王として生まれたイエス 2012年11月25日(日曜 朝の礼拝)

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王として生まれたイエス

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
マタイによる福音書 2章1節~12節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
2:4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
2:7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
2:8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
2:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。マタイによる福音書 2章1節~12節

原稿のアイコンメッセージ

序.

 私たちはマタイによる福音書を読み進めておりますが、今朝は第2章1節から12節までの御言葉をご一緒に学びたいと願っております。

1.占星術の学者たちの訪問

 1節に、「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。」と記されています。私たちはここからイエス様がいつ、どこでお生まれになったかを知ることができるわけです。「ヘロデ王の時代」とありますが、ヘロデがユダヤの王であったのは、紀元前37年から紀元前4年まででありました。イエス様がお生まれになったのは、ヘロデがユダヤの王として君臨していた最後の頃、紀元前6年頃であると考えられております(2:16参照)。西暦はイエス様の誕生を区切りとしておりますが、実際のイエス様の誕生はそれよりも6年ほど前であったのです。また、イエス様は、ユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。これについては後ほどお話したいと思います。

 イエス様がヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった、そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、こう言ったのです。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」。「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。」と記されておりますが、このことはヘロデが約束のメシアの誕生を恐れていたことを表しています(ダニエル9:25参照)。ですから、4節にありますように、「王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと、問いただした。」のです。ヘロデはユダヤ人ではなくイドマヤ人でありました。ですから、律法によればユダヤの王となれないはずであったのです。ヘロデがユダヤの王となれたのは、ローマ帝国の後ろ楯によるものであったのです。そのヘロデが、東方の占星術の学者たちから、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」という言葉を聞いたとき、ついに聖書が約束しているメシアがお生まれになったのではないかと不安を抱いたのであります。このヘロデの不安はよく分かるのですが、「エルサレムの人々も皆、同様であった。」と記されているのはなぜでしょうか?ここでのエルサレムの人々とは、4節の「民の祭司長たちや律法学者たち」を指していると思われますが、彼らは猜疑心が強く、残忍なヘロデが良からぬことをしないかと思って不安を抱いたのだと思います。

2.ユダのベツレヘム

 ヘロデ王から「メシアはどこに生まれることになっているのか」と問いただされた祭司長たちや律法学者たちは次のように答えました。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」。ベツレヘムは、ダビデ王が生まれ育った町であります。約束のメシアは、ダビデ王が生まれ育ったユダヤのベツレヘムで生まれると預言されていたのです。ここで、彼らはミカ書第5章1節を引用しておりますが、そこには次のように記されています。旧約聖書の1454頁です。

 エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。

 お読みいただいて、マタイによる福音書の文書と少し違うことに気づかれると思います。例えば、ミカ書では、「お前はユダの氏族の中でいと小さき者。」と記されておりますが、マタイによる福音書では、「お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない」と記されているのです。このことは、マタイが自分の解釈に従って、自由に変更を加えていることを表しています。マタイによれば、ベツレヘムからイスラエルの牧者がお生まれになるゆえに、ベツレヘムは決して小さな者ではないのです。また、マタイはミカ書の最後の言葉、「彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」を記さずに、それに代えてサムエル記下の第5章2節の御言葉を記しております。旧約聖書の487頁です。ここではサムエル記下の第5章1節、2節をお読みします。

 イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」

 この最後の言葉、「あなたがイスラエルの指導者となる」という御言葉をマタイは、ミカ書の預言と組み合わせたのです。このようにしてマタイは、イエス様がダビデの町であるベツレヘムで、ダビデのような王としてお生まれになったことを私たちに教えているのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約聖書の2頁です。

3.非常に大きな喜びを喜ぶ

 ヘロデは、占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめました。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言って、彼らをベツレヘムへと送り出したのでした。9節に、「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み」とありますが、どうやら、占星術の学者たちが東方で見たユダヤ人の王の星は、途中で見えなくなっていたようであります。ですから、彼らはお生まれになったユダヤ人の王に会うために、大王の都エルサレムに行ったのです。ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、ユダヤの宮殿にいるに違いないと思って、ヘロデ王のもとを訪ねたわけであります。しかし、彼らはそこで、聖書の御言葉から、メシアはユダヤのベツレヘムでお生まれになることを知らされるのです。ベツレヘムは、エルサレムのから南に8キロメートルであり、その道は一本道であったと言われています。ですから、この星は、彼らをベツレヘムへ導くためではなく、ベツレヘムにある幼子がいる家を指し示すために現れたのです。10節に、「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」と記されておりますが、この所を直訳すると「非常に大きな喜びを喜んだ」となります。学者たちは喜びという言葉を重ねずにはおれないほどの大きな喜びにあふれたのです。彼らははるばる東方からおよそ2年の歳月をかけて、ユダヤ人の王としてお生まれになった方を拝みに来たのでありますが、その方の誕生を告げた星が、再び現れて彼らをその方のもとへと導いたのであります。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられました。このとき、イエス様はおよそ2歳であったようです(2:16参照)。ルカによる福音書は、イエス様が家畜小屋でお生まれになったことを記しておりますが、マタイが記しておりますのは、それからしばらく経っての出来事であるのです。占星術の学者たちは、ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。これらはどれも高価な品物であり、王様に献上するのにふさわしい品々であります(詩72:15、イザヤ60:6参照)。このようにして、彼らはユダヤ人の王としてお生まれになったイエス様を拝むことができたのであります。しかし、彼らはヘロデにその子のことを知らせることはありませんでした。なぜなら、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げを受けたからです。ヘロデは「わたしも行って拝もう」と言っておりましたが、それは真っ赤な嘘でありまして、実は殺してしまおうと考えていたのです(2:16参照)。それで神様は、占星術の学者たちに夢で現れて、彼らを別の道から自分の国へ帰らせたのでありました。神は人から騙されるようなことは決してないのです。

結.私たちの王として生まれたイエス

 さて、今朝の御言葉が私たちに教えていることは何でしょうか?それは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった」イエス様を、最初に礼拝したのは東方の占星術の学者たちであったということです。つまり、「ユダヤ人の王としてお生まれになった」イエス様を最初に礼拝したのは異邦人であったということであります。では、ユダヤ人はどうであったかと言うと、ヘロデ王と同様に、不安を抱いたのです。民の祭司長たちや律法学者たちは、メシアはベツレヘムでお生まれになるという預言を知りながら、ユダヤ人の王としてお生まれになった方を拝みに行こうとはしませんでした。異邦人である学者たちが、東の国からはるばるやって来たのに対して、ユダヤ人である祭司長たちや律法学者たちは、エルサレムから8キロメートルほどしか離れていないベツレヘムに行こうとはしないのです。このことは、ユダヤ人の王としてお生まれになったイエス様が、後にユダヤ人から排斥され、異邦人によって崇められるようになることの先取りであると言えます。また、このことは、イエス様がユダヤ人の王ばかりではなく、すべての民の王としてお生まれになったことを私たちに教えているのです。この福音書の最後の第28章で、復活されたイエス様が、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」と言われたように、イエス・キリストは天と地の一切の権能を授けられた全ての民の王であられるのです。イエス様は、私たちの王としてもお生まれになってくださったのです。ですから、私たちもイエス・キリストを拝むために時間と労苦を惜しんではなりません。そのとき、私たちは東の国から来た占星術の学者たちに自分たちの姿を重ねることができるのです。そのようにして、私たちは、彼らが喜んだ非常に大きな喜びにあずかることができるのです。

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