ダビデとアビガイル 2021年11月10日(水曜 聖書と祈りの会)

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ダビデとアビガイル

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 25章18節~35節

聖句のアイコン聖書の言葉

25:18 アビガイルは急いで、パンを二百、ぶどう酒の革袋を二つ、料理された羊五匹、炒り麦五セア、干しぶどう百房、干しいちじくの菓子を二百取り、何頭かのろばに積み、
25:19 従者に命じた。「案内しなさい。後をついて行きます。」彼女は夫ナバルには何も言わなかった。
25:20 アビガイルが、ろばに乗って山陰を進んで行くと、向こうからダビデとその兵が進んで来るのに出会った。
25:21 ダビデはこう言ったばかりであった。「荒れ野で、あの男の物をみな守り、何一つ無くならぬように気を配ったが、それは全く無益であった。彼は善意に悪意をもって報いた。
25:22 明日の朝の光が射すまでに、ナバルに属する男を一人でも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰してくださるように。」
25:23 アビガイルはダビデを見ると、急いでろばを降り、ダビデの前の地にひれ伏し礼をした。
25:24 彼女はダビデの足もとにひれ伏して言った。「御主人様、わたしが悪うございました。お耳をお貸しください。はしための言葉をお聞きください。
25:25 御主人様が、あのならず者ナバルのことなど気になさいませんように。名前のとおりの人間、ナバルという名のとおりの愚か者でございます。はしためは、お遣わしになった使者の方々にお会いしてはいないのです。
25:26 主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。あなたを引き止め、流血の災いに手を下すことからあなたを守ってくださったのは主です。あなたに対して災難を望む者、あなたの敵はナバルのようになりましょう。
25:27 ここにある物は、はしためが持参した贈り物でございます。お足もとに仕える従者にお取らせくださいますように。
25:28 どうかはしための失礼をお許しください。主は必ずあなたのために確固とした家を興してくださいます。あなたは主の戦いをたたかわれる方で、生涯、悪いことがあなたを襲うことはございませんから。
25:29 人が逆らって立ち、お命をねらって追い迫って来ても、お命はあなたの神、主によって命の袋に納められ、敵の命こそ主によって石投げ紐に仕掛けられ、投げ飛ばされることでございましょう。
25:30 また、主が約束なさった幸いをすべて成就し、あなたをイスラエルの指導者としてお立てになるとき、
25:31 いわれもなく血を流したり、御自分の手で復讐なさったことなどが、つまずきや、お心の責めとなりませんように。主があなたをお恵みになるときには、はしためを思い出してください。」
25:32 ダビデはアビガイルに答えた。「イスラエルの神、主はたたえられよ。主は、今日、あなたをわたしに遣わされた。
25:33 あなたの判断はたたえられ、あなたもたたえられよ。わたしが流血の罪を犯し、自分の手で復讐することを止めてくれた。
25:34 イスラエルの神、主は生きておられる。主は、わたしを引き止め、あなたを災いから守られた。あなたが急いでわたしに会いに来ていなければ、明日の朝の光が射すころには、ナバルに一人の男も残されていなかっただろう。」
25:35 ダビデは、彼女の携えて来た贈り物を受け、彼女に言った。「平和に帰りなさい。あなたの言葉を確かに聞き入れ、願いを尊重しよう。」サムエル記上 25章18節~35節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第25章18節から35節より、「ダビデとアビガイル」という題でお話しします。

 ナバルの従者から、ナバルがダビデの従者をののしって追い返したことを伝え聞いたアビガイルは、急いで、パンを二百、ぶどう酒の革袋を二つ、料理された羊五匹、炒り麦40リットル、干しぶどう百房、干しいちじくの菓子二百を取り、何頭かのろばに積みました。そして、従者にこう命じます。「案内しなさい。後をついて行きます」。19節は、「私の先を進みなさい。あなたがたについて行くから」とも訳せます(新改訳2017参照)。アビガイルは、自分よりも先に、ダビデが求めた食糧を届けるのです。これは、ヤコブがエサウに再会するときにしたことでもあります。『創世記』の第33章に、ヤコブがエサウと再会するお話しが記されています。ヤコブはエサウに再会するに先立って、エサウの好意を得るために、家畜を進ませるのです。それと同じように、アビガイルは、食糧を積んだろばを先に進ませるのです。アビガイルが、ろばに乗って山陰を進んで行くと、向こうからダビデと兵が進んで来るのが見えました。ダビデは、こう言ったばかりでした。「荒れ野で、あの男の物をみな守り、何一つ無くならぬように気を配ったが、それは全く無益であった。彼は善意に悪意をもって報いた。明日の朝の光が射すまでに、ナバルに属する男を一人でも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰してくださるように」。私たちは、このダビデの言葉に驚くのではないでしょうか。第24章で、ダビデはサウル王に対してこう語りました。「主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。わたしは手を下しません。古いことわざに、『悪は悪人から出る』と言います。わたしは手を下しません。イスラエルの王は、誰を追って出て来られたのでしょう。あなたは誰を追跡されるのですか。死んだ犬、一匹の蚤ではありませんか。主が裁き手となって、わたしとあなたとの間を裁き、わたしの訴えを弁護し、あなたの手からわたしを救ってくださいますように」。このように、ダビデは、裁きを主に委ねたのでした。しかし、ナバルに対してはそうではありません。主に裁きを委ねることなく、自分の手で裁くことを主に誓うのです。しかも、ナバルだけではなくて、ナバルに属するすべての男を殺すというのです。

 アビガイルはダビデを見ると、急いでろばを降り、ダビデの前の地にひれ伏しました。そして、こう言うのです。「御主人様、わたしが悪うございました。お耳をお貸しください。はしための言葉をお聞きください。御主人様が、あのならず者ナバルのことなど気になさいませんように。名前のとおりの人間、ナバルという名のとおりの愚か者でございます。はしためは、お遣わしになった使者の方々にお会いしてはいないのです。主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。あなたを引き止め、流血の災いに手を下すことからあなたを守ってくださったのは主です。あなたに対して災難を望む者、あなたの敵はナバルのようになりましょう。ここにある物は、はしためが持参した贈り物でございます。お足もとに仕える従者にお取らせくださいますように。どうかはしための失礼をお許しください。主は必ずあなたのために確固とした家を興してくださいます。あなたは主の戦いをたたかわれる方で、生涯、悪いことがあなたを襲うことはございませんから。人が逆らって立ち、お命をねらって追い迫って来ても、お命はあなたの神、主によって命の袋に納められ、敵の命こそ主によって石投げ紐に仕掛けられ、投げ飛ばされることでございましょう。また、主が約束なさった幸いをすべて成就し、あなたをイスラエルの指導者としてお立てになるとき、いわれもなく血を流したり、御自分の手で復讐なさったことが、つまずきや、お心の責めとなりませんように。主があなたをお恵みになるときには、はしためを思い出してください」。ここでアビガイルはダビデのことを「御主人様」と呼び、自分のことを「はしため」「女の奴隷」と呼んでいます。アビガイルは、ダビデが主によって王となることを信じておりました。そして、王となったときに、いわれもなく血を流し、自分の手で報復したことが、つまずきや心の責めにならないようにと言うのです。このようにして、アビガイルは、自分の家の者の命を守るのです。アビガイルという名前の意味は、「父は(娘の誕生を)喜んだ」という意味です。『箴言』に、「知恵ある子は父を喜ばせる」とあります(箴15:20)。アビガイルは父を喜ばせる知恵ある子であるのです。アビガイルの聡明さは、主を畏れる知恵を源としているのです。ですから、アビガイルは、「あなたを引き止め、流血の災いに手を下すことからあなたを守ってくださったのは主です」と大胆に語ることができたのです。アビガイルは、主がそのために、自分を遣わしてくださったのだと言うのです。それに対して、夫のナバルはその名前の通り、愚か者でありました。愚か者とは、「神などいない」という者のことです(詩14編参照)。ナバルの愚かさは、神を知らないことにあるのです。それゆえ、ナバルは、ダビデが何者であるのかを知らないのです。しかし、妻のアビガイルは、主を畏れる者であるゆえに、ダビデが、主の戦いをたたかう者であり、主によってイスラエルの王とされることを知っているのです。

 ダビデはアビガイルにこう答えました。「イスラエルの神、主はたたえられよ。主は、今日、あなたをわたしに遣わされた。あなたの判断はたたえられ、あなたもたたえられよ。わたしが流血の罪を犯し、自分の手で復讐することを止めてくれた。イスラエルの神、主は生きておられる。主はわたしを引き止め、あなたを災いから守られた。あなたが急いでわたしに会いに来ていなければ、明日の朝の光が射すころには、ナバルに一人の男も残されていなかっただろう」。ダビデは、アビガイルの言葉を、信仰をもって受け入れました。ダビデは、「主は、今日、あなたをわたしに遣わされた」、「わたしが流血の罪を犯し、自分の手で復讐することを止めてくれた」と言うのです。このようにして、ダビデは、自分の手で報復することなく、主にゆだねることができたのです(申命32:35「わたしが報復し、報いをする」参照)。そのようにして、ダビデは流血の罪を犯すことから守られたのです。

 ダビデは、アビガイルが携えて来た贈り物を受け取り、彼女にこう言いました。「平和に帰りなさい。あなたの言葉を確かに聞き入れ、願いを尊重しよう」。ここでの平和(シャローム)は、ダビデとアビガイルの間におられる主の平和(シャローム)であります。ダビデは主にあって、アビガイルの贈り物を受け取り、その願いどおり、主に報復をゆだねたのです。 

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