ダビデを祝福するサウル 2021年12月01日(水曜 聖書と祈りの会)

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ダビデを祝福するサウル

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 26章13節~25節

聖句のアイコン聖書の言葉

26:13 ダビデは向こう側に渡り、遠く離れた山の頂に立った。サウルの陣営との隔たりは大きかった。
26:14 ダビデは兵士に向かって、またネルの子アブネルに向かって呼ばわった。「アブネル、答えないのか。」アブネルは答えた。「王に呼ばわるお前は誰だ。」
26:15 ダビデはアブネルに言った。「お前も男だろう。お前に比べられる者は、イスラエルにいない。そのお前が、なぜ自分の主人である王を守れなかったのだ。敵兵が一人、お前の主人である王を殺そうと忍び込んだのだ。
26:16 お前の行いは良くない。主は生きておられる。お前たちは死に値する。主が油を注がれた方、お前たちの主人を守れなかったからだ。さあ、枕もとの槍と水差しがどこにあるか見てみよ。」
26:17 サウルはダビデの声と気づいて、言った。「この声はわが子、ダビデではないか。」ダビデは答えた。「わが主君、王よ。わたしの声です。」
26:18 ダビデは続けた。「わが主君はなぜわたしを追跡なさるのですか。わたしが何をしたというのでしょう。わたしの手にどんな悪があるというのでしょうか。
26:19 わが主君、王よ。僕の言葉をお聞きください。もし、王がわたしに対して憤られるように仕向けられたのが主であるなら、どうか、主が献げ物によってなだめられますように。もし、人間であるなら、主の御前に彼らが呪われますように。彼らは、『行け、他の神々に仕えよ』と言って、この日、主がお与えくださった嗣業の地からわたしを追い払うのです。
26:20 どうか、わたしの血が主の御前を遠く離れた地で流されませんように。まことにイスラエルの王は、山でしゃこを追うかのように、蚤一匹をねらって出陣されたのです。」
26:21 サウルは言った。「わたしが誤っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。この日わたしの命を尊んでくれたお前に、わたしは二度と危害を加えようとはしない。わたしは愚かであった。大きな過ちを犯した。」
26:22 ダビデは答えた。「王の槍はここにあります。従者を一人よこし、これを運ばせてください。
26:23 主は、おのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。今日、主はわたしの手にあなたを渡されましたが、主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんでした。
26:24 今日、わたしがあなたの命を大切にしたように、主もわたしの命を大切にされ、あらゆる苦難からわたしを救ってくださいますように。」
26:25 サウルはダビデに言った。「わが子ダビデよ。お前に祝福があるように。お前は活躍し、また、必ず成功する。」ダビデは自分の道を行き、サウルは自分の場所に戻って行った。
サムエル記上 26章13節~25節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第26章13節から25節より、「ダビデを祝福するサウル」という題でお話しします。

 サウルの枕もとから槍と水差しを取ったダビデは、向こう側に渡り、遠く離れた山の頂きに立ちました。「サウルの陣営との隔たりは大きかった」とあるように、ダビデは身を守るために、サウルの陣営と距離をとったのです。この点は、第24章と違いますね。第24章では、サウルが洞窟を出ると、ダビデも続いて洞窟を出て、背後から声をかけました。第24章では、サウルとダビデの距離は近いのです。しかし、第26章では、ダビデは、サウルの陣営と十分な距離をとるのです。そこには、ダビデの警戒心が表れています。第24章で、サウルは涙を流して、ダビデに、「お前は必ず王となる」と言いました。それにも関わらず、サウルはダビデを捕らえようとしているのですから、ダビデが警戒するのは当然でありますね。ダビデは、兵士に向かって、またネルの子アブネルに向かって、こう呼ばわりました。「アブネル、答えないのか」。アブネルは、サウルの軍の司令官で、サウルのいとこです(14:50参照)。アブネルはサウル王の食卓に連なる者でもありました(20:15参照)。そのアブネルに、ダビデは呼びかけるのです。アブネルはこう答えます。「王に呼ばわるお前は誰だ」。アブネルに呼びかけることは、サウル王に呼びかけるのも同然であるのです。このとき、あたりはまだ暗かったようですね。アブネルは、声のぬしが誰だか分かりませんでした。ダビデは、さらに、こう言います。「お前も男だろう。お前に比べられる者は、イスラエルにいない。そのお前が、なぜ自分の主人である王を守れなかったのだ。敵兵が一人、お前の主人である王を殺そうと忍び込んだのだ。お前の行いは良くない。主は生きておられる。お前たちは死に値する。主が油を注がれた方、お前たちの主人を守れなかったからだ。さあ、枕もとの槍と水差しがどこにあるか見てみよ」。このダビデの言葉によると、ダビデがサウルの幕営に忍び込んだのは、アブネルに恥をかかせるためであったようです。アブネルは、サウル王の枕もとにあるはずの槍と水差しがないのに気づいて、何も言い返せませんでした。アブネルは、声のぬしが誰であるのか分からないのですが、サウルは、その声のぬしがダビデであることに気が付きました。そして、こう言うのです。「この声はわが子、ダビデではないか」。第25章44節によると、サウルは、ダビデの妻であった自分の娘ミカルを、他の男に与えてしまいました。しかし、サウルは、ダビデのことを「わが子」と親しく呼びます。けれども、ダビデは、「父サウル」とは言いませんでした(24:12とは違って)。ダビデはこう言います。「わが主君、王よ。わたしの声です」。「わが主君はなぜわたしを追跡なさるのですか。わたしが何をしたと言うのでしょう。わたしの手にどんな悪があると言うのでしょうか。わが主君、王よ。僕の言葉をお聞きください。もし、王がわたしに対して憤られるように仕向けられたのが主であるなら、どうか、主が献げ物によってなだめられますように。もし、人間であるなら、主の御前に彼らが呪われますように。彼らは、『行け、他の神々に仕えよ』と言って、この日、主がお与えくださった嗣業の地からわたしを追い払うのです。どうか、わたしの血が主の御前を遠く離れた地で流されませんように。まことにイスラエルの王は、山でしゃこを追うかのように、蚤一匹をねらって出陣されたのです」。ここで、ダビデは、「わが主君はなぜわたしを追跡なさるのですか」と問うています。ダビデは本心からこのように問うているのだと思います。と言いますのも、ダビデがサウルを殺そうとしていないことは、第24章に記されていたエン・ゲディでの出来事ではっきりと示されたからです。また、サウル自身も、ダビデに、「今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエルの王国はお前の手によって確立される」と言い、「子孫を滅ぼさないでほしい」と誓いを求めたからです。そのようなサウルが、なぜ、自分を追跡するのか。ダビデは、2つの可能性について語ります。一つは、主がそのように仕向けられているという可能性です(16:14「主から来る悪霊」参照)。その昔、エジプトの王ファラオの心を変えられたように、主がサウルの心を変えて、憤るようにされたという可能性であります。その場合は、「主が献げ物によってなだめられますように」とダビデは語ります。また、もう一つの可能性は、サウルの周りの人々が、サウルの心を憤るように仕向けたという可能性です。その場合、ダビデは、「主の御前に彼らが呪われますように」と語ります。なぜなら、それは、ダビデを嗣業の土地から追い払い、他の神々に仕えさせる、むごい仕打ちであるからです。次週学ぶことになる第27章に、ダビデがペリシテ人の土地に逃れたことが記されています。このとき、すでにダビデの心の中に、異邦人の土地に逃れる考えがあったようです。ダビデは、自分のことを「しゃこ」に例えていますが、しゃこ(イワシャコ)は、岩場に住むキジ科の山鳥のことです。ヘブライ語で「コーレー」と言い、文字通りには「呼ぶ者」を意味します。ダビデは、大声で呼びかけている自分の姿をしゃこのようだと言っているのです。そして、しゃこのような自分を追うことは、イスラエルの王であるサウルにとってふさわしくない、恥ずべきことであると言うのです。

 サウルはこう言います。「わたしが誤っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。この日わたしの命を尊んでくれたお前に、わたしは二度と危害を加えようとはしない。わたしは愚かであった。大きな過ちを犯した」。ここでサウルは自分の罪を認めています(聖書協会共同訳「わたしは罪を犯した」参照)。サウルはダビデを「わが子」と呼び、「帰って来なさい」と言います。そして、自分の命を尊んでくれたダビデに、二度と危害を加えることはしないと言うのです。しかし、ダビデは、サウルの言葉が当てにならないこと、サウルの心が変わりやすいことをよく知っていました。それで、ダビデは、サウルにこう答えます。「王の槍はここにあります。従者を一人よこし、これを運ばせてください。主は、おのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。今日、主はわたしの手にあなたを渡されましたが、主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんでした。今日、わたしがあなたの命を大切にしたように、主もわたしの命を大切にされ、あらゆる苦難からわたしを救ってくださいますように」。ダビデのもとにあるサウルの槍と水差しは、ダビデが主に対して、正しく、忠実であることのしるしでありました。ダビデは、サウルの槍と水差しを取ることによって、自分にサウルを殺して、イスラエルの王となる意志がないことを示したのです。そのようなダビデに、サウルはこう言います。「わが子ダビデよ。お前に祝福があるように。お前は活躍し、また、必ず成功する」。これが、サウルがダビデに語った最後の言葉です。ダビデのことを散々苦しめたサウルは、最後に、ダビデを祝福するのです。

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