ヨナタンとダビデの別れ 2021年8月25日(水曜 聖書と祈りの会)

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ヨナタンとダビデの別れ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 20章24節~42節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:24 ダビデは野に身を隠した。新月祭が来た。王は食卓に臨み、
20:25 壁に沿ったいつもの自分の席に着いた。ヨナタンはサウル王の向かいにおり、アブネルは王の隣に席を取ったが、ダビデの場所は空席のままであった。
20:26 その日サウルは、そのことに全く触れなかった。ダビデに何事かあって身が汚れているのだろう、きっと清めが済んでいないのだ、と考えたからである。
20:27 だが翌日、新月の二日目にも、ダビデの場所が空席だったので、サウルは息子ヨナタンに言った。「なぜ、エッサイの息子は昨日も今日も食事に来ないのか。」
20:28 ヨナタンはサウルに答えた。「ベツレヘムに帰らせてほしい、という頼みでした。
20:29 彼はわたしに、『町でわたしたちの一族がいけにえをささげるので、兄に呼びつけられています。御厚意で、出て行かせてくだされば、兄に会えます』と言っていました。それでダビデは王の食事にあずかっておりません。」
20:30 サウルはヨナタンに激怒して言った。「心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、このわたしが知らないとでも思っているのか。
20:31 エッサイの子がこの地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死なねばならない。」
20:32 ヨナタンは、父サウルに言い返した。「なぜ、彼は死なねばならないのですか。何をしたのですか。」
20:33 サウルはヨナタンを討とうとして槍を投げつけた。父がダビデを殺そうと決心していることを知ったヨナタンは、
20:34 怒って食事の席を立った。父がダビデをののしったので、ダビデのために心を痛め、新月の二日目は食事を取らなかった。
20:35 翌朝、取り決めた時刻に、ヨナタンは年若い従者を連れて野に出た。
20:36 「矢を射るから走って行って見つけ出して来い」と言いつけると、従者は駆け出した。ヨナタンは彼を越えるように矢を射た。
20:37 ヨナタンの射た矢の辺りに少年が着くと、ヨナタンは後ろから呼ばわった。「矢はお前のもっと先ではないか。」
20:38 ヨナタンは従者の後ろから、「早くしろ、急げ、立ち止まるな」と声をかけた。従者は矢を拾い上げ、主人のところに戻って来た。
20:39 従者は何も知らなかったが、ダビデとヨナタンはその意味を知っていた。
20:40 ヨナタンは武器を従者に渡すと、「町に持って帰ってくれ」と言った。
20:41 従者が帰って行くと、ダビデは南側から出て来て地にひれ伏し、三度礼をした。彼らは互いに口づけし、共に泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。
20:42 ヨナタンは言った。「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから。」サムエル記上 20章24節~42節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第20章24節後半から42節より、「ヨナタンとダビデの別れ」という題でお話しします。

 前回、私たちは、サウルがダビデを殺そうとしているかどうかを知るために、ダビデとヨナタンがあることを企てたことを学びました。それは、新月祭の食事を、ダビデが欠席して、サウルの反応を試すというものでありました。その新月祭がとうとう来たのです。

 サウル王は食卓に臨み、壁に沿ったいつもの自分の席に着きました。壁を背後にしているのは、後ろから狙われないためでありましょう。王子ヨナタンはサウル王の向かいに座り、軍の司令官であり、いとこであるアブネルはサウル王の隣りに座りました。しかし、ダビデの場所は空席のままでした。その日サウルは、そのことにまったく触れませんでした。ダビデに何事かあって身が汚れているのだろう、きっと清めが済んでいないのだと考えたからです(レビ15:16参照)。翌日、新月の二日目も、ダビデの場所が空席だったので、サウルは息子のヨナタンにこう言いました。「なぜ、エッサイの息子は昨日も今日も食事に来ないのか」。サウルは、ダビデ(愛されている者)という名前を口にしません。ダビデは、サウルの娘ミカルの婿であり、サウルの義理の息子なのですが、「エッサイの息子」と呼ぶのです。ヨナタンは、サウルにこう答えました。「ベツレヘムに帰らせてほしい、という頼みでした。彼はわたしに、『町でわたしたちの一族がいけにえをささげるので、兄に呼びつけられています。御厚意で、出て行かせてくだされば、兄に会えます』と言っていました。それでダビデは王の食事にあずかっておりません」。このヨナタンの言葉を聞いて、サウルはヨナタンに対して激怒しました。それは、サウルが、この機会にダビデを殺そうと考えていたからでしょう。ダビデを殺そうとしていたのに、ヨナタンがベツレヘムに返すことを許してしまったので、サウルはヨナタンに対して激怒したのです。サウルはヨナタンがダビデと結託していることに気づいたようです。サウルはヨナタンに激怒してこう言います。「心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、このわたしが知らないとでも思っているのか。エッサイの子が地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死なねばならない」。サウルがヨナタンのことを、「心の曲がった不実な女の息子よ」と呼ぶとき、王子であるヨナタンがダビデをひいきにしていることが何を意味しているかが示されています。ヨナタンはサウル王の息子であり、王位継承者なのですから、ダビデに悪意を持っていても当然と言えます。サウルが言っているように、ダビデが地上に生きている限り、ヨナタンもヨナタンの王権も確かではありません。しかし、そのヨナタンがダビデをひいきにしている。ダビデを王として選んでいるのです。そのことは、ヨナタンが王位継承者としての資格を持っていないこと、サウルの実の息子ではなく、他の男の息子であることを示していると言うのです。ですから、そのようなヨナタンを、サウルは、「心の曲がった不実な女の子よ」と呼び、ダビデをひいきにしていることを、「自分を辱め、自分の母親の恥をさらしている」と言うのです。しかし、もちろん、ヨナタンが、ダビデをひいきにしているのは、ヨナタンがサウルの実の息子ではないからではありません。ヨナタンは、イスラエルのまことの王が主なる神であり、この主なる神によって王が立てられることを信じていたからです。それに対して、サウルはまったくこの世の的に、神様を抜きにして、イスラエルの王位のことを考えているのです。サウルは、ダビデを殺せば、自分の息子であるヨナタンが王になれると考えているのです。第13章で、サムエルから、「あなたの王権は続かない」と言われていたにも関わらず、サウルは、ダビデを殺して、息子のヨナタンを王位につけようと考えていたのです(サムエル上13:14参照)。サウルは、ダビデを殺すことによって、ヨナタンとその王権を確かにしようとするのですが、ヨナタンは、主の御前に、ダビデの家と契約を結ぶことによって、自分の家を守ろうとしたのです(サムエル上20:15参照)。

 31節に、「すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ」とありますが、元の言葉には、「ダビデ」という名前は記されていません。「彼を」と記されているだけです。サウルは、「ダビデ」という名前を口にしないのです。それほどまでに、サウルはダビデのことを憎らしく思っているのです。また、「彼は死なねばならない」とありますが、この所を元の言葉から直訳すると「彼は死の息子である」となります。エッサイの息子は、死の息子であると、サウルは言うのです。

 ヨナタンは、父サウルにこう言い返しました。「なぜ、彼は死なねばならないのですか。何をしたのですか」。この問いに対して、サウルはもはや答えようとしません。サウルは、ヨナタンを討とうとして槍を投げつけるのです。

 父がダビデを殺そうと決心していることを知ったヨナタンは、怒って食事の席を立ちました。父親がダビデをののしったので、ダビデのために心を痛め、新月の二日目の食事を取りませんでした。ヨナタンは、自分以上にダビデを愛していたのですね。

 翌朝、取り決めた時刻に、ヨナタンは年若い従者を連れて野に出ました。「矢を射るから走って行って見つけ出して来い」と言いつけると、従者は駆け出しました。ヨナタンは彼を越えるように矢を射ます。それは、サウル王がダビデに危害を加えようとしていることを示す合図でした。ヨナタンは、少年にこう呼びかけます。「矢はお前のもっと先ではないか」。さらに、こう言います。「早くしろ、急げ、立ち止まるな」。これは、野に身を隠しているダビデに対する言葉でありますね。それほど大きな危険がダビデに迫っていることをヨナタンは知らせたわけです。従者は矢を拾い上げ、主人であるヨナタンのところに戻って来ました。従者は何も知りませんでしたが、ダビデとヨナタンはその意味を知っていました。ヨナタンは、従者を町に帰します。すると、ダビデが野から出て来て地にひれ伏し、三度礼をしたのです。ダビデは、王子であるヨナタンに敬意を示したのでした。ヨナタンとダビデは互いに口づけし、共に泣きました。「ダビデはいっそう激しく泣いた」と記されています。そのようなダビデに、ヨナタンはこう言います。「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから」。ヨナタンとダビデは、別れ別れになります。しかし、二人の間には、主がとこしえにおられるのです。ヨナタンとダビデだけではなくて、ヨナタンの子孫とダビデの子孫の間にも主がとこしえにおられるのです。そして、そのような主にある関係に、私たちも兄弟姉妹として生かされているのです。 

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