ペリシテ軍から離脱したダビデ 2021年12月22日(水曜 聖書と祈りの会)

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ペリシテ軍から離脱したダビデ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 29章1節~11節

聖句のアイコン聖書の言葉

29:1 ペリシテ人は、その軍勢をすべてアフェクに集結させた。イスラエル軍は、イズレエルにある一つの泉の傍らに陣を敷いた。
29:2 ペリシテの武将たちはおのおの百人隊、千人隊を率いて進み、ダビデとその兵はアキシュと共にしんがりを進んだ。
29:3 ペリシテの武将たちは尋ねた。「このヘブライ人らは何者だ。」アキシュがペリシテの武将たちに答えた。「イスラエルの王サウルの僕であったダビデだ。彼はこの一、二年、わたしのもとにいるが、身を寄せて来たときから今日まで、わたしは彼に何の欠点も見いだせない。」
29:4 だが、ペリシテの武将たちはいらだってアキシュに言った。「この男は帰らせるべきだ。彼をもともと配置した所に戻せ。我々と共に戦いに向かわせるな。戦いの最中に裏切られてはならない。この男が元の主人に再び迎え入れられるには、ここにいる兵士たちの首を差し出すだけで十分ではないか。
29:5 『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と人々が歌い踊ったあのダビデではないか。」
29:6 アキシュはダビデを呼んで言った。「主は生きておられる。お前はまっすぐな人間だし、わたしと共に戦いに参加するのをわたしは喜んでいる。わたしのもとに来たときから今日まで、何ら悪意は見られなかった。だが、武将たちはお前を好まない。
29:7 今は、平和に帰ってほしい。ペリシテの武将たちの好まないことをしてはならない。」
29:8 ダビデはアキシュに言った。「わたしが何をしたとおっしゃるのですか。あなたに仕えた日から今日までに、どのような間違いが僕にあって、わが主君、王の敵と戦うために出てはならないというのでしょう。」
29:9 アキシュはダビデに答えた。「わたしには分かっている。お前は神の御使いのように良い人間だ。しかし、ペリシテの武将たちは、『彼は、我々と共に戦いに上ってはならない』と言うのだ。
29:10 だからお前も、お前と一緒に来たお前の主君の部下も、明日の朝早く起きて、日が昇ったら出発しなさい。」
29:11 ダビデとその兵は朝早く起きて出発し、ペリシテの地へ引き返して行った。ペリシテ軍はイズレエルに向かった。サムエル記上 29章1節~11節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第29章1節から11節より、「ペリシテ軍から離脱したダビデ」という題でお話します。

 今朝の御言葉は、第28章1節と2節の続きであります。そこには、こう記されていました。

 そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦うために軍を集結させた。アキシュはダビデに言った。「あなたもあなたの兵もわたしと一緒に戦陣に加わることを、よく承知してもらいたい。」ダビデはアキシュに答えた。「それによって、僕の働きがお分かりになるでしょう。」アキシュはダビデに言った。「それなら、常にあなたをわたしの護衛の長としよう。」

 ガトの王アキシュは、ダビデに、イスラエルとの戦いに加わるように求めました。それを聞いて、ダビデは、困ったことになったと考えたと思います。もし、ダビデがペリシテ軍と一緒になってイスラエルと戦うならば、生ける神の戦列に挑戦する者となってしまうからです(17:26「生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか」参照)。また、ダビデがペリシテ軍と一緒になって、イスラエルと戦うならば、イスラエルの人々の信用を失って、王になることは難しくなるからです。それで、ダビデは、「それによって、僕の働きがお分かりになるでしょう」という曖昧な返事をしました。アキシュは、それを自分の都合の良いように解釈しました。「思う存分、あばれてみせましょう」というような意味に解釈したのでしょう。それで、アキシュは、ダビデを自分の護衛の長としたのでした。アキシュは、ダビデを信用して、疑わないのです。

 さて、ペリシテ人は、その軍勢をすべてアフェクに集結させました。他方、イスラエル軍は、イズレエルにある一つの泉の傍らに陣を敷きました。ペリシテの武将たちは、おのおの百人隊、千人隊を率いて進み、ダビデとその兵はアキシュと共にしんがりを進みました。「しんがり」とは最後尾のことです。ダビデとその兵たちは、他の者たちと衣服や装備が異なっていたのでしょう。ペリシテの武将たちは、こう尋ねます。「このヘブライ人らは何者だ」。「ヘブライ人」とは、外国人がイスラエル人を呼ぶときの蔑称です。すると、アキシュは、こう答えました。「イスラエルの王サウルの僕であったダビデだ。彼はこの一、二年、わたしのもとにいるが、身を寄せて来たときから今日まで、わたしは彼に何の欠点も見いだせない」。新共同訳聖書は、「イスラエルの王サウルの僕であったダビデ」と翻訳していますが、元の言葉は、「イスラエルの王サウルの僕ダビデ」と記されています。サウルとダビデの主従関係が続いているように記されているのです。アキシュは、「わたしは彼に何の欠点も見いだせない」と言っていますが、実際、ダビデは、アキシュを欺いて、イスラエルに敵対する民族を襲っていたのでした。けれども、アキシュは、ダビデを信用しておりましたので、ダビデとその兵たちを、強力な外国人部隊として紹介するのです。しかし、ペリシテの武将たちは、いらだってアキシュにこう言いました。「この男は帰らせるべきだ。彼をもともと配置した所に戻せ。我々と共に戦いに向かわせるな。戦いの最中に裏切られてはならない。この男が元の主人に再び迎え入れられるには、ここにいる兵士たちの首を差し出すだけで十分ではないか。『サウルは千を打ち、ダビデは万を討った』と人々が歌い踊ったあのダビデではないか」(原文には、「元の主人」の「元の」という言葉はない)。ここで、ペリシテの武将たちが言っていることは、もっともなことであります。実際、そのようなことが第14章21節に記されていました。「それまでペリシテ側につき、彼らと共に上って来て陣営に加わっていたヘブライ人も転じて、サウルやヨナタンについているイスラエル軍に加わった」。このように、ダビデとその兵たちがペリシテ軍を裏切って敵になることは十分にあり得ることだったのです。しかも、ダビデは、かつてサウルと一緒になってペリシテ人と戦った人物であります。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と人々が踊り歌ったように、サウルとダビデは、一緒になってペリシテ軍と戦った仲であるのです。そのダビデが、ペリシテ軍を裏切って、後ろから攻めかかれば、ペリシテ軍は挟み撃ちになってしまいます。それで、ペリシテの武将たちは、ダビデを共に戦いに向かわせることなく、元の場所に帰すようにと言ったのです。

 アキシュは、ダビデを呼んでこう言います。「主は生きておられる。お前はまっすぐな人間だし、わたしと共に戦いに参加するのをわたしは喜んでいる。わたしのもとに来たときから今日まで、何ら悪意は見られなかった。だが、武将たちはお前を好まない。今は、平和に帰ってほしい。ペリシテの武将たちの好まないことをしてはならない」。ここで、ペリシテ人であるアキシュが、「主は生きておられる」と「主」ヤハウェの御名を口にしています。アキシュは、ダビデが信じている主の御名を持ち出すことにより、ダビデの機嫌を取ろうとしたのでしょう。アキシュは、ダビデのことを信頼しており、ダビデが機嫌を損ねないかを心配しているのです。しかし、このアキシュの言葉を聞いて、ダビデは内心、ホッとしたと思います。ペリシテの武将たちのおかげで、ダビデは、ペリシテ軍と一緒になって、イスラエルと戦わずに済むからです。しかし、ダビデは、アキシュに、こう言います。「わたしが何をしたとおっしゃるのですか。あなたに仕えた日から今日まで、どのような間違いが僕にあって、わが主君、王の敵と戦うために出てはならないというのでしょう」。このように、ダビデは、アキシュに不平を漏らすのです。私たちは、ダビデがアキシュを欺いてきたことを知っているので、「何を白々しい」と思うのですが、ダビデが言う間違いが、アキシュに対してではなく、主に対してであるならば、確かにダビデは、どのような間違いも犯していません。ダビデは、イスラエルを襲うことなく、イスラエルに敵対する民族を襲って来たからです。そもそも、ダビデが忠実であるべきは、主に対してであって、ペリシテ人の王アキシュに対してではないのです。そのように考えますと、「わが主君、王の敵」が、誰を指しているのか、怪しくなります。アキシュは、ダビデが自分のことを「わが主君、王」と呼んでおり、その「敵」はサウルのことであると思って聞いたと思います。しかし、必ずしも、そうとは言えません。むしろ、ダビデにとっての主君、王は、主が油を注がれたサウルであるのです(これまでダビデは、サウルに悪を行ったことはなく、忠実であり続けた)。そうしますと、ペリシテの武将たちが心配していたとおりのことを、ダビデはしようとしていたとも言えるのです。

 アキシュは、ダビデにこう答えます。「わたしには分かっている。お前は神の御使いのように良い人間だ。しかし、ペリシテの武将たちは、『彼は、我々と共に戦いに上ってはならない』と言うのだ。だからお前も、お前と一緒に来たお前の主君の部下も、明日の朝早く起きて、日が昇ったら出発しなさい」。

 ここでの「お前の主君」とは誰のことでしょうか。この言葉は、アキシュの言葉ですから、アキシュのことではないと思います。そうしますと、この主君は、サウルのことを指しているようです。アキシュは、ダビデが、神の御使いのように良い人間であると証言するだけではなく、ダビデとその兵たちの主君がサウルであることを暗示して、主君と戦うことがないように、明日の朝早く、出発するようにと促すのです。私たちは、ここに、ペリシテの武将たちやアキシュを用いて、ダビデを導かれる、主のくすしき御手を見ることができるのです。

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