アマレク人との戦い 2021年4月21日(水曜 聖書と祈りの会)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

アマレク人との戦い

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 15章1節~11節

聖句のアイコン聖書の言葉

15:1 サムエルはサウルに言った。「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい。
15:2 万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。
15:3 行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」
15:4 サウルは兵士を召集した。テライムで兵士を数えると、歩兵が二十万、ユダの兵は一万であった。
15:5 サウルはアマレクの町まで来ると、兵を川岸にとどめた。
15:6 サウルはカイン人に言った。「あなたたちはアマレク人のもとを立ち退き、避難してください。イスラエルの人々がエジプトから上って来たとき、親切にしてくださったあなたたちを、アマレク人の巻き添えにしたくありません。」カイン人はアマレク人のもとを立ち退いた。
15:7 サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討った。
15:8 アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。
15:9 しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした。
15:10 主の言葉がサムエルに臨んだ。
15:11 「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない。」サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ。サムエル記上 15章1節~11節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第15章1節から11節より、「アマレク人との戦い」という題でお話しします。

 サムエルはサウルにこう言いました。「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい。万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。行け。アマレクを打ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」。

 ここで、サムエルは、主から遣わされて、サウルに油を注いだ者として、主の言葉を語っています。サムエルは預言者として、王であるサウルに、主の御言葉を語るのです。これまで学んできましたように、王は誰よりも主の御言葉に聞き従うことが求められています。なぜなら、王が主の御言葉に聞き従うことによってこそ、イスラエルのまことの王が主なる神であることが示されるからです。「万軍の主」とは、「天の軍勢を率いておられる主」という意味で、主が戦いの神であることを示しています。万軍の主は、「イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした」と言われます。「アマレク」とは、ユダの南方からシナイの荒野にかけて住んでいた強力な遊牧民でありました。『出エジプト記』の第17章に、イスラエルとアマレクとの戦いのことが記されています。そこを開いて読んでみたいと思います。旧約の122ページです。第17章8節から16節までをお読みします。

 アマレクがレフィディムに来てイスラエルと戦ったとき、モーセはヨシュアに言った。「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ。」ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。主はモーセに言われた。「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と。」モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、言った。「彼らは主の御座に背いて手を上げた。主は代々アマレクと戦われる。」

 このとき、イスラエルはエジプトを脱出したばかりでありました。そのイスラエルを、アマレク人は滅ぼそうと戦いをしかけてきたのです。14節に、「わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る」という主の御意志が記されています。この主の御意志は、『申命記』の第25章にも記されています。そこも開いて読みたいと思います。旧約の320ページです。第25章17節から19節までをお読みします。

 あなたたちがエジプトを出たとき、旅路でアマレクがしたことを思い起こしなさい。彼は道であなたと出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏れることがなかった。あなたの神、主があなたに嗣業の土地として得させるために与えられる土地で、あなたの神、主が周囲のすべての敵からあなたを守って安らぎを与えられるとき、忘れずに、アマレクの記憶を天の下からぬぐい去らねばならない。

 この『申命記』の御言葉を読みますと、イスラエルはアマレクと一度だけ戦ったというのではなく、長い間に渡って戦い、苦しめられていたようです(出エジプト17:16「主は代々アマレクと戦われる」参照)。ここでも、「アマレクの記憶を天の下からぬぐい去らねばならない」と記されています。この主の御意志を行うように、サウルは命じられたのです。

 では、今朝の御言葉に戻ります。旧約の451ページです。

 3節に、「行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」とあります。ここで「滅ぼし尽くせ」と翻訳されている言葉(ヘレム)は、「聖絶せよ」とも訳すことができます。『新改訳2017』を見ますと、「そのすべてのものを聖絶しなさい」と翻訳しています。ですから、ここで命じられていることは、アマレクのすべてのものを滅ぼし尽くして、神様にささげることであるのです。「敵を滅ぼし尽くして、神様にささげる」という「聖絶」という考え方は、古代オリエントにおいて広くあったようです。発掘された碑文からモアブやアッシリアにも、聖絶という考え方があったことが知られています。主がサウルに、アマレクを滅ぼし尽くすように、聖絶するように命じられたことは、アマレクとの戦いが「主の戦い」であることを示しています。この主の戦いを戦うようにと、サウルは命じられたのです。

 サウルは兵士を招集しました。『新共同訳』は「兵士」と翻訳していますが、元の言葉では「民」(アム)という言葉です。テライムで民の数を数えると、歩兵が20万、ユダの兵は1万でありました。サウルはアマレクの町まで来ると、兵を川岸に待機させました。そして、その辺りに住むカイン人にこう言います。「あなたたちはアマレク人のもとを立ち退き、避難してください。イスラエルの人々がエジプトから上って来たとき、親切にしてくださったあなたたちを、アマレク人の巻き添えにしたくありません」。カイン人とはケニ人のことです(口語訳、新改訳参照)。カイン人はモーセのしゅうとエトロの親族でありました(士師1:16参照)。アマレクとの戦いは、イスラエルがエジプトから上って来る道で戦いをしかけたアマレク人を罰する戦いでありました。ですから、イスラエルがエジプトから上って来たとき、親切にしたカイン人は滅ぼされてはならないのです。カイン人は、この勧告に従って、アマレク人のもとを立ち退きました。

 サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討ちました。アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼしたのです。しかし、サウルと兵士(民)は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くしたのです。サウルは、「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。・・・牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ」と命じられていたにもかかわらず、肥えた牛や羊を惜しんで滅ぼさなかったのです。

 それゆえ、主はサムエルにこう言われるのです。「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない」。王に求められること、それはまことの王である主なる神の御言葉に聞き従うことでありました。しかし、サウルは王でありながら、主の御言葉に聞き従わないのです。

サムエルは深く心を痛めて、夜通し主に向かって叫びました。サムエルは、主がサウルから王国を取り上げて、よりすぐれた隣人に与えることをも、主から聞いていたと思います。そのことを聞いて、サムエルは、サウルのために執り成しの祈りをささげたのではないでしょうか。「主よ、サウルは、あなたが立てた王ではありませんか。どうぞ、今回のことをお赦しくださり、サウルから王国を取り上げないでください」と、サムエルは執り成しの祈りをささげたと思うのです。しかし、そのサムエルの叫びも空しく、主はサウルから王国を取り上げられます。そして、そのことをサウルに告げるのは、他ならないサムエルであるのです。

関連する説教を探す関連する説教を探す