王位から退けられたサウル 2021年5月12日(水曜 聖書と祈りの会)

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王位から退けられたサウル

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 15章24節~35節

聖句のアイコン聖書の言葉

15:24 サウルはサムエルに言った。「わたしは、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました。
15:25 どうぞ今、わたしの罪を赦し、わたしと一緒に帰ってください。わたしは、主を礼拝します。」
15:26 サムエルはサウルに言った。「あなたと一緒に帰ることはできない。あなたが主の言葉を退けたから、主はあなたをイスラエルの王位から退けられたのだ。」
15:27 サムエルが身を翻して立ち去ろうとすると、サウルは彼の上着の裾をつかんだ。上着は裂けた。
15:28 サムエルは彼に言い渡した。「今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる。
15:29 イスラエルの栄光である神は、偽ったり気が変わったりすることのない方だ。この方は人間のように気が変わることはない。」
15:30 サウルは言った。「わたしは罪を犯しました。しかし、民の長老の手前、イスラエルの手前、どうかわたしを立てて、わたしと一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します。」
15:31 サムエルは彼について帰り、サウルは主を礼拝した。
15:32 サムエルは命じた。「アマレクの王アガグを、わたしのもとに連れて来なさい。」アガグは、喜んで彼のもとに出て来た。これで死の苦しみは免れる、と思ったからである。
15:33 しかし、サムエルは言った。「お前の剣は女たちから子供を奪った。そのようにお前の母も子を奪われた女の一人となる。」こうしてサムエルは、ギルガルで主の御前にアガグを切り殺した。
15:34 サムエルはラマに行き、サウルはギブアの自分の家に向かった。
15:35 サムエルは死ぬ日まで、再びサウルに会おうとせず、サウルのことを嘆いた。主はサウルを、イスラエルの上に王として立てたことを悔いられた。サムエル記上 15章24節~35節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第15章24節から35節より、「王位から退けられたサウル」という題でお話しします。

 サウルはサムエルにこう言いました。24節です。「わたしは、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました。どうぞ今、わたしの罪を赦し、わたしと一緒に帰ってください。わたしは、主を礼拝します」。ここで、サウルは自分が罪を犯したことを認めております。これまで、サウルは、自分は主の御声に聞き従ったと言っていました(13、20節)。しかし、サムエルの言葉、「主の御言葉を退けたあなたは王位から退けられる」という言葉を聞いて、サウルは、自分が主の御命令とサムエルの言葉に背いて罪を犯したことを認めるのです。サウルは、自分が兵士(民)を恐れて、民の声に聞き従ってしまったと言うのです。主によって油を注がれ、王とされたサウルは、主の御声に聞き従って、民を治めるべきでありました。しかし、サウルは、治めるべき民の声に聞き従って、主に罪を犯したのです。サウルは、サムエルに罪の赦しを求め、自分と一緒に帰ることを願います。主を礼拝するには、サムエルに祭壇でいけにえを献げてもらう必要があったのでしょう。しかし、サムエルはサウルにこう言いました。「あなたと一緒に帰ることはできない。あなたが主の言葉を退けたから、主はあなたをイスラエルの王位から退けられたのだ」。サムエルは、サウルと行動を共にすることを拒否します。なぜなら、主は、御言葉を退けたサウルを、イスラエルの王位から退けられたからです。これは、23節で言われていたことの繰り返しですね。サムエルは、サウルがイスラエルの王位から退けられたことを再び宣言するのです。サムエルは身を翻して立ち去ろうとしました。サウルはサムエルの上着の裾をつかんで引き止めようとしますが、上着は裂けてしまいました。すると、サムエルはサウルにこう言い渡します。「今日、主はイスラエルの王国を取り上げ、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる。イスラエルの栄光である神は、偽ったり気が変わったりすることのない方だ。この方は人間のように気が変わることはない」。28節の「取り上げ」と訳されている言葉は、27節の「裂けた」と訳されている言葉と同じ言葉(カラー)です。サムエルは、上着が裂けたことを、一つのしるしとして解釈して、「今日、主はイスラエルの王国をあなたから引き裂き、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる」と言うのです。そして、このことは、既に決定済みのことであり、変更不可能なことであるのです。「イスラエルの栄光である神は、偽ったり気が変わることのない方だ。この方は人間のように気が変わることはない」という御言葉は、サウルを王位から退けることが変わることのない主の御旨であることを示しているのです。しかし、サウルはサムエルにこう言います。「わたしは罪を犯しました。しかし、民の長老の手前、イスラエルの手前、どうかわたしを立てて、わたしと一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します」。サウルは「わたしは罪を犯しました」というのですが、彼が気にしているのは、神様の目ではなく、長老たちや民の目でありました。サウルが心配していることは、サムエルが自分と一緒に帰ってくれないと礼拝することができず、長老や民の前に面目を保つことができない、ということであったのです。このように見て来ますと、サウルが、どれほどサムエルの言葉、「主はあなたをイスラエルの王位から退けられる」という言葉を重く受けとめていたか怪しくなります。サウルの考えによれば、自分がイスラエルの王であることは、長老や民に支持されることにかかっているのです。サムエルは、そのようなサウルを憐れに思ったのでしょうか。サムエルはサウルと一緒に帰りました。そして、サウルは主を礼拝したのです。このように、長老たちや民の目には、主がサウルを王位から退けられたことは隠されているのです。

 礼拝の後、サムエルはこう命じました。「アマレクの王アガグを、わたしのもとに連れて来なさい」。アガグは、死の苦しみを免れることができると思い、喜んでサムエルのもとに出て来ました。しかし、サムエルはこう言うのです。「お前の剣は女たちから子供を奪った。そのようにお前の母も子を奪われた女の一人となる」。そして、サムエルは、主の御前で、アガグを切り殺したのです。サムエルは老人であり、これまで人を殺したことはなかったと思います。しかし、そのサムエルが主の御前で、アガグを切り殺したのです。そのようにして、サムエルは、サウルが果たさなかった主の御言葉、「アマレクを滅ぼし尽くせ」という御言葉を実行したのです。

 サムエルはラマに行き、サウルはギブアの自分の家に向かいました。ラマとギブアは、16キロメートルほどしか離れていませんが、サムエルは死ぬ日まで、再びサウルに会おうとせず、サウルのことを嘆きました。また、主はサウルを、イスラエルの上に王として立てたことを悔いられたのです(11節も参照)。主が悔いられたことは、サウルが御言葉に聞き従って、イスラエルの民を治めることを、主が期待されていたことを示しています。しかし、サウルは王であるにもかかわらず、主の御言葉に聞き従いませんでした。サウルは、主の御声ではなく民の声に聞き従うことにより、まことの王である主を退けたのです。それゆえ、主はサウルを王としたことを悔いられたのです。しかし、主は、サウルを王位から退けることについては、悔いられません。実は、35節で、「悔いられた」と訳されている言葉(ナハム)は、29節で「気が変わる」と訳されていた言葉と同じです。サウルをイスラエルの王に立てたことを悔いられた主は、サウルを王位から退けることを悔いられません。なぜなら、何度も申しておりますように、イスラエルの王は、主の御声に聞き従うことによって、まことの王が主なる神であることを示すことが求められていたからです。そして、そのような王こそ、ダビデであり、さらには、ダビデの子孫としてお生まれになるイエス・キリストであるのです。

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