おそらく、身につけていた鎧などによって、サウル王であることが分かったのでしょう。ペリシテ人はサウルの首を切り落とし、武具を奪いました。ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像の神殿と民に勝利の知らせが伝えられました。偶像の神殿に勝利の知らせが伝えられたのは、イスラエルとペリシテとの戦いが、イスラエルの神とペリシテの神々との戦いであると考えられていたからです。ペリシテ人にとって、サウル王を討ち取ったことは、喜ばしい知らせ、福音でありました。ペリシテ人は、サウルの武具をアシュトレトの神殿に納めました。かつて、イスラエルがペリシテの代表戦士であるゴリアトの剣を、ノブの聖所に納めたように、ペリシテ人も、サウルの武具をアシュトレトの神殿に納めたのです(21:10参照)。そのようにして、ペリシテの神アシュトレトに栄光を帰したのです。また、ペリシテ人はサウルの遺体をベト・シャンの城壁にさらしました。ベト・シャンは交通の要所であり、多くの人がサウルの遺体を見たのです。
ギレアドのヤベシュの住民は、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞きました。そして、戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰ったのです。ヤベシュの住民は、かつてサウルが自分たちを助けてくれたことを忘れませんでした。第11章に、アンモン人のナハシュが攻め上って来て、ギレアドのヤベシュを包囲したこと。そして、サウルが王として、アンモン人と戦い、ヤベシュを救ったことが記されていました。ヤベシュの人々にとって、サウルは、自分たちを救ってくれた王であったのです。その王の遺体を、さらしものとすることに、彼らには我慢できなかったのです。彼らは自らの危険を顧みず、ペリシテ人の町であるベト・シャンの城壁からサウルとその息子たちの遺体を取り下ろし、ヤベシュに持ち帰りました。そして、火葬に付し、彼らの骨を拾って、ぎょりゅうの木の下に葬り、七日間、断食したのです。ヤベシュの人々は、サウルを王として、ふさわしく葬ったのであります。
私たちは、ヤベシュの人々がサウルを王としてふさわしく丁重に葬ったことから、サウルが主に用いられた王であったことを思い起こしたいと思います。