イスラエルを救われた主 2021年3月31日(水曜 聖書と祈りの会)

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イスラエルを救われた主

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 14章16節~23節

聖句のアイコン聖書の言葉

14:16 ベニヤミンのギブアにいるサウルの見張りは、人の群れが動揺し、右往左往しているのに気づいた。
14:17 サウルは彼のもとにいる兵に命じた。「我々の中から出て行ったのは誰か、点呼して調べよ。」調べると、ヨナタンと従卒とが欠けていた。
14:18 サウルはアヒヤに命じた。「神の箱を運んで来なさい。」神の箱は当時、イスラエルの人々のもとにあった。
14:19 サウルが祭司に話しているうちにも、ペリシテ軍の陣営の動揺はますます大きくなっていった。サウルは祭司に、「もうよい」と言い、
14:20 彼と彼の指揮下の兵士全員は一団となって戦場に出て行った。そこでは、剣を持った敵が同士討ちをし、大混乱に陥っていた。
14:21 それまでペリシテ側につき、彼らと共に上って来て陣営に加わっていたヘブライ人も転じて、サウルやヨナタンについているイスラエル軍に加わった。
14:22 また、エフライムの山地に身を隠していたイスラエルの兵士も皆、ペリシテ軍が逃げ始めたと聞くと、戦いに加わり、ペリシテ軍を追った。
14:23 こうして主はこの日、イスラエルを救われた。戦場はベト・アベンの向こうに移った。サムエル記上 14章16節~23節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第14章16節から23節より、「イスラエルを救われた主」という題でお話しします。

 前回、私たちは、ヨナタンと従卒の奇襲攻撃によって、ペリシテ軍の陣営に恐怖が広がったことを学びました。主は、ヨナタンと従卒を用いて、さらには地を揺り動かす地震によって、ペリシテ軍の陣営に、非常な恐怖をもたらしたのです。

 今朝の御言葉はその続きであります。

 ベニヤミンのギブアにいるサウルの見張りは、ペリシテ人の群れが動揺し、右往左往しているのに気づきました。ちなみに「右往左往」とは「うろたえてあっちへ行ったりこっちへ来たりすること。あわてふためいて混乱したさま」を言います。見張りからの知らせを聞いたサウルは、「我々の中から出て行ったのは誰か、点呼して調べよ」と命じました。そして、調べてみると、ヨナタンと従卒とが欠けていることが分かりました。サウルは、ペリシテ人の群れの混乱が、息子のヨナタンと彼の武器を持つ従卒によるものであることを知ったのです。18節に、「サウルはアヒヤに命じた。『神の箱を運んで来なさい。』神の箱は当時、イスラエルの人々のもとにあった」と記されています。これを読むと、「あれ、おかしいなぁ」と思われるのではないでしょうか。なぜなら、第7章1節によれば、神の箱はキルヤト・エアリムに置かれていたからです。キルヤト・エアリムにある神の箱が、ギブアにいるサウルのもとにいつ運ばれて来たのだろうかと不思議に思うのです。それで、ヘブライ語聖書のギリシャ語訳、いわゆる七十人訳聖書は、「エフォドを持ってくるように」と記しています。3節に、「そこには、エフォドを持つアヒヤもいた」とありました。「エフォド」とは、「神さまに伺いを立てるときに用いられたくじのような道具」であります。その「エフォドを持って来るように」とサウロが命じたと七十訳は記しているのです。この七十人訳に基づいて、口語訳聖書は、18節と19節を次のように翻訳しています。

 サウルはアヒヤに言った、「エポデをここに持ってきなさい」。その時、アヒヤはイスラエルの人々の前でエポデを身に着けていたからである。サウルが祭司に語っている間にも、ペリシテびとの陣営の騒ぎはますます大きくなったので、サウルは祭司に言った、「手を引きなさい」。

 サウルは、ペリシテ軍の陣営が慌てふためき混乱しているさまを見て、エフォドによって、神さまに伺いを立て、攻め込むべきかどうかを知ろうとしました。しかし、ペリシテ軍の陣営の動揺がますます大きくなるのを見て、「攻め込むべき」と判断して、神さまに伺いを立てるのを中止したのです。そして、サウルは兵士全員を率いて、一団となって、戦場に出て行ったのです。そこでは、剣を持った敵が同士討ちをし、大混乱に陥っていました。また、それまでペリシテ側につき、彼らと上って来て陣営に加わっていたヘブライ人が転じて、サウルやヨナタンについているイスラエル軍に加わりました。このヘブライ人たちは、イスラエル軍よりもペリシテ軍の方が優位であると判断して、ペリシテ側についていましたが、今や、イスラエル軍が優位であると判断して、イスラエル軍に加わったのです。さらに、エフライムの山地に身を隠していたイスラエルの兵士たちも皆、ペリシテ軍が逃げ始めたと聞くと、戦いに加わり、ペリシテ軍を追撃しました。こうして、主はこの日、イスラエルを救われたのです。かつて、ヨナタンは、「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」と言いました(サムエル上14:6)。そのヨナタンの言葉のとおり、主は、サウルと600人の兵士たちを用いて、海辺の砂のように多いペリシテ軍に勝利されたのです。ペリシテ軍に勝利したサウルを初めとするイスラエルの兵士たちは、主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではないことを身もって知ったのです。

 主イエス・キリストは、御自分の弟子たちの群れ、教会を用いて、福音宣教という霊的な戦いを戦っておられます。教会に連なる私たち一人一人は、福音宣教という霊的な戦いを戦うキリストの兵士であるのです。使徒パウロは、テモテに宛ててこう記しました。「キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい」(二テモテ2:3)。キリスト・イエスの立派な兵士として、福音宣教のために苦しみを忍ぶことが、私たちにも求められているのです。そして、そのような私たちを用いて、主イエスは、福音を信じる者たちを起こされるのです。世界では、イエス・キリストを信じる人はおよそ23億人で、人口の31パーセントであると言われます。しかし、日本では、イエス・キリストを信じる人は、およそ95万人で人口の0.8パーセントであると言われます。日本でイエス・キリストを信じている人の数はまだまだ少ないのです。しかし、私たちは、今朝、主が600人のイスラエル軍を用いて、海辺の砂のように多いペリシテ軍に勝利されたことを心に留めたいと願います。主イエスは、私たちに聖霊を与えてくださいました。それは、私たちが主イエスと同じ業をするためであります。さらには、主イエスよりも大きな業をするためであるのです。今朝は、最後に、そのことを確認して終わります。『ヨハネによる福音書』の第14章12節から14節までをお読みします。新約の197ページです。

 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。

 このように言ってくださる、イエスさまに祈り願いつつ、イエス・キリストの福音を宣べ伝えていきたいと願います。

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