ダビデをねたむサウル 2021年7月14日(水曜 聖書と祈りの会)
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ダビデをねたむサウル
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 18章5節~16節
聖書の言葉
18:5 ダビデは、サウルが派遣するたびに出陣して勝利を収めた。サウルは彼を戦士の長に任命した。このことは、すべての兵士にも、サウルの家臣にも喜ばれた。
18:6 皆が戻り、あのペリシテ人を討ったダビデも帰って来ると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。
18:7 女たちは楽を奏し、歌い交わした。「サウルは千を討ち/ダビデは万を討った。」
18:8 サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った。「ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか。」
18:9 この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった。
18:10 次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。サウルは、槍を手にしていたが、
18:11 ダビデを壁に突き刺そうとして、その槍を振りかざした。ダビデは二度とも、身をかわした。
18:12 主はダビデと共におられ、サウルを離れ去られたので、サウルはダビデを恐れ、
18:13 ダビデを遠ざけ、千人隊の長に任命した。ダビデは兵士の先頭に立って出陣し、また帰還した。
18:14 主は彼と共におられ、彼はどの戦いにおいても勝利を収めた。
18:15 サウルは、ダビデが勝利を収めるのを見て、彼を恐れた。
18:16 イスラエルもユダも、すべての人がダビデを愛した。彼が出陣するにも帰還するにも彼らの先頭に立ったからである。サムエル記上 18章5節~16節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第18章5節から16節より、「ダビデをねたむサウル」という題でお話します。
ダビデは、サウルが派遣するたびに出陣して勝利を収めました。ダビデは、もはや、鎧や剣に慣れていない者ではありません(17:39参照)。サウルは、ダビデを戦士の長に任命しましたが、このことは、すべての兵士にも、サウルの家臣にも喜ばれました。ダビデは、誰もが認める戦術の心得のある勇敢な戦士であったのです(16:18参照)。
ある日、ペリシテ人を討ってダビデが帰って来ると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、楽器を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えました。こういうことは、よくあったようです。『出エジプト記』の第15章20節と21節にはこう記されています。旧約の119ページです。
アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。『主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。』」
また、『士師記』の第11章34節にもこう記されています。旧約の403ページです。
エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。
このように、イスラエルの女たちは、ペリシテ人との戦いに勝利したダビデとサウル王を、歌い踊りながら出迎えたのです。女たちは楽を奏し、こう歌い交わしました。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」。サウル王はこれを聞いて激怒し、悔しがってこう言います。「ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか」。おそらく、女たちは、サウルに対して何の悪意も持っていなかったと思います。女たちはサウルを貶めようとしたのではなくて、ダビデの活躍を率直に讃えたのです。しかし、この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになりました。「あとは王位を与えるだけか」と言っているように、サウルはダビデのことを自分の王位を脅かす者と考えるようになったのです。かつて、サムエルは、サウルにこう言っておりました。「今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたより優れた隣人にお与えになる」(15:28)。私たちは、この隣人こそ、サムエルによって油を注がれたダビデであることを知っています。しかし、サウルはそのことを知りません。サウルが知っているのは、「主が自分からイスラエルの王国を取り上げて、自分よりも優れた隣人にお与えになる」ということだけです。サウルは、自分よりも優れた隣人が誰だかを知りません。しかし、女たちの歌、「サウルは千を討ち/ダビデは万を討った」という歌を聞いたときに、ダビデが自分よりも優れた隣人ではないかと考えるようになったのです。
次の日、神様からの悪い霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れました。新改訳聖書は、この所を「狂いわめいた」と翻訳しています。ダビデは、サウルの心を静めようとして竪琴を奏でます。しかし、サウルの心は静まりませんでした。静まるどころか、槍を振りかざしてダビデを殺そうとしたのです。かつては、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルの心は安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れました(16:23参照)。しかし、今回は、竪琴の音を聞いても、サウルの心は安まることなく、ダビデを殺そうとしたのです。それは、サウルの妬みによるものだと思います。サウルは妬みから、ダビデを殺そうとするのです。サウルにとって、ダビデは自分の王位を揺るがす脅威であったのです。
サウルはダビデを恐れました。それは、サウルから離れ去った主がダビデと共におられたからです。そのことをサウルも認めていたのです。サウルはダビデを恐れ、ダビデを遠ざけ、千人隊の長に任命しました。ダビデは兵士の先頭に立って出陣し、また帰還しました。主はダビデと共におられたので、彼はどの戦いにおいても勝利を収めました。ダビデが勝利を恐れることは、本来喜ばしいことであるはずです。イスラエル軍がペリシテ軍に勝利したのですから、ダビデのことを、「私は良い部下を持った」と喜んでもよいはずです。しかし、サウルは、ダビデを恐れたのです。
イスラエルもユダも、すべての人がダビデを愛しました。ダビデという名前は「愛されている者」という意味ですが、その名前のとおり、ダビデは、イスラエルとユダのすべての人に愛されたのです。その理由を聖書は、「彼が出陣するにも帰還するにも彼らの先頭に立ったからである」と記しています。そして、これこそ、民が王様に望んでいたことであったのです。第8章19節と20節にこう記されていました。旧約の439ページです。
民はサムエルの声に聞き従おうとせず、言い張った。「いいえ。我々には、どうしても王が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。」
イスラエルの民は、王様に、陣頭に立って進み、自分たちの戦いをたたかうことを期待していました。そして、ダビデは、その期待どおり、出陣するときにも帰還するにも先頭に立ったのです。ダビデは、すでにイスラエルとユダの王として振る舞っているのです。サウルは悔しがって、「あとは、王位を与えるだけか」と言いましたが、そのとおりであるのです。ダビデは、あのペリシテ人(ゴリアト)を一騎打ちで倒したときから、イスラエルの王として振る舞っているのです。しかし、サウルはそのことのゆえに、ダビデをねたみ、殺そうとするのです。サムエルから告げられた主の言葉を受け入れない不信仰のゆえに、主が共におられるダビデを恐れ、遠ざけ、殺そうとするのです。