2025年03月02日「時の認識 列王記上18:41-44, ルカ12:54-56」

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時の認識 列王記上18:41-44, ルカ12:54-56

日付
日曜朝の礼拝
説教
小峯明 牧師
聖書
列王記上 18章41節~44節

聖書の言葉

列王記上 18章41節~44節

メッセージ

核戦争などによる人類の滅亡までの時間を象徴的に示す時計として、ア

メリカの科学雑誌が1947年に終末時計を発表しました。今年の1月2

8日には残り89秒とのことでした。この度のアメリカとウクライナの停

戦に向けた協議は合意に至りませんでした。第二次世界大戦終結から既に

80年になろうとしていますが、その間も、各地で戦争は続いてきました。

しかし、広島、長崎以後は核兵器が使われたことはありません。核兵器が

使われるような戦争が起こると世界の滅亡の危機が一気に深まります。

1.今なん時か

今の時、2025年が一体どういう時なのか。それぞれに考える所もあ

るでしょう。受験や進学の時であれば、人生の大きな節目となります。結

婚され方には記念の年となるでしょう。教会は、60周年を終えて今年は

特別な行事はありません。来年は東関東中会の設立20周年であり大会も

創立80周年の記念の年を迎えます。

災害が多発する時代になり、毎年地震、洪水、大雪、そして今は山火事

と人生が激変するような危機を経験することもある日々です。日常が守ら

れていることを改めて考える時であるかも知れません。

ある時を挟んで、その前後で歴史が変わることがあります。個人でも通

過儀礼を経るに従い、一人一人の人生がその前後で変化するでしょう。科

学技術の進展も歴史を区分する一つの指標になるかも知れません。その時

に直ぐに変わるわけではありませんが、スマートフォンの普及で生活が一

変しました。今はさらにAI技術の進展でこの先どのような変化が起こる

のか、わたしたちはその渦中にいます。

そのようにある事の前後で時を区別するしるしの一つは西暦でしょう。

それはキリストの降誕であるクリスマスを時の中心として歴史を理解して

います。主イエスの到来は、世界史の大きな転換点でありました。西暦は

主イエスがクリスマスにお生まれになった年を紀元として、それ以前をB

C Before Christ キリスト以前と呼び、それ以後をAD

Anno Domini ラテン語で主の年と呼んでいます。日本では元号法により元号が用いられています。今は、大正、昭和、平成、令和と

代替わりが続き、分かりにくくなったために西暦も併用されるようになり

ました。公務関係は元号が中心のようです。わたしたちキリスト者が少数

なのでこの国の大きな流れを変えることはできません。しかし、諦めて傍

観する必要もありません。時を見分けることが出来る者は預言者として語

り続けます。けれども、そこでなお問われるのは、時に対するキリスト教

信仰に基づく理解です。

2.自然現象と時の予測

主イエスはここで群衆にお語りになります。ルカ福音書ではしばしば主

イエスに好意的な群衆が描かれていますが、主イエスの回りに集まる群衆

のすべてが主イエスを慕っていたわけではありません。ここではこの群衆

は「偽善者よ」と言われています。

恐らく、この群衆には主イエスに敵意を抱いているファリサイ派の人々

が多く含まれていたのでしょう。その彼らも時を見分けることが出来てい

ると主イエスは言われました。ここで最初に扱われるのが自然現象による

時の識別です。それは時を見分ける先達の知恵でしょう。「あなたがたは

雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのと

おりになる」と主イエスは言われました。これは西に地中海という大きな

海があるパレスチナの気候を示しています。わたしたちで言えば、夕焼け

が綺麗であれば明日は晴れという感じでしょう。

パレスチナの人々も西に雲が見えればそれは海から水蒸気がどんどんと

上がってやがて雲となり、それが風に乗りパレスチナに雨を降らせます。

今は精密な天気予報がなされていますので、空を見ているよりも予測は詳

しくなりました。

古代世界のパレスチナでは「また、南風が吹いているのを見ると、『暑

くなる』と言う。事実そうなる」とあります。これもパレスチナの風土に

即した予測です。パレスチナの南部はシナイ半島の荒れ野ですから南から

の風が始まりますと、南部の砂漠地帯の温められた空気が風に乗ってパレ

スチナに吹き込んで来ました。

わたしたちは、気象衛星の画像や上空の温度により寒気の様子や高気圧

の動き等詳細に分析された天気予報を見ることができるようになりましたが、それでも古くからの知恵によって、季節毎の自然の変化で時を見分け

ます。これは何もキリスト者に限らず誰にでもできる識別でしょう。です

から、群衆も同様に、「このように空や地の模様を見分けることは知って

いるのに」と主イエスは言われます。自然の知恵により人々は時の変化を

識別してきました。

3.主イエスの厳しい問いかけ

そこで、主イエスは群衆にとても厳しい言葉を語ります。「偽善者よ、

このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の

時を見分けることを知らないのか」と言われました。ここで偽善者よと呼

びかけられている人々は、今の時を見分けることを知らない人々です。こ

のような厳しい呼びかけは、この後、ルカ13:15でもなされます。そ

こでは、主イエスが安息日に病に苦しむ婦人を癒されたことを見てその主

イエスの力ある業、愛の業を非難した者たちに語られました。ルカ13:

14には「ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたこと

に腹を立て、群衆に言った。『働くべき日は六日ある。その間に来て治し

てもらうがよい。安息日はいけない。』」と記されています。この会堂長

の言葉に頷いた者たちもいたのでしょう。彼らに対して主イエスは「偽善

者たちよ」と語られました。その段落の最後を見ますと、17「反対者は

皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行

いを見て喜んだ。」とあります。そこには、主イエスに反対している群衆

と弟子たちのように、主イエスによって始まった新しい時を喜んだ群衆が

いました。そこで、ここでも主イエスはご自分によって始められた新しい

時を理解できずにいる者たちに警告を与えます。

4.主イエスの時

それでは主イエスによって始まった新しい時とは何でしょうか。それは

旧約聖書で語られてきた神の約束が実現した時です。その契約の実現のた

めに主イエスはこの世界に来られました。主イエスによって神の国がこの

地上に始まりました。それはこれまではユダヤ人に限定され、暗示的に示

されていたものです。神の国が主イエスによって全世界に向かって告げ知

らされます。主イエスは神の国を宣べ伝え、力ある業によってその到来が本当であることを人々に示しました。ですから、主イエスこそ約束の救い

主であると見分けることができれば、異邦人も罪人も誰でも神の民として

神と共に生きることができます。けれども、主イエスを受け入れなければ

神の国に入ることはできません。この前の段落では主イエスと弟子たちを

拒否することにより家族の中にも分裂が起こると語られていましたが、こ

こでも主イエスはその拒絶を視野に入れておられます。

わたしたちは二つの時の間を生きています。それは主イエスが来られた

クリスマスの時と主イエスが再び来られる再臨の時です。救いが始まった

時と救いが完成される時です。この二つの時を見分けることが出来た者は

「腰に帯を締め、ともし火をともして」生活します。その姿は主人の帰

りを待つ目を覚ましている僕にたとえて語られていました。(ルカ12:

35-36)。

この時を見分けることが出来なければ、主人の帰りを待つこともありま

せん。自分も僕ではないと思うでしょう。しかし、その時は既に来ていま

す。ですから、主イエスは、自然の営みを見て、何が起こるか、その時を

識別できるのであれば、同じように、主イエスがなさっていることを見て、

そこで何が起こっているのか、今がどのような時であるのかを見分けるこ

とができると群衆を招いています。主イエスに聞き、主イエスがしておら

れることを見ることです。

5.時の間を生きるわたしたち

そうしますと、この二つの時は今を生きるわたしたちにとっても同じ意

味を持ってきます。既にこの歴史の中に神の時が始まりました。これが聖

書による時の理解です。そしてわたしたちが考えるもう一つの時がありま

す。それはわたしたちの誕生と死の時です。この誕生と死の時の間にわた

したちは信仰を与えられて洗礼を受けました。歴史という大きな横軸の中

で、わたしたちは主イエスと共に生きる者とされました。それは縦軸、言

わば天の教会と対応する地上の教会の歩みに入れられた生活です。

主イエスとの関係は、歴史がどの様に変化しようとも変わりません。時

代が変わっても、主イエスを告白するならば縦軸の結びつきは変わりませ

ん。わたしたち一人一人の人生に、主イエスと共に生きる時が始まりまし

た。それがわたしたちが見分けるべき救いの時なのです。祈ります。