恐れおののくサウル 2021年6月02日(水曜 聖書と祈りの会)

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恐れおののくサウル

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 17章1節~11節

聖句のアイコン聖書の言葉

17:1 ペリシテ人は戦いに備えて軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集結し、ソコとアゼカの間にあるエフェス・ダミムに陣を張った。
17:2 一方、サウルとイスラエルの兵も集結し、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ軍との戦いに備えた。
17:3 ペリシテ軍は一方の山に、イスラエル軍は谷を挟んでもう一方の山に陣取った。
17:4 ペリシテの陣地から一人の戦士が進み出た。その名をゴリアトといい、ガト出身で、背丈は六アンマ半、
17:5 頭に青銅の兜をかぶり、身には青銅五千シェケルの重さのあるうろことじの鎧を着、
17:6 足には青銅のすね当てを着け、肩に青銅の投げ槍を背負っていた。
17:7 槍の柄は機織りの巻き棒のように太く、穂先は鉄六百シェケルもあり、彼の前には、盾持ちがいた。
17:8 ゴリアトは立ちはだかり、イスラエルの戦列に向かって呼ばわった。「どうしてお前たちは、戦列を整えて出て来るのか。わたしはペリシテ人、お前たちはサウルの家臣。一人を選んで、わたしの方へ下りて来させよ。
17:9 その者にわたしと戦う力があって、もしわたしを討ち取るようなことがあれば、我々はお前たちの奴隷となろう。だが、わたしが勝ってその者を討ち取ったら、お前たちが奴隷となって我々に仕えるのだ。」
17:10 このペリシテ人は続けて言った。「今日、わたしはイスラエルの戦列に挑戦する。相手を一人出せ。一騎打ちだ。」
17:11 サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいた。サムエル記上 17章1節~11節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第17章1節から11節より、「恐れおののくサウル」という題でお話しします。

 ペリシテ人との戦いについては、第4章に記されていました。第4章には、ペリシテ軍によって、イスラエル軍が打ち負かされ、神の箱が奪われたことが記されておりました(その後、神の箱は自ら戻って来ます)。また、第13章と第14章にも、ペリシテ人との戦いについて記されておりました。この時は、サウルの息子であるヨナタンの活躍によって、イスラエルは大勝利を収めたのでした。今朝の御言葉、第17章にも、ペリシテ人との戦いについて記されています。ペリシテ人は、地中海からカナンの土地に侵入した海の民で、イスラエルとは敵対関係にありました。そのペリシテ人が戦いに備えて軍隊を召集したのです。ペリシテ軍はユダのソコに集結し、ソコとアゼカの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷きました。他方、サウルとイスラエルの兵も集結し、エラの谷に陣を敷いて、戦いに備えました(聖書歴史地図参照)。ペリシテ軍とイスラエル軍は谷を挟んで、互いに向かい合って陣を敷いていたのです。ペリシテの陣地から一人の戦士が進み出て来ました。その名はゴリアトといい、ガド出身で、背丈は、およそ3メートルもある大男でした。ゴリアトは、頭に青銅の兜をかぶり、身には60キログラムもある青銅のうろことじの鎧を着ていました。足には青銅のすね当てを着け、肩に青銅の投げやりを背負っていました。槍の柄は機織りの巻き棒のように太く、穂先は鉄7キログラムもあり、彼の前には盾持ちがおりました。ゴリアトは、背丈が大きいばかりではなく、重い防具を身に着け、重い武器を操る怪力の持ち主であったのです。ゴリアトは、青銅の防具で身を固め、鉄の武器を持つ戦士の中の戦士、まさに代表戦士でありました(新改訳2017参照)。そのゴリアトが立ちはだかって、イスラエルの戦列に向かってこう呼ばわったのです。「どうしてお前たちは、戦列を整えて出て来るのか。わたしはペリシテ人、お前たちはサウルの家臣。一人を選んで、わたしの方へ下りて来させよ。その者にわたしと戦う力があって、もしわたしを討ち取るようなことがあれば、我々はお前たちの奴隷となろう。だが、わたしが勝ってその者を討ち取ったら、お前たちが奴隷となって我々に仕えるのだ。今日、わたしはイスラエルの戦列に挑戦する。相手を一人出せ。一騎打ちだ」。このように、ゴリアトは、イスラエル軍に、一騎打ちで勝負をつけようと挑戦するのです。このような挑戦を受けて、サウルとイスラエルの全軍は、どうしたのでしょうか。彼らは、自分たちの中から代表戦士を選んだでしょうか。そうではありません。サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいていたのです。第13章に、海辺の砂のように多いペリシテ軍を前にして、イスラエルの人々がどこにでも身を隠したことが記されていました。しかし、そのとき、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、サウルの後ろでおののいていました。この時は、サウルは恐れおののいていたとは記されていないのです(13:7「ヨルダン川を渡り、ガドやギレアトの地に逃げ延びたヘブライ人もあった。しかし、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、サウルの後ろでおののいていた」参照)。しかし、今朝の御言葉においては、王であるサウルも他のイスラエルの兵たちと同じように恐れおののいていたのです。第11章に、ギレアドのヤベシュがアンモン人の王ナハシュによって包囲されたことが記されていました。そのことを聞いたサウルは、どのような反応を示したでしょうか。第11章6節と7節にはこう記されています。

 それを聞くうちに神の霊がサウルに激しく降った。彼は怒りに燃えて、一軛の牛を捕らえ、それを切り裂き、使者に持たせて、イスラエルの全土に送り、次のように言わせた。「サウルとサムエルの後について出陣しない者があれば、その者の牛はこのようにされる。」民は主への恐れにかられ、一丸となって出陣した。

 今朝の御言葉で、このようなサウルの姿を、もはや見ることはできません。なぜなら、主の御言葉を退けたサウルは、王位から退けられたからです。主がサウルをイスラエルの王位から退けたにもかかわらず、サウルは王として留まり続けていました。そのようなサウルから、主の霊は離れ去っていたのです。ですから、サウルは、ゴリアトの言葉を聞いても、怒りに燃えることなく、他の者たちと同じように恐れおののいていたのです。けれども、後に登場するダビデは違います。ダビデは、主に油を注がれた者として、主の霊が留まっている者として、ゴリアトの言葉を聞いて、怒りに燃えてこう言うのです。「生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか」(17:26)。そして、ダビデは、「僕(しもべ)が行って、あのペリシテ人と戦いましょう」と名乗りを上げるのです(17:32)。サウルもイスラエルの全軍も恐れおののいている中で、ダビデだけが、この戦いが主の戦いであり、主はイスラエルに必ず勝利を与えてくださると確信していたのです。イエス・キリストの使徒パウロは、「神はおくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださった」と記しました(二テモテ1:7)。ダビデに与えられた主の霊は、まさしく臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊であったのです。その主の霊を、私たちも、主イエス・キリストを通して与えられているのです。

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