サムエルのもとに逃れるダビデ 2021年8月11日(水曜 聖書と祈りの会)

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サムエルのもとに逃れるダビデ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 19章18節~24節

聖句のアイコン聖書の言葉

19:18 逃げて難を避けたダビデは、ラマのサムエルのもとに行って、サウルの仕打ちをすべて報告した。サムエルとダビデはナヨトに行き、そこにとどまった。
19:19 ラマのナヨトにダビデがいる、とサウルに告げる者があり、
19:20 サウルはダビデを捕らえようと使者を遣わした。彼らは預言者の一団が預言しているのに出会った。サムエルが彼らの先頭に立っていた。神の霊はサウルの使者の上にも降り、彼らも預言する状態になった。
19:21 サウルはこの報告を受けて、他の使者を遣わしたが、彼らもまた預言する状態になった。三度、サウルは追っ手を送ったが、彼らもまた預言する状態になった。
19:22 ついに、サウル自身がラマに向かい、セクの大井戸まで来て、「サムエルとダビデはどこにいるのか」と尋ねた。「ラマのナヨトです」という答えを聞き、
19:23 サウルはラマのナヨトに向かってそこを去ったが、彼の上にも神の霊が降り、彼は預言する状態になったまま、ラマのナヨトまで歩き続けた。
19:24 彼は着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた。このため、「サウルもまた預言者の仲間か」と人々は言った。サムエル記上 19章18節~24節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第19章18節から24節より、「サムエルのもとに逃れたダビデ」という題でお話しします。

 前回、私たちは、サウルがダビデを殺そうとしたこと。しかし、サウルの息子のヨナタンと娘のミカルによって、ダビデが救われたことを学びました。逃げて難を避けたダビデが向かったところ、そこはサムエルのいるラマでありました。「サムエル」が登場してくるのは久しぶりであります。サムエルは、サウルに油を注いで王とした人物であり、また、サウルに主が王権を取り上げられることを告げた人物でありました。また、サウルに代わる王として、ダビデに油を注いだ人物でもあります。第16章13節に、こう記されていました。「サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った」。ダビデは、自分に油を注いだサムエルのもとに行って、サウルの仕打ちをすべて報告しました。ダビデは、サウルが罪のない自分を殺そうとしていることをサムエルに話したのでしょう。それで、サムエルは、ダビデを保護するために、ナヨトに行き、そこにとどまったのです。

 ある者が「ラマのナヨトにダビデがいる」とサウルに告げたので、サウルはダビデを捕らえようと使者を遣わしました。サウルから遣わされた者たちは、預言者の一団が預言しているのに出会います。その預言者の一団の先頭にはサムエルが立っていたのです。どうやら、ナヨトには預言者の学校があったようです。サムエルはその指導的立場にあったようです。すると、神の霊はサウルの使者の上にも降り、彼らも預言する状態になりました。預言する状態とは、恍惚状態になって、訳の分からない言葉を語り出すことを言います。主は、サウルから遣わされた者たちを、預言する状態にすることにより、ダビデを守られたのです。この報告を受けて、サウルは、他の使者を遣わしました。しかし、彼らもまた預言する状態になってしまいました。三度、サウルは追っ手を送りましたが、彼らもまた預言する状態になりました。それで、ついにサウル自身がラマに向かいました。セクの大井戸まで来たサウルは、「サムエルとダビデはどこにいるのか」と尋ねます。このときには、サウルは、サムエルとダビデが親しい関係にあることを知っていたようです。サウルは、サムエルから「主は、イスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる」という言葉を聞いていました(15:28)。ダビデがラマのサムエルのもとに逃れたことにより、サウルはダビデこそが、主がイスラエルの王権を与える、自分より優れた者であることを確信したことでしょう。かつて自分に油を注いだサムエルが、ダビデに油を注いだのではないかと考えても不思議はありません。むしろ、そのように考える方が、辻褄が合うのです。なぜ、ダビデはペリシテ人との戦いで勝利を収めることができるのか。なぜ、ダビデは、皆の者から愛されるのか。それは、ダビデが油を注がれた者であり、主が共にいてくださるからなのです。そのようなダビデをサウルは、敵と見なし、殺そうとして、ラマのナヨトに向かうのです。しかし、その途上において、サウルの上にも神の霊が降り、預言する状態になりました。彼は恍惚状態で訳の分からない言葉を語りながら、ラマのナヨトまで歩き続けたのです。サムエルが、神の霊によって預言する状態になったことは、第10章にも記されていました。旧約の442ページ。第10章9節から11節までをお読みします。

 サウルがサムエルと別れて帰途についたとき、神はサウルの心を新たにされた。以上のしるしはすべてその日に起こった。ギブアに入ると、預言者の一団が彼を迎え、神の霊が彼に激しく降り、サウルは彼らのただ中で預言する状態になった。以前からサウルを知っていた者はだれでも、彼が預言者と一緒になって預言するのを見て、互いに言った。「キシュの息子に何が起こったのだ。サウルもまた預言者の仲間か。」

 ここには、サウルに神の霊が降り、預言する状態になったことが記されています。そして、このことは、サムエルから油を注がれたサウルが、イスラエルの指導者とされたことを示すしるしの一つであったのです(10:5~7参照)。

では、今朝の御言葉に戻ります。旧約の461ページです。

 今朝の御言葉においても、神の霊が降り、サウルは預言する状態になります。しかし、それは、サウルがイスラエルの指導者とされたしるしではありません。むしろ、その意味するところは、サウルが王にふさわしくないことを物語っているのです。24節に、こう記されています。「彼は着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた」。ここでサウルが脱ぎ捨てた着物は、王が着る特別な着物です。その着物を脱ぎ捨てたことは、サウルがもはや王ではないことを示しています。サウルは、裸のままで、ただの人として、サムエルの前に倒れていたのです。このため、人々は、「サウルもまた預言者の仲間か」と言いました。この言葉は、第10章にも記されていましたが、その意味するところは違います。第10章では、サウルに神の御手が及んでいることを驚く言葉ですが、第19章では、サウルの不審な行動を怪しむ言葉となっています。

 第18章に、ヨナタンがダビデと契約を結んだこと。そして、ダビデに、来ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣、弓、帯に至るまで与えたことが記されていました。このヨナタンの着ていた上着も、王子としての特別なものでした。しかし、ヨナタンは、その上着を脱いでダビデに与えたのです。このことは、ヨナタンが自分ではなく、ダビデこそ、王位継承者であると認めたことを示しています。しかし、サウルはそうではありませんでした。サウルはダビデを認めることができず、殺そうとしたのです。サウルが王の象徴である上着を脱ぐことができたのは、神の霊に満たされた時であったのです。サウルは、神の霊に満たされて、主の御心に従うことがようやくできたのです。

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