アドラムとミツパにおけるダビデ 2021年9月22日(水曜 聖書と祈りの会)
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アドラムとミツパにおけるダビデ
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 22章1節~5節
聖書の言葉
22:1 ダビデはそこを出て、アドラムの洞窟に難を避けた。それを聞いた彼の兄弟や父の家の者は皆、彼のもとに下って来た。
22:2 また、困窮している者、負債のある者、不満を持つ者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた。
22:3 ダビデはモアブのミツパに行き、モアブの王に頼んだ。「神がわたしをどのようになさるか分かるまで、わたしの父母をあなたたちのもとに行かせてください。」
22:4 モアブ王に託されたダビデの両親は、ダビデが要害に立てこもっている間、モアブ王のもとにとどまった。
22:5 預言者ガドが、「要害にとどまらず、ユダの地に出て行きなさい」と言ったので、ダビデはハレトの森に移って行った。サムエル記上 22章1節~5節
メッセージ
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前回、私たちは、ダビデがペリシテ人の町ガトの王アキシュのもとに逃れたこと。アキシュの家臣から、「イスラエルの王ダビデである」と指摘されながらも、狂態を演じて、殺されずに済んだことを学びました。
ダビデはペリシテ人の町ガトを出て、アドラムの洞窟に難を避けました。それを聞いたダビデの兄弟や父の家の者は皆、彼のもとに下って来ました。ダビデの父はエッサイであり、エッサイには八人の息子がおりました。その年長の三人の息子(エリアブ、アビナダブ、シャンマ)は、かつてはサウルに従って戦いに出ておりました(17:13参照)。そのダビデの家族たちが、ダビデのもとに下って来たのです。おそらく彼らは、ダビデから、自分がサウル王から命を狙われていることを聞いていたのでしょう。それで、ダビデと同じ一族である自分たちにも危害が及ぶのではないかと心配して、ダビデのもとに来たのです。サウルはダビデのことを「エッサイの子」と呼んでおりましたから、サウルの憎しみはエッサイの一族全体に及ぶ危険があったのです(22:16参照)。また、困窮している者、負債のある者、不満を持つ者も、ダビデのもとに集まって来ました。これらの者たちは、サウルの王制のもとで苦しんでいた者たちであります。第8章に、サムエルが王を要求する民に対して、王の権能について語ったことが記されています。その所を開いて読んでみます。旧約の439ページです。第8章10節から18節までをお読みします。
サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。彼はこう告げた。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。また、あなたたちの娘を徴用し、香料を作り、料理女、パン焼き女にする。また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分ける。あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日、あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてくださらない。」
14節に、「あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える」とありますが、サウルは、この王の権能を用いて、自分と同じベニヤミン族の家臣に、畑やぶどう畑を分け与えていたわけです(22:7参照)。そして、ダビデのもとに集まって来たのは、サウルによって、畑やぶどう畑を没収された者たち、サウル王の支配に不満を持っていた者たちであるのです。
では、今朝の御言葉に戻りましょう。旧約の465ページです。
アドラムの洞窟に難を避けたダビデのもとに、その一族と不満を持つ者たちが集まりました。ダビデはその頭領になります。これまでダビデは一人で行動していましたが、彼の周りには400人ほどの者がいたのです。400人ですから、これはちょっとした戦力でありますね。『創世記』の第14章に、アブラムが訓練を受けた奴隷380人を召集して、王たちと戦って勝利したことが記されています。このとき、ダビデも、同じぐらいの人数を従えていたのです。
ダビデはモアブのミツパに行き、モアブの王にこう頼みました。「神がわたしをどのようになさるか分かるまで、わたしの父母をあなたたちのもとに行かせてください」。モアブは、アブラハムの甥ロトの娘の子孫であります。モアブは、塩の海(死海)の東側の地域です。そのモアブの王に、ダビデは、自分の父と母をあずけるのです。このことは、ダビデの先祖にモアブ人であるルツがいたことと関係しています。『ルツ記』を読むと、ボアズとルツとの間に、子供が生まれたこと。そして、その子がオベドと名付けられたことが記されています。このオベドはエッサイの父であるのです。ですから、ダビデの父であるエッサイの祖母はモアブ人のルツであるのです。そのような親戚関係もあって、ダビデは、父と母をモアブの王にあずけるのです。そして、その期間は、「神様がダビデをどうなさるか分かるまで」であるのです。「神がわたしをどのようになさるか分かるまで」。私たちはこのダビデの言葉に、ダビデの謙遜と主にゆだねる信仰を聞き取ることができます。ダビデは、サムエルから油を注がれていたのですから、「神がわたしをイスラエルの王にするまで」と言ってもよかったはずです。しかし、ダビデは、そのことを生ける神様との関係から考えて、「神がわたしをどのようになさるか分かるまで」と言うのです。こうして、ダビデの両親は、ダビデが要害に立てこもっている間、モアブ王のもとで過ごすことができたのです。ダビデは、父と母を敬う人物であるのです。
5節に、突然、預言者ガドが出て来ます。預言者ガドは、ダビデにこう言います。「要害にとどまらず、ユダの地に出て行きなさい」。「要害」とは、「地勢が険しく、敵の攻撃を防ぐのに好都合な場所」のことです。ダビデは、サウルを畏れて、要害にとどまっていました。しかも、外国の要害にとどまっていたようです。しかし、預言者ガドは、ダビデに、「ユダの地に出て行きなさい」と命じるのです。神様は預言者ガドを通して、そのように命じられるのです。それゆえ、ダビデは、ユダのハレトの森に移って行きます。神様の御計画は、ダビデが外国の要害にとどまることではなく、ユダの地に出て行くことであるのです。そのようにして、神様はダビデに、どのようになされるのかを少しずつ示されるのです。