ダビデを殺そうとするサウル 2021年7月28日(水曜 聖書と祈りの会)
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ダビデを殺そうとするサウル
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記上 19章1節~17節
聖書の言葉
19:1 サウルは、息子のヨナタンと家臣の全員に、ダビデを殺すようにと命じた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデに深い愛情を抱いていたので、
19:2 ダビデにこのことを告げた。「わたしの父サウルはあなたを殺そうとねらっている。朝になったら注意して隠れ場にとどまり、見つからないようにしていなさい。
19:3 あなたのいる野原にわたしは出て行って父の傍らに立ち、あなたについて父に話してみる。様子を見て、あなたに知らせよう。」
19:4 ヨナタンは父サウルにダビデをかばって話した。「王がその僕であるダビデのゆえに、罪を犯したりなさいませんように。彼は父上に対して罪を犯していないばかりか、大変お役に立っているのです。
19:5 彼が自分の命をかけてあのペリシテ人を討ったから、主はイスラエルの全軍に大勝利をお与えになったのです。あなたはそれを見て、喜び祝われたではありませんか。なぜ、罪なき者の血を流し、理由もなくダビデを殺して、罪を犯そうとなさるのですか。」
19:6 サウルはヨナタンの言葉を聞き入れて誓った。「主は生きておられる。彼を殺しはしない。」
19:7 ヨナタンはダビデを呼んで、これをすべて彼に告げた。ヨナタンはサウルのもとにダビデを連れて行き、ダビデはこれまでどおりサウルに仕えることになった。
19:8 戦いは続いて起こったが、ダビデはペリシテ人を討つために出陣し、大打撃を与えたので、彼らはダビデを恐れて逃げた。
19:9 ときに、主からの悪霊がサウルに降った。サウルは館で槍を手にして座り、ダビデはその傍らで竪琴を奏でていた。
19:10 そのとき、サウルがダビデを壁に突き刺そうとねらったが、ダビデはサウルを避け、槍は壁に突き刺さった。ダビデは逃げ、その夜は難を免れた。
19:11 サウルはダビデの家に使者を遣わし、彼を見張らせ、翌朝には殺させようとした。ダビデの妻ミカルはダビデに言った。「今夜中に避難して自分の命を守らなければ、明日は殺されます。」
19:12 ミカルはダビデを窓からつり降ろし、彼は逃げて難を免れた。
19:13 ミカルはテラフィムを寝床に置き、その頭に山羊の毛をかぶせ、それを着物で覆った。
19:14 サウルは使者を遣わしてダビデを捕らえようとしたが、ミカルは、「彼は病気です」と言った。
19:15 サウルはダビデを見舞うのだといって使者を遣わしたが、「ダビデを寝床のままわたしのもとに担ぎ込め。殺すのだ」と命じていた。
19:16 使者が来てみると、寝床には山羊の毛を頭にかぶせたテラフィムが置かれていた。
19:17 サウルはミカルに言った。「このようなことをしてわたしを欺いたのはなぜだ。なぜお前はわたしの敵を逃がし、避難させたのか。」ミカルはサウルに言った。「あの人は、『わたしを逃がせ。さもないとお前を殺す』と脅しました。」サムエル記上 19章1節~17節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第19章1節から17節より、「ダビデを殺そうとするサウル」という題でお話しします。
前回学んだ第18章には、サウルがペリシテ人の手によってダビデを殺そうとしたことが記されていました。サウルは娘のミカルを嫁として与える条件として、ペリシテ人の包皮100枚を求めました。そのようにサウルはダビデを殺そうとしたのです。しかし、ダビデは、200人のペリシテ人を討ち、条件の倍である200枚の包皮を持ち帰りました。このようにして、ダビデは、サウルの娘ミカルの夫となり、サウルの義理の息子となったのです。そのようなダビデを、今朝の19章では、サウルは公然と殺そうとするのです。
サウルは、息子のヨナタンと家臣の全員に、ダビデを殺すように命じました。第18章29節に、サウルが「ダビデをいっそう恐れ、生涯ダビデに対して敵意を抱いた」と記されていました。そのサウルの敵意が、息子のヨナタンと家臣の全員に告げられるのです。王であるサウルがダビデを殺そうとしている。このことを知った息子のヨナタンは、ダビデに深い愛情を抱いていたので、ダビデにこのことを告げました。ヨナタンとダビデが友情の契約を結んだことは、第18章3節に記されていました。ヨナタンは、ダビデを自分自身のように愛していたのです。ヨナタンはダビデにこう言います。「わたしの父サウルはあなたを殺そうとねらっている。朝になったら注意して隠れ場にとどまり、見つからないようにしていなさい。あなたのいる野原にわたしは出て行って父の傍らに立ち、あなたについて父に話してみる。様子を見て、あなたに知らせよう」。このように、ヨナタンは、父サウルとダビデの間を執り成そうとするのです。ヨナタンは、父サウルに、ダビデをかばってこう話しました。「王がその僕であるダビデのゆえに、罪を犯したりなさいませんように。彼は父上に対して罪を犯していないばかりか、大変お役に立っているのです。彼が自分の命をかけてあのペリシテ人を討ったから、主はイスラエルの全軍に大勝利をお与えになったのです。あなたはそれを見て、喜び祝われたではありませんか。なぜ、罪なき者の血を流し、理由もなくダビデを殺して、罪を犯そうとなさるのですか」。ここでヨナタンが言っていることはもっともなことであります。サウルもそのように思ったのでしょう。サウルは、ヨナタンの言葉を聞き入れて、「主は生きておられる。彼を殺しはしない」と誓ったのです。
ヨナタンはダビデを呼んで、これをすべて伝えました。ヨナタンはサウルのもとにダビデを連れて行き、ダビデはこれまでどおりサウルに仕えることになったのです。しかし、それも長くは続きませんでした。ペリシテ人との戦いが起こると、ダビデは出陣し、大打撃を与えて、帰って来ました。そのダビデを見て、サウルは再びダビデを殺そうとするのです。サウルはダビデが自分の王位をおびやかす、自分よりも優れた隣人であるゆえに、ダビデを殺そうとするのです(15:28「今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる」参照)。そもそも、サウルがイスラエルの王となったのは、ペリシテ人の手からイスラエルを救うためでありました。第14章47節にはこう記されていました。「サウルはイスラエルに対する王権を握ると、周りのすべての敵、モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、更にはペリシテ人と戦わねばならなかったが、向かうところどこでも勝利を収めた」。しかし、今となっては、ダビデがペリシテ人と戦い、向かうところどこでも勝利を収めたのです。そのようなダビデを、サウルは恐れたのです。サウルはダビデが役に立たないからではなくて、役に立ちすぎるゆえに、殺そうとするのです。
ときに、主からの悪霊がサウルに降りました。サウルがダビデの勝利の知らせを聞くことと、サウルに悪霊が降ることには関係があるようです。悪霊に取りつかれたサウルがダビデを殺そうとしたことは、第18章10節と11節に記されていました。その前に何が書いてあるのかと言いますと、「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」という女たちの歌を聞いて、サウルがダビデをねたみの目で見るようになったことが記されているのです。今朝の御言葉も同じであります。ダビデがペリシテ人に勝利を収めたことを聞いたサウルに、悪霊は降るのです。サウルは館で槍を手にして座っていました。なぜ、サウルは自分の家で、槍を手にしていたのでしょうか。私たちは、ここにサウルの臆病な心を見ることができると思います。他方、ダビデは竪琴を手にしておりました。ダビデは、悪霊にさいなまれるサウルのために、竪琴を奏でていたのです。そのとき、サウルはダビデを槍で突き刺そうとしました。ダビデは避けて、槍は壁に突き刺さりました。ダビデは逃げ、その夜は難を免れたのでした。サウルは、「主は生きておられる。彼を殺しはしない」と誓ったのですが、悪霊に取りつかれて、ダビデを殺そうとするのです。そのようにして、サウルは罪なき者の血を流して、主の御前に罪を犯そうとするのです。
難を免れたダビデは、妻ミカルの待つ自分の家に帰ります。サウルは、ダビデの家に使者を遣わし、彼を見張らせ、翌朝には殺させようとしていました。このことを知ったミカルは、ダビデにこう言います。「今夜中に避難して自分の命を守らなければ、明日は殺されます」。ここでは、サウルの息子ヨナタンに続いて、娘ミカルも、ダビデを救おうとします。ミカルもダビデを愛していたのです。「ダビデ」という名前は「愛されている者」という意味ですが、サウルの息子のヨナタンも、サウルの娘のミカルも、ダビデを愛していたのです。ミカルはダビデを窓からつりおろして、ダビデを逃がしました。どうやら、ダビデの家は、城壁と接していたようです。ダビデを逃がした後で、ミカルは、テラフィムを寝床に置き、その頭に山羊の毛をかぶせ、それを着物で覆いました。「テラフィム」とは「家の守り神」のことですが、ここでは等身大の大きな像であったようです。翌朝、サウルは使者を遣わしてダビデを捕らえようとしましたが、ミカルは、「彼は病気です」と答えました。そのようにして、ミカルはダビデが逃れる時をかせいだのです。サウルは、見舞うという口実で使者を遣わしますが、実は、「ダビデを寝床のままわたしのもとに担ぎ込め。殺すのだ」と命じていました。サウルは衝動的にではなく、平静な心で、ダビデを殺そうとするのです。使者が来てみると、寝床には山羊の毛を頭にかぶったテラフィムがおかれていました。寝床で横になっていたのは、ダビデではなく、家の守り神であるテラフィムであったのです。サウルはミカルにこう言います。「このようなことをしてわたしを欺いたのはなぜだ。なぜお前はわたしの敵を逃がし、避難させたのか」。ここで、サウルは、ダビデのことを「わたしの敵」と言っています。サウルは、主が共におられるダビデを自分の敵とすることにより、自分を主の敵としてしまうのです。ミカルはサウルにこう言いました。「あの人は、『わたしを逃がせ。さもないとお前を殺す』と脅しました」。このようにして、ミカルは重ねてサウルを欺くのです。しかし、それは致し方ないことであったと思います。ミカルは愛する夫ダビデの命と自分の命を守るために、このような嘘をついたのです。
今朝の御言葉で、サウルの手からダビデを救ったのは、サウルの息子ヨナタンと娘ミカルでありました。このことは、サウルがダビデを殺そうとしたのは、ダビデが罪を犯したからではなく、サウルのねたみのためであったことを示しています。そして同じことが、最高法院によって死刑の判決を受けたイエス・キリストにおいても言えるのです。『マルコによる福音書』の第15章10節に、こう記されています。「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである」。ローマの総督ポンテオ・ピラトは、イエス様に罪がないこと、祭司長たちがイエス様を引き渡したのは、ねたみのためであることを知っていたのです。このようなねたみの心によって、サウルはダビデを敵と見なし、殺そうとするのです。