聖書の言葉 創世記17章4節~8節ガラテヤの信徒への手紙 3章15節~17節 メッセージ キリスト教会は、旧約聖書と新約聖書を合わせて一冊の聖書としていま す。それぞれ旧契約と新契約という意味です。契約という言葉は英語では testamentで、旧約聖書はOld testament、新約聖 書はNew testamentとも呼びます。その旧約聖書と新約聖書 の契約は同じ一つの契約であり、旧約聖書の時代には神様はアブラハムと 子孫との間に結ばれ、それは永遠の契約と呼ばれています。その契約には 子孫の繁栄と土地の取得と、異邦人への祝福が約束されていました。パウ ロは「この「子孫」とは、キリストのことです」と語っています。旧約聖 書はキリストを指し示し、預言し、キリストのための準備が語られ、新約 聖書はその主イエスご自身による契約の成就を語っています。ですから、 旧約聖書と新約聖書を結ぶ鍵は主イエスです。 1.契約に入るための論争 そのことを語るために、この段落でパウロは再び、ガラテヤの諸教会で 問題となっていた主イエスを信ずるだけで異邦人も永遠の契約に入れられ るのか、永遠の契約に入れられるために割礼も必要なのかを別の角度から 語ります。その際、「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち」と3:1 でガラテヤの諸教会の信徒たちに語りかけたパウロが、3:15では一転 して、「兄弟たち」と親しく語りかけています。何とか正しい福音理解に 立ち帰って欲しいとの願いを込めての語りかけでしょう。 ユダヤ人キリスト者も、キリストが旧約聖書に約束されていた救い主、 メシアであると信じていましたが、旧約聖書の教えは廃棄されず、継続す ると考えていました。ですから、神がアブラハムと結んだ永遠の契約のし るしである割礼を重んじて、異邦人キリスト者にも割礼が必要だと主張し たわけです。その考えに対してパウロは信徒たちに事柄を分かりやすく説 明するために遺言に譬えて語ります。 2.遺言と約束 ここで遺言はこの後続けて語られる17ではアブラハムと神様との間の 契約を譬えています。実は、遺言と訳されている言葉と契約と訳されてい る言葉は同じ単語です。この言葉は遺言と契約という意味がありますがこ こでは文脈で訳し分けています。 ついでに言いますと、契約という意味の英語のtestamentも遺 言という意味があります。わたしたちが毎日聖書を読んで祈りの時を持つ 時に、神との契約をそこで繰り返し確認しているわけです。そして、聖書 にはわたしたちに対する相続についても記されていますから、神からの恵 みの遺言書でもあるわけです。 そこで、15節の遺言ですが、パウロがこの手紙を書いた時代は紀元1 世紀の半ば頃ですが、既にローマ法で遺言の法規がありました。ギリシャ にもそのような法規があり、ユダヤ人の間にもありました。既にそれだけ の文明があったからです。2000年前の話ですが、これらの文明が今も わたしたちの日常の中に伝えられています。今なら遺言書を作成して、公 証人役場で証書を作るなどして作成するでしょう。 それが法的に確定すれば、後はそれを誰かが勝手に自分に有利に書き換 えたりすることはできません。そのことが、続けて17節で同じように、 次の契約で与えられた律法が最初の契約を無効にすることはないと続くわ けです。ですから、アブラハムが信仰によって義とされたので、神様との 永遠の契約に入るためには信仰だけで十分で、ユダヤ人キリスト者がこだ わるように、永遠の契約に入るために割礼を行わないとだめだと付加され たわけではないと言いたいわけです。 3.子孫はキリスト しかし、その前にパウロは16節を語りました。それはアブラハムに語 られた約束が具体的に誰との約束であったのかを明らかにするためです。 今朝は創世記17:4-8を共に聞きました。パウロがここで引用して いる言葉の背後には創世記17:7があります。神はアブラハムに「わた しは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永 遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる」と語りまし た。この子孫と語られている言葉は、パウロが語るように「子孫たち」と 複数形ではなく、「子孫」と単数形で語られています。ただし、一般的に は、単数形でも集合名詞として後に続く子孫全体と言う意味で理解されて 来ましたし、その解釈は妥当です。 もちろん、パウロ自身も集合名詞として理解することは十分承知してい たでしょう。しかしながら、その上で、この単数をより明確に解釈する必 要があると語ります。それは単数なので一人の人を指しているというわけ です。アブラハムの時代に単数で理解すると、アブラハムとサラの間に生 まれたイサクを指します。 実際アブラハムには、ハガルとの間にイシュマエルも生まれます。また サラが召された後には、創世記25:1以下にケトラと再婚して、アラハ ムとケトラの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバ ク、シュアという子らが生まれました。彼らの子孫はその後周辺の諸民族 になったと語られています。それは彼らが契約の子孫ではなかったからで す。そうしますと、確かに単数形を集合名詞と理解するとアブラハムの他 の子らやその子孫たちまでも含まれてしまう可能性が出てきます。 パウロはその問題も鋭く見抜いていたのでしょう。そして確かに後に神 様がご自身を示す時に、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と 言われたように、アブラハムの一人の子孫はイサクでした。しかし、それ は遙か先の約束のメシアである主イエスを預言する単数であったとパウロ は語るわけです。 4.子孫の増加と異邦人の祝福 そうしますと、主イエスには子供はいませんでしたが、子孫の繁栄はど うなるのでしょうか。星の数のようになると言われた約束はどうなるので しょうか。それは、わたしたちが主イエスを救い主と信じて、主イエスに 結ばれることで実現します(ウ小教理問34参照)。そしてそこにはもは や人種や民族の区別はありません。ですから、異邦人の祝福も、主イエス によって実現しています。主イエスを信ずる者は、ユダヤ人も異邦人も区 別なく、この後のパウロの言葉で言えば3:28「そこではもはや、ユダ ヤ人もギリシャ人もなく、・・・男も女もありません。あなたがたは皆、 キリスト・イエスにおいて一つだからです」とあります。 14節でも「それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエ スにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された霊 を信仰によって受けるためでした」とありました。 ですから、ガラテヤの異邦人たちも主イエスを信じて、主イエスの兄弟 姉妹とされ、異邦人でありつつ、アブラハムと子孫に約束された永遠の契 約に入れられているわけです。 5.土地の約束 それでは土地の取得はどうなるでしょうか。アブラハムとイサクの時代 にはサラを葬る土地しか取得できませんでした。しかし、神様はイエスが 誕生するまでベツレヘムを含むユダヤの地を備え、紆余曲折を経てもその 地でユダヤ人の生活を支えました。それでは主イエスの到来後の時代には 土地の約束はどうなるでしょうか。 パウロは後に、ローマの信徒への手紙を書きましたが、このガラテヤ書 での議論を踏まえて語っています。ローマ4:13には、「神はアブラハ ムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律 法に基づいててではなく、信仰による義に基づいてなされたのです」と記 されています。約束の成就はアブラハムが神を信じたように、ただ神を信 ずる信仰のみで十分であるということです。そしてその神は、御子主イエ スをわたしたちのために遣わしてくださり、主イエスがわたしたちの呪い を引き受けてくださいましたから、救い主として主イエスを信ずる信仰の みで十分ということです。そしてここでの土地の問題をパウロは、ユダヤ 地方の土地ではなく、主イエスが到来された今は、世界を指していると語 り直しました。ですから、全世界は主イエスが再臨され、新天新地を支配 されるときに、主イエスを信じて永遠の契約に入れられたわたしたちに相 続されるわけです。 アブラハムと子孫との間に結ばれた契約は、やがて来るべき子孫である キリストを預言し、そしてただキリストを信ずる信仰によって、その契約 に誰でも入れられます。そして、わたしたちも主イエスによってその契約 に入れられ、祝福はわたしたちの内にも実現しているのです。教会は今、 Nくんの幼児洗礼試問を予定しています。わたしたちの信仰の子孫が増え るわけです。これはわたしたちにとっても大きな喜びであり、天にも大き な喜びがあります。アブラハムと子孫の契約が新しい契約として主イエス によってわたしたちにまで開かれ、その祝福はわたしたちにまで及んでい るのです。祈ります。
キリスト教会は、旧約聖書と新約聖書を合わせて一冊の聖書としていま
す。それぞれ旧契約と新契約という意味です。契約という言葉は英語では
testamentで、旧約聖書はOld testament、新約聖
書はNew testamentとも呼びます。その旧約聖書と新約聖書
の契約は同じ一つの契約であり、旧約聖書の時代には神様はアブラハムと
子孫との間に結ばれ、それは永遠の契約と呼ばれています。その契約には
子孫の繁栄と土地の取得と、異邦人への祝福が約束されていました。パウ
ロは「この「子孫」とは、キリストのことです」と語っています。旧約聖
書はキリストを指し示し、預言し、キリストのための準備が語られ、新約
聖書はその主イエスご自身による契約の成就を語っています。ですから、
旧約聖書と新約聖書を結ぶ鍵は主イエスです。
1.契約に入るための論争
そのことを語るために、この段落でパウロは再び、ガラテヤの諸教会で
問題となっていた主イエスを信ずるだけで異邦人も永遠の契約に入れられ
るのか、永遠の契約に入れられるために割礼も必要なのかを別の角度から
語ります。その際、「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち」と3:1
でガラテヤの諸教会の信徒たちに語りかけたパウロが、3:15では一転
して、「兄弟たち」と親しく語りかけています。何とか正しい福音理解に
立ち帰って欲しいとの願いを込めての語りかけでしょう。
ユダヤ人キリスト者も、キリストが旧約聖書に約束されていた救い主、
メシアであると信じていましたが、旧約聖書の教えは廃棄されず、継続す
ると考えていました。ですから、神がアブラハムと結んだ永遠の契約のし
るしである割礼を重んじて、異邦人キリスト者にも割礼が必要だと主張し
たわけです。その考えに対してパウロは信徒たちに事柄を分かりやすく説
明するために遺言に譬えて語ります。
2.遺言と約束
ここで遺言はこの後続けて語られる17ではアブラハムと神様との間の
契約を譬えています。実は、遺言と訳されている言葉と契約と訳されてい
る言葉は同じ単語です。この言葉は遺言と契約という意味がありますがこ
こでは文脈で訳し分けています。
ついでに言いますと、契約という意味の英語のtestamentも遺
言という意味があります。わたしたちが毎日聖書を読んで祈りの時を持つ
時に、神との契約をそこで繰り返し確認しているわけです。そして、聖書
にはわたしたちに対する相続についても記されていますから、神からの恵
みの遺言書でもあるわけです。
そこで、15節の遺言ですが、パウロがこの手紙を書いた時代は紀元1
世紀の半ば頃ですが、既にローマ法で遺言の法規がありました。ギリシャ
にもそのような法規があり、ユダヤ人の間にもありました。既にそれだけ
の文明があったからです。2000年前の話ですが、これらの文明が今も
わたしたちの日常の中に伝えられています。今なら遺言書を作成して、公
証人役場で証書を作るなどして作成するでしょう。
それが法的に確定すれば、後はそれを誰かが勝手に自分に有利に書き換
えたりすることはできません。そのことが、続けて17節で同じように、
次の契約で与えられた律法が最初の契約を無効にすることはないと続くわ
けです。ですから、アブラハムが信仰によって義とされたので、神様との
永遠の契約に入るためには信仰だけで十分で、ユダヤ人キリスト者がこだ
わるように、永遠の契約に入るために割礼を行わないとだめだと付加され
たわけではないと言いたいわけです。
3.子孫はキリスト
しかし、その前にパウロは16節を語りました。それはアブラハムに語
られた約束が具体的に誰との約束であったのかを明らかにするためです。
今朝は創世記17:4-8を共に聞きました。パウロがここで引用して
いる言葉の背後には創世記17:7があります。神はアブラハムに「わた
しは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永
遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる」と語りまし
た。この子孫と語られている言葉は、パウロが語るように「子孫たち」と
複数形ではなく、「子孫」と単数形で語られています。ただし、一般的に
は、単数形でも集合名詞として後に続く子孫全体と言う意味で理解されて
来ましたし、その解釈は妥当です。
もちろん、パウロ自身も集合名詞として理解することは十分承知してい
たでしょう。しかしながら、その上で、この単数をより明確に解釈する必
要があると語ります。それは単数なので一人の人を指しているというわけ
です。アブラハムの時代に単数で理解すると、アブラハムとサラの間に生
まれたイサクを指します。
実際アブラハムには、ハガルとの間にイシュマエルも生まれます。また
サラが召された後には、創世記25:1以下にケトラと再婚して、アラハ
ムとケトラの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバ
ク、シュアという子らが生まれました。彼らの子孫はその後周辺の諸民族
になったと語られています。それは彼らが契約の子孫ではなかったからで
す。そうしますと、確かに単数形を集合名詞と理解するとアブラハムの他
の子らやその子孫たちまでも含まれてしまう可能性が出てきます。
パウロはその問題も鋭く見抜いていたのでしょう。そして確かに後に神
様がご自身を示す時に、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と
言われたように、アブラハムの一人の子孫はイサクでした。しかし、それ
は遙か先の約束のメシアである主イエスを預言する単数であったとパウロ
は語るわけです。
4.子孫の増加と異邦人の祝福
そうしますと、主イエスには子供はいませんでしたが、子孫の繁栄はど
うなるのでしょうか。星の数のようになると言われた約束はどうなるので
しょうか。それは、わたしたちが主イエスを救い主と信じて、主イエスに
結ばれることで実現します(ウ小教理問34参照)。そしてそこにはもは
や人種や民族の区別はありません。ですから、異邦人の祝福も、主イエス
によって実現しています。主イエスを信ずる者は、ユダヤ人も異邦人も区
別なく、この後のパウロの言葉で言えば3:28「そこではもはや、ユダ
ヤ人もギリシャ人もなく、・・・男も女もありません。あなたがたは皆、
キリスト・イエスにおいて一つだからです」とあります。
14節でも「それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエ
スにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された霊
を信仰によって受けるためでした」とありました。
ですから、ガラテヤの異邦人たちも主イエスを信じて、主イエスの兄弟
姉妹とされ、異邦人でありつつ、アブラハムと子孫に約束された永遠の契
約に入れられているわけです。
5.土地の約束
それでは土地の取得はどうなるでしょうか。アブラハムとイサクの時代
にはサラを葬る土地しか取得できませんでした。しかし、神様はイエスが
誕生するまでベツレヘムを含むユダヤの地を備え、紆余曲折を経てもその
地でユダヤ人の生活を支えました。それでは主イエスの到来後の時代には
土地の約束はどうなるでしょうか。
パウロは後に、ローマの信徒への手紙を書きましたが、このガラテヤ書
での議論を踏まえて語っています。ローマ4:13には、「神はアブラハ
ムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律
法に基づいててではなく、信仰による義に基づいてなされたのです」と記
されています。約束の成就はアブラハムが神を信じたように、ただ神を信
ずる信仰のみで十分であるということです。そしてその神は、御子主イエ
スをわたしたちのために遣わしてくださり、主イエスがわたしたちの呪い
を引き受けてくださいましたから、救い主として主イエスを信ずる信仰の
みで十分ということです。そしてここでの土地の問題をパウロは、ユダヤ
地方の土地ではなく、主イエスが到来された今は、世界を指していると語
り直しました。ですから、全世界は主イエスが再臨され、新天新地を支配
されるときに、主イエスを信じて永遠の契約に入れられたわたしたちに相
続されるわけです。
アブラハムと子孫との間に結ばれた契約は、やがて来るべき子孫である
キリストを預言し、そしてただキリストを信ずる信仰によって、その契約
に誰でも入れられます。そして、わたしたちも主イエスによってその契約
に入れられ、祝福はわたしたちの内にも実現しているのです。教会は今、
Nくんの幼児洗礼試問を予定しています。わたしたちの信仰の子孫が増え
るわけです。これはわたしたちにとっても大きな喜びであり、天にも大き
な喜びがあります。アブラハムと子孫の契約が新しい契約として主イエス
によってわたしたちにまで開かれ、その祝福はわたしたちにまで及んでい
るのです。祈ります。