アキシュのもとでのダビデ 2021年9月15日(水曜 聖書と祈りの会)
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アキシュのもとでのダビデ
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 21章11節~16節
聖書の言葉
21:11 ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに来た。
21:12 アキシュの家臣は言った。「この男はかの地の王、ダビデではありませんか。この男についてみんなが踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と歌ったのです。」
21:13 ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた。
21:14 そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。
21:15 アキシュは家臣に言った。「見てみろ、この男は気が狂っている。なぜ連れて来たのだ。
21:16 わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか。わたしの前で狂態を見せようとして連れて来たのか。この男をわたしの家に入れようというのか。」サムエル記上 21章11節~16節
メッセージ
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前回、私たちは、ダビデが、ノブの祭司アヒメレクのもとを訪れたお話しを学びました。神様は、アヒメレクを通して、ダビデに、食糧と武器をお与えになりました。また、アヒメレクはダビデのために主の託宣を求めて、祝福をもって送り出したのです(サムエル上22:10)。
今朝の御言葉はその続きであります。
ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに行きました。ガトはペリシテ人の町ですから、アキシュはペリシテ人の王であります(5:8参照)。ダビデは、サウルから逃れるために、ペリシテのガトの王アキシュのもとに行ったのです。このとき、ダビデは一人であったと思われます。ダビデは、アキシュの傭兵の一人になって、身を隠すつもりであったのでしょう。しかし、アキシュの家臣たちは、ダビデを見て、こう言いました。「この男はかの地の王、ダビデではありませんか。この男についてみんなが踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と歌ったのです」。ダビデは、まだ王になっていないのですが、ペリシテ人たちは、ダビデのことを「かの地の王」、イスラエルの王と言います。イスラエル軍の先頭に立って、ペリシテ人と戦い、勝利を収めていたのはダビデでありました。また、彼らは、女たちが踊りながら歌った歌、「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」という歌を知っておりました。それで、ペリシテ人たちは、サウルではなくて、ダビデのことを王と呼ぶのです。異邦人であるペリシテ人たちでさえ、ダビデのことをイスラエルの王として認めていたのです。
ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れました。自分がダビデであることが分かれば、殺されてしまうかも知れないからです。ダビデはどうしたでしょうか。「自分はダビデではない」と強く否定したでしょうか。そうではありません。ダビデは、人々の前で変わった振る舞いをしたのです。ダビデは、ペリシテ人に捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりしたのです。そのようにして、自分がダビデとは別人であると思わせようとしたのです。古代の世界において、「気の狂った者」はしばしば超自然な力に取りつかれた者と見なされ、神聖な畏れから害を加えることがはばかられました。ダビデは、そのことを知っていて、機転を利かせて、気が狂ったように見せかけたのです。ひげによだれを垂らして、城門の扉をかきむしることによって、狂態を演じて見せたのです。
その様子を見て、アキシュは家臣にこう言いました。「見てみろ、この男は気が狂っている。なぜ連れて来たのだ。わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか。わたしの前で狂態を見せようと連れてきたのか。この男をわたしの家に入れようというのか」。「わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか」というアキシュの言葉には、「ペリシテ人は気の狂った者ばかりだ」というイスラエル側からのブラックユーモアが込められています。ともかく、ダビデは、狂態を演じることによって、殺されることなく、アキシュのもとから逃れることができたのです。
このとき、ダビデは、どのような気持ちであったのでしょうか。そのことを、私たちは、『詩編』の第34編から知ることができます。今朝は、『詩編』第34編を読んで終わりたいと思います。旧約の865ページです。
ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。
どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。わたしは主に求め/主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。この貧しい人が呼び求める声を主は聞き/苦難から常に救ってくださった。主の使いはその周りに陣を敷き、主を畏れる人を守り助けてくださった。味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。若獅子は獲物がなくて飢えても/主に求める人には良いものの欠けることがない。子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを教えよう。喜びをもって生き/長生きして幸いを見ようと望む者は/舌を悪から/唇を偽りの言葉から遠ざけ/悪を避け、善を行い/平和を尋ね求め、追い求めよ。主は従う人に目を注ぎ/助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。主は悪を行う者に御顔を向け/その名の記念を地上から断たれる。主は助けを求める人の叫びを聞き/苦難から常に彼らを助け出される。主は打ち砕かれた心に近くいまし/悔いる霊を救ってくださる。主に従う人には災いが重なるが/主はそのすべてから救い出し/骨の一本も損なうことのないように/彼を守ってくださる。主に逆らう者は災いに遭えば命を失い/主に従う人を憎む者は罪に定められる。主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は/罪に定められることがない。
私たちは、この詩編から、ダビデが自分の知恵に頼って、狂態を演じたのではないことが分かります。ダビデは、主に依り頼む信仰をもって、祈りつつ、狂態を演じたのです。そして、主は、そのようなダビデを、脅かすものから救い出してくださったのです。