主から送られた深い眠り 2021年11月24日(水曜 聖書と祈りの会)

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主から送られた深い眠り

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 26章1節~12節

聖句のアイコン聖書の言葉

26:1 ジフ人がギブアに来てサウルに、「砂漠の手前、ハキラの丘にダビデが隠れている」と告げた。
26:2 サウルは立ってイスラエルの精鋭三千を率い、ジフの荒れ野に下って行き、ダビデをジフの荒れ野で捜した。
26:3 サウルは、砂漠の手前、道に沿ったハキラの丘に陣を敷いた。ダビデは荒れ野にとどまっていたが、サウルが彼を追って荒れ野に来たことを知り、
26:4 斥候を出して、サウルが来たことを確認した。
26:5 ダビデは立って、サウルが陣を敷いている所に近づき、サウルとサウルの軍の司令官、ネルの子アブネルが寝ている場所を見つけた。サウルは幕営の中で寝ており、兵士がその周りに宿営していた。
26:6 ダビデは、ヘト人アヒメレクとヨアブの兄弟、ツェルヤの子アビシャイに問いかけた。「サウルの陣地に、わたしと下って行くのは誰だ。」アビシャイが、「わたしがあなたと行きましょう」と答えた。
26:7 ダビデとアビシャイは夜になって兵士に近寄った。サウルは幕営の中に横になって眠り込んでおり、彼の槍はその枕もとの地面に突き刺してあった。アブネルも兵士もその周りで眠っていた。
26:8 アビシャイはダビデに言った。「神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。さあ、わたしに槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます。」
26:9 ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。」
26:10 更に言った。「主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。
26:11 主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない。今は、枕もとの槍と水差しを取って立ち去ろう。」
26:12 ダビデはサウルの枕もとから槍と水差しを取り、彼らは立ち去った。見ていた者も、気づいた者も、目を覚ました者もなかった。主から送られた深い眠りが彼らを襲い、全員眠り込んでいた。サムエル記上 26章1節~12節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第26章1節から12節より、「主から送られた深い眠り」という題でお話しします。

 ジフ人がギブアに来て、サウルにこう告げました。「砂漠の手前、ハキラの丘にダビデが隠れている」。ジフ人がダビデのことをサウルに告げたのは、これで二回目ですね。第23章19節にも、ジフ人がギブアにいるサウルに、ダビデのことを告げたことが記されていました。ジフ人はダビデと同じユダ族ですが、サウル王に取り入ろうとするのです。この報告を受けて、サウルはイスラエルの精鋭三千人を率いて、ジフの荒れ野に降って行き、ダビデを捜しました。第24章に、ダビデがサウルを殺す機会を得ながら、無事に去らせたお話しが記されていました。サウルは、そのことを知って、涙を流し、ダビデが正しいことを認め、「今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエルの王国はお前の手によって確立される」と言ったのでした(24:21)。しかし、サウルは、ダビデを殺そうとジフの荒れ野を捜し回るのです。サウルは、砂漠の手前、道に沿ったハキラの丘に陣を敷きました。他方、ダビデは荒れ野に留まっていました。「荒れ野」と聞くと砂漠を思い浮かべるかも知れませんが、「砂漠」と「荒れ野」は異なった状態を指しています。「砂漠」と訳される「イェシモン」は、夏(乾季)にも冬(雨季)にも草が生えない、いわゆる砂漠地域を指します。しかし、「荒れ野」と訳される「ミドバル」は砂漠と肥沃の土地の中間にある放牧が可能なステップ地帯であるのです(丈の短い草原が広がる地域)。

 ダビデはサウルが自分を追って荒れ野に来たことを知り、斥候(偵察隊)を出して確認します。そして、ダビデは立って、サウルが陣を敷いている所に近づき、サウルと軍の司令官、ネルの子アブネルが寝ている場所をみつけました。サウルは幕営の中で寝ており、兵士がその周りに宿営していたのです。ダビデは、ヘト人アヒメレクとヨアブの兄弟、ツェルヤの子アビシャイにこう問いかけます。「サウルの陣地に、わたしと下って行くのは誰だ」。すると、アビシャイが「わたしがあなたと行きましょう」と答えました。アビシャイは、ダビデの姉ツェルヤ子であり、ダビデの甥にあたります(歴代上2:16参照)。ダビデとアビシャイは、夜を待って、兵士に近寄りました。サウルは幕営の中で眠り込んでおり、彼の槍は枕元の地面に突き刺してありました。サウルはいつも槍を持っていましたが、さすがに眠るときは、それを手放して、枕元の地面に突き刺していたのです。誰かに襲われても、槍を手にすることができるようにしていたのです。サウルだけではなく、アブネルも兵士たちもその周りで眠っておりました。これは、異常なことですね。王様が眠っている間は、兵士たちが起きていて、護衛に当たるのが普通であります。しかし、このときは、アブネルも兵士たちも眠っていたのです。それは、12節の後半にありますように、「主から送られた深い眠り」によるものでした。『創世記』の第2章に、主なる神が人を深い眠りに落とされて、そのあばら骨の一部を抜き取り、女を造ったことが記されています。また、『創世記』の第15章には、アブラムが深い眠りに襲われて、主と契約を結んだことが記されています。そのような主から送られた深い眠りによって、全員が眠り込んでいたのです。

 アビシャイはダビデにこう言いました。「神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。さあ、わたしに槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます」。これと同じようなことが第24章にも記されていました。しかし、あのときは偶然の出来事でありましたが。第24章では、ダビデと兵士たちが隠れていた洞窟に、偶然、サウルが用を足しに入って来たのです。しかし、今朝の第26章では、ダビデが自分の意志で、サウルの幕営に忍び込んだのでした。アビシャイは、サウルを殺させてくださいと言うのですが、ダビデはこう答えます。「殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない」。私たちは、この言葉から、ダビデがサウルを殺すために幕営に忍び込んだのではないことが分かります。更にダビデはこう言います。「主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない。今は、枕もとの槍と水差しを取って立ち去ろう」。このダビデの言葉の背景には、第25章に記されていた、主がナバルを打たれたことがあります。ダビデは、自分の善意に悪意をもって報いた、ナバルとその家の男たちを殺そうとしました。しかし、ナバルの妻アビガイルの言葉を聞いて、自分で復讐せずに、主に委ねることにしました。そして、主は、その十日後にナバルを打たれたのです。ナバルが死んだことを聞いたダビデは、こう言いました。「主はたたえられよ。主は、ナバルが加えた侮辱に裁きを下し、僕に悪を行わせず、かえって、ナバルの悪をナバルの頭に返された」(25:39)。それゆえ、ダビデは、生きて働かれる主が、サウルを打たれるであろうと言うのです。11節に「主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない」とあります。私たちは、この言葉が、主によって油を注がれたダビデの言葉であることに注意したいと思います。ダビデは、主によって油を注がれた者でありますが、主によって油を注がれたサウルを殺して、王になるのではないのです。サウルはダビデを殺して、王であり続けようとするのですが、ダビデはサウルを殺さずに、王になろうとしているのです。そして、それが主の御心であるとダビデは信じているのです。

ダビデは、自分がサウルを殺さなかった証拠に品として、「枕もとの槍と水差しを取って立ち去ろう」と言いました。そして、ダビデはサウルの枕もとから槍と水差しを取り、立ち去ったのです。ダビデが槍と水差しを取ったことは、象徴的な意味を持っています。槍は王権を、水差しは命を象徴しています。ダビデはサウルの槍と水差しを取ることによって、自分がサウルを殺して、イスラエルの王権を取る意志がないことの証拠としたのです。

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