サウルに仕えるダビデ 2021年5月26日(水曜 聖書と祈りの会)
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サウルに仕えるダビデ
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記上 16章14節~23節
聖書の言葉
16:14 主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。
16:15 サウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。
16:16 王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」
16:17 サウルは家臣に命じた。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい。」
16:18 従者の一人が答えた。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です。」
16:19 サウルは、エッサイに使者を立てて言った。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい。」
16:20 エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送った。
16:21 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた。
16:22 サウルはエッサイに言い送った。「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」
16:23 神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。サムエル記上 16章14節~23節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第16章14節から23節より、「サウルに仕えるダビデ」という題でお話します。
前回、私たちは、サムエルがダビデに油を注いだこと。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになったことを、御一緒に学びました。それに対して、今朝の御言葉では、主の霊がサウルから離れたことが記されています。主は御自分の御言葉を退けたサウルを王位から退けられました。サウルは、サムエルからそのことを聞いておりました(15:26参照)。しかし、サウルは依然として王位に留まっていたのです。そのサウルから主は御自分の霊を取り上げてしまわれたのです。主の霊は、王としての職務を果たすための力と賜物の源であります。その聖霊を取り上げられてしまったにもかかわらず、サウルはイスラエルの王であり続けようとしたのです。主の霊がサウルから離れると、主から来る悪霊がサウルをさいなむようになりました。「悪霊」とは「悪い霊」のことで、サウルに災いをもたらす霊のことです。主から聖霊を取り上げられてしまったサウルは、悪い霊によって苦しめられることになります。このことは、王としての力と賜物の源である聖霊なしで、王としての職務を果たそうとしたことの結果ではないかと思います。「アマレク人を滅ぼし尽くせ」という主の御言葉を退けたサウルは、これまでとは違う情緒不安定な人物となってしまいました。そのサウルの様子を見て、家臣は、こう勧めます。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の気分を良くするでしょう」。家臣たちは、音楽で王様の心を安らかにしたらどうかと提案します。それで、サウルは、こう命じます。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい」。すると従者の一人はこう答えました。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です」。この人こそ、ダビデであるわけですが、ダビデは、竪琴を巧みに奏でる音楽家でありました。また、勇敢な戦士であるとも言われています。第14章52節に、「サウルは勇敢な男、戦士を見れば、皆召し抱えた」と記されていました。サウルは、竪琴の名手であり、勇敢な戦士であるエッサイの息子を連れて来ることにします。サウルは、エッサイに使者を立ててこう言うのです。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい」。サウルは、ダビデが羊の番をしていることを、いつ知ったのだろうかと不思議に思うのですが、このサウルの言葉によって、家臣が伝える、竪琴の名手であり、勇敢な戦士が、サムエルから油を注がれた末の息子ダビデであることが示されるのです。エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送りました。これらの品々は、王様への敬意を表す贈り物です(10:27参照)。このようにして、ダビデはサウルに仕えるようになるのです。かつてサムエルは、サウルに、こう言いました。「今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる」(15:28)。その隣人こそ、竪琴を上手に奏でるダビデであったのです。サウルはそのことを知らずに、ダビデを大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てました。ここで「大層気に入り」と訳されている言葉は「非常に愛し」とも訳せます(新改訳)。ダビデという名前は「愛される者」という意味ですが、サウルはダビデを非常に愛したのです。サウルがダビデを大層気に入ったことは、王の武器を持つ者に取り立てたことからも分かります。「王の武器を持つ者」は王様から最も信頼される部下であるからです。サウルはエッサイにこう言い送ります。「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った」。このように、ダビデは、サウルに正式に仕えるようになるのです。
神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊はサウルから離れて行きました。主の霊が留まっているダビデの働きを通して、サウルは悪霊を追い出してもらうのです。ダビデの子孫であるイエス・キリストが聖霊によって、人々から悪霊を追い出したように、ダビデも、主の霊によって、サウルから悪霊を追い出すのです。
今朝の御言葉を読んで、私は、『ルカによる福音書』の第11章に記されている「汚れた霊が戻って来る」というお話しを思い起こしました。そのところを、最後にお読みしたいと思います。新約の129ページ。『ルカによる福音書』の第11章24節から26節までをお読みします。
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる」。
このイエス様の御言葉は、聖霊によって悪霊を追い出していただいた者への警告の言葉です。イエス様の聖霊の力によって、悪霊を追い出していただいても、イエス様を信じて聖霊に住み続けていただかなければ、もっと悪い悪霊に住み込まれてしまう。そうすると、その人の後の状態は前よりも悪くなるというのです。私たちにとってのダビデの竪琴は、何でしょうか。それは、主イエス・キリストの御言葉であります。私たちは主イエスの御言葉に聞き従い続けることによって、悪霊を追い出すことができるのです。なぜなら、主イエスの御言葉に聞き従い続ける私たちの内にこそ、聖霊は住み続けてくださるからです。