ダビデとナバル 2021年10月27日(水曜 聖書と祈りの会)

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ダビデとナバル

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 25章1節~17節

聖句のアイコン聖書の言葉

25:1 サムエルが死んだので、全イスラエルは集まり、彼を悼み、ラマにある彼の家に葬った。ダビデは立ってパランの荒れ野に下った。
25:2 一人の男がマオンにいた。仕事場はカルメルにあり、非常に裕福で、羊三千匹、山羊千匹を持っていた。彼はカルメルで羊の毛を刈っていた。
25:3 男の名はナバルで、妻の名はアビガイルと言った。妻は聡明で美しかったが、夫は頑固で行状が悪かった。彼はカレブ人であった。
25:4 荒れ野にいたダビデは、ナバルが羊の毛を刈っていると聞き、
25:5 十人の従者を送ることにして、彼らにこう言った。「カルメルに上り、ナバルを訪ね、わたしの名によって安否を問い、
25:6 次のように言うがよい。『あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのものすべてに平和がありますように。
25:7 羊の毛を刈っておられると聞きました。あなたの牧童は我々のもとにいましたが、彼らを侮辱したことはありません。彼らがカルメルに滞在していた間、無くなったものは何もないはずです。
25:8 あなたの従者に尋ねてくだされば、そう答えるでしょう。わたしの従者が御厚意にあずかれますように。この祝いの日に来たのですから、お手もとにあるものを僕たちと、あなたの子ダビデにお分けください。』」
25:9 ダビデの従者は到着すると、教えられたとおりダビデの名によってナバルに告げ、答えを待った。
25:10 ナバルはダビデの部下に答えて言った。「ダビデとは何者だ、エッサイの子とは何者だ。最近、主人のもとを逃げ出す奴隷が多くなった。
25:11 わたしのパン、わたしの水、それに毛を刈る者にと準備した肉を取って素性の知れぬ者に与えろというのか。」
25:12 ダビデの従者は道を引き返して帰り着くと、言われたままをダビデに報告した。
25:13 ダビデは兵に、「各自、剣を帯びよ」と命じ、おのおの剣を帯び、ダビデも剣を帯びた。四百人ほどがダビデに従って進み、二百人は荷物のところにとどまった。
25:14 ナバルの従者の一人がナバルの妻アビガイルに報告した。「ダビデは、御主人に祝福を述べようと荒れ野から使いをよこしたのに、御主人は彼らをののしりました。
25:15 あの人たちは実に親切で、我々が野に出ていて彼らと共に移動したときも、我々を侮辱したりせず、何かが無くなったこともありません。
25:16 彼らのもとにいて羊を飼っているときはいつも、彼らが昼も夜も我々の防壁の役をしてくれました。
25:17 御主人にも、この家の者全体にも、災いがふりかかろうとしている今、あなたが何をなすべきか、しっかり考えてください。御主人はならず者で、だれも彼に話しかけることができません。」サムエル記上 25章1節~17節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第25章1節から17節より、「ダビデとナバル」という題でお話しします。

 1節に、サムエルが死んだことが記されています。サムエルはかつてのイスラエルの指導者であり、サウルの頭に油を注いで王とした人物でありました。全イスラエルはサムエルの死を悼み、ラマにある彼の家に葬りました。サムエルはサウルに代わる王として、ダビデの頭に油を注いだ人物であり、ダビデを保護する者でもありました。そのサムエルが死んだことは、ダビデにとって心細いことであったと思います。ダビデは立ってパランの荒れ野にくだりました。「パランの荒れ野」とはシナイ半島の荒れ野のことです。サムエルの死を知ったダビデは、サウルを恐れて、パランの荒れ野まで逃れたのです。

 さて、一人の男がマオンにいました。仕事場はカルメルにあり、非常に裕福で、羊三千匹、山羊千匹を持っていました。彼はカルメルで羊の毛を刈っていました。この男の名はナバルで、その妻の名はアビガイルと言いました。妻は聡明で美しかったのですが、夫は頑固で行状が悪かった。ナバルはカレブ人でありました。「カレブ人」とは、ヨシュアと一緒に、約束の地に上って行くべきであると進言したカレブの子孫のことです。カレブは、ヘブロン一帯の土地を受け継いでいました(ヨシュア14:13参照)。パランの荒れ野にいたダビデは、ナバルが羊の毛を刈っていると聞き、十人の使者を送ることにします。羊の毛を刈ることは、羊飼いにとって収穫にあたります。ですから、その日は大いに食べて、飲んで祝ったのです。その祝いの日に、ダビデは、十人の使者にこう言うのです。「カルメルに上り、ナバルを訪ね、わたしの名によって安否を問い、次のように言うがよい。『あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのものすべてに平和がありますように。羊の毛を刈っておられると聞きました。あなたの牧童は我々のもとにいましたが、彼らを侮辱したことはありません。彼らがカルメルに滞在していた間、無くなったものは何もないはずです。あなたの従者に尋ねてくだされば、そう答えるでしょう。わたしの従者が御厚意にあずかれますように。この祝いの日に来たのですから、お手もとにあるものを僕たちと、あなたの子ダビデにお分けください。』」ダビデは、羊の毛を刈る収穫の祝いの日に、人を遣わして、その分け前にあずかろうとしました。ダビデたちは、荒れ野においてナバルの羊を、ペリシテ人の略奪隊の手から守って来たのです。ですから、このダビデの要求は当然の要求であったのです。しかも、ここでダビデは、とても礼儀正しく、そのことを要求しています。ダビデは、謙遜から自分のことを、「あなたの子ダビデ」とさえ言うのです。

 ダビデの従者は到着すると、教えられたとおりダビデの名によってナバルに告げ、答を待ちました。すると、ナバルはダビデの部下にこう答えたのです。「ダビデとは何者だ、エッサイの子とは何者だ。最近、主人のもとを逃げ出す奴隷が多くなった。わたしのパン、わたしの水、それに毛を刈る者にと準備した肉を取って素性の知れぬ者に与えろというのか」。どうやら、ナバルはダビデのうわさを聞いていたようですね。ナバルは、ダビデがエッサイの息子であり、サウル王のもとを逃れて来たことを知っていたのです。それで、「エッサイの子とは何者だ。最近、主人のもとを逃げ出す奴隷が多くなった」と侮辱とも言える言葉を語るのです。ナバルは、「わたしのパン、わたしの水、わたしの肉を、なぜ、与えなければいけないのか」と言うのですが、その肉も、ダビデが、ペリシテ人の略奪隊から守ったからこそ、ナバルの手もとにあるわけですね。しかし、ナバルはそのようなことをまったく考慮に入れずに、ダビデのことを素性の知れない者と言うのです。ダビデは、へりくだって、「あなたの子ダビデにお分けください」と願ったのですが、ナバルは、「素性の知れぬ者には与えない」と突き放すわけです。ダビデの言っていることと、ナバルの言っていることは、どうもかみ合っていません。その理由は、ナバルが、自分の従者に尋ねなかったことにあると思います。ダビデは、8節で、「あなたの従者に尋ねてくだされば、そう答えるでしょう」と言っていました。しかし、ナバルは、自分の従者にダビデのことを尋ねなかったのです。もし、尋ねていれば、ダビデが言ったことが本当であったことが分かったはずです。と言いますのも、14節以下で、ナバルの従者の一人がナバルの妻アビガイルにこう報告しているからです。「ダビデは、御主人に祝福を述べようと荒れ野から使いをよこしたのに、御主人は彼らをののしりました。あの人たちは実に親切で、我々が野に出ていて彼らと共に移動したときも、我々を侮辱したりせず、何かが無くなったこともありません。彼らのもとにいて羊を飼っているときはいつも、彼らが昼も夜も我々の防壁の役をしてくれました。御主人にも、この家の者全体にも、災いがふりかかろうとしている今、あなたが何をなすべきか、しっかり考えてください。御主人はならず者で、だれも彼に話しかけることができません」。このような従者の報告をナバルが聞いていたら、ダビデに対する答えも変わっていたと思います。しかし、ナバルは、自分の従者に尋ねることなく、ダビデを侮辱して、ダビデの従者を追い返してしまったのです。さらに深刻であるのは、従者たちがだれもナバルに話しかけることができないということです。ナバルは従者に尋ねなかったし、従者たちもナバルに話しかけなかったのです。

 ダビデは十人の従者を遣わしました。十人がその両手に沢山の食糧を持って戻ってくることをダビデは期待していたことでしょう。しかし、ダビデの従者は何も持たずに、戻ってきたのです。従者たちは、ナバルに言われたままをダビデに報告します。彼らはダビデの名によって遣わされた者たちでありますから、彼らへの言葉は、そのままダビデへの言葉であるのです。その報告を聞いて、ダビデは兵に、「各自、剣を帯びよ」と命じました。そして、四百人ほどがダビデに従って進み、二百人は荷物のところにとどまったのです。ダビデは、ナバルとその男たちを殺すために、ナバルのもとへと進むのです。そして、このような危険を察知して、ナバルの従者の一人がナバルの妻アビガイルに、こう言うのです。「御主人にも、この家の者全体にも、災いがふりかかろうとしている今、あなたが何をなすべきか、しっかり考えてください」。「御主人であるナバルは、自分と家の者全体に災いがふりかかろうとしているなどとは考えてもいません。しかし、あなたは、何をなすべきかしっかり考えてください」と従者は言うのです。

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