聖書の言葉 ガラテヤの信徒への手紙 3章23節~25節 創世記3:114-15 メッセージ 旧約聖書に記されている律法、法律はユダヤの国民が定めたわけではな く神が与えたものでした。ですから国王といえども神の律法の下にあり、 王は神に従うことによって王であり得たわけです。神に聞き従わず、神の 律法を無視する王は歴史の中で神の裁きにより退けられました。ユダヤ人 にとって律法、法律は神の意志が示されているのでとても重んじられてい ました。しかし、パウロは約束が律法に先立ち、信仰が律法に先立つと語 ってきました。それが続けて23節以下でも語られます。 1.信仰が現れる。 その際、パウロはそもそも信仰は現れるものだと語ります。もともとの 言葉では「来る」という動詞が用いられています。信仰は向こうから来る ものだと言うわけです。わたしたちは、信仰を持つために自分の方から教 会に行き、聖書を学び自分の方から信仰へと向かって行くと考えているで しょう。しかし、そうではなくて信仰がわたしたちに向かって来てくださ います。わたしたちはそれを自らの力で獲得することはできません。向こ うからわたしたちのもとに来てくださいます。そこで信ずるという具体的 な生きかたがわたしたちの内に生まれます。 ここで語られている信仰は、この前の節に語られているように、「イエ ス・キリストへの信仰」です。この来るという動詞は、19節では「約束 を与えられたあの子孫が来られるときまで」とあるように、あの子孫が来 ることを語る言葉として用いられています。あの子孫とは、16節「この 『子孫』とは、キリストのことです」と語られている主イエスです。そう しますと、信仰が来るという言い方は、確かに主イエスへの信仰ですが、 それはまた主イエスが約束の子孫として来られるということと重ねて語ら れているわけです。罪に堕落したこの世界に、主イエスが神の子として来 てくださいました。信仰の対象である主イエスご自身が来てくださったの です。 2.時代の変換 しかし、その世界は主イエスが来られる前と後とで区分されます。それ は約束の時代と成就の時代です。アブラハムとの約束のゆえに、異邦人は 皆祝福されるとの約束は主イエスの到来によって成就しました。その二つ の時代で律法の働きも変わります。出エジプトの後にモーセを仲介者とし て律法は与えられました。神礼拝の具体的な規則、祭儀や犠牲の規則と社 会秩序の維持のための刑法、民法、ユダヤ人を他の外国人から区別するた めの様々な規定等が律法として与えられています。そして、律法は社会秩 序の維持と罪の抑止、そして罪を教える機能がありました。こうして、堕 落後の世界で、何が明確な罪であるかを律法は示したわけです。 罪が分かれば、罪を警戒して律法に従うように歩みます。ユダヤ人たち は、歴史の中で何度も失敗し、神の民でありながら、律法を軽んじ、神な らぬものを神々として生ける神の怒りを招きました。その結果、国は他国 に侵略され、神殿は破壊されるという民族消滅の苦い体験を重ねてきまし た。それでも神は約束を守り、ユダヤを再建し、パウロの時代にはユダヤ 人はユダヤに戻されローマ帝国の支配のもとではありましたが、何とか命 脈を保っていたわけです。 律法を軽んじ神を軽んじた苦い経験から、国に戻された後は、ひたすら 律法を重んじて生活をしてきたわけです。それが主イエスが来られる時ま でのユダヤ人の姿でした。ここでパウロが「信仰が現れる前には、わたし たちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込 められていました」と語るのは、パウロを含めた当時のユダヤ人の律法理 解を示しています。ここでパウロが「わたしたち」と語るのは、ガラテヤ の異邦人キリスト者に対して、「わたしたちユダヤ人は」という意味でし ょう。 「律法の下に監視され」というのは、異邦人とは食事をしないという律 法がありますから、自分たちの行動を律法が監視する働きをしていたこと を示しています。律法は、信仰が現れるまでは、異邦人と神の民であるユ ダヤ人を区別する働きをしていました。律法という壁の中にユダヤ人を閉 じ込めていたという意味です。律法にはそのような機能がありました。で すから、パウロ自身もそうですし、ファリサイ派のユダヤ人たちは主イエ スが罪人と食事をし、交流することを批判しました。それは、主イエスに よって約束が成就したことが理解できなかったからです。そしてそれはパウロ自身も同様でした。「信仰が啓示されるようになる まで閉じ込められていた」という言い方は、パウロ自身の回心体験を反映 しています。1:12で「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えら れたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」と 語っている通りです。啓示という言葉は、隠されていたことが明るみにで るという意味の言葉です。ついに約束が明らかにされました。それはアブ ラハムに対してなされた約束であり、創世記3:15に預言されていたヘ ビの頭を砕く救い主の到来が実現しました。 ですから、主イエスによって、もはや閉じ込める律法は不要になったわ けです。パウロは自分自身、そのことが分からずに、キリスト者を迫害し ていました。しかし、主イエスがパウロに現れて、回心に導き、パウロは 福音の真理を理解したわけです。 3.養育係 その律法の働きをさらにパウロは「わたしたちをキリストのもとへ導く 養育係となったのです」と語っています。養育係と聞きますと家庭教師を 思い浮かべるかも知れません。しかしながら、ここで用いられてる言葉は 当時のギリシャ世界では、家庭教師のような働きもしたでしょうが、6歳 から16歳位までの少年を躾けたり教えたりする奴隷を指す言葉が用いら れています。 当時の裕福な家庭では、子どもたちの保護と躾けのためにそのような奴 隷が用いられていました。奴隷と言いましても、諸外国で戦争捕虜とされ た教育水準の高い人々で、中には解放奴隷となってもそのような養育係に 雇われていた者たちも多かったようです。ですから、教育を受けていた人 々がそのような養育のために奴隷として働かされていました。時には奴隷 によって子どもが虐待されるような事件もあったようですが、だからと言 ってこの教育システムは廃止にされませんでした。有効だと人々に認めら れていたからでしょう。 パウロはここで、律法は、パウロの時代にも少年教育のために用いられ ている奴隷としての役目を果たしていたのだと言うわけです。その点では 躾けや教育という意味がありますから律法は必ずしも否定的な働きばかり ではありません。社会秩序の維持、そして倫理的な生活の規範として律法は機能したわけです。 しかし、当時のユダヤ人たちは、律法が命を与えるものであると考えて いましたので、キリストへと導く養育係としての働きを全く理解できませ んでした。そこで、パウロとの論争になっているわけです。パウロもキリ ストを知るまでは、同じでした。キリストまでは神の民として生きるため には割礼も必要ですし、ユダヤ人として生きなければなりませんでした。 しかし、キリストが来られた暁には、それまでユダヤ人と異邦人を区別す る壁としての律法の働きは終わったということです。 ユダヤ人も本来の意味で律法の精神を理解して律法を完全に守ることは 出来ません。そのことも彼らには十分には理解できませんでした。なぜな ら、隣人を愛しなさいと神様は命じていますが、ユダヤ人にとっての隣人 はユダヤ人だけですから、外国人やローマ人は愛の対象ではありませんで した。 主イエスが、律法の本当の意味を明らかにして、敵を愛し、異邦人をも 招き、罪人も病人も招くことは、自分たちの律法理解を否定することにな ると考えて、主イエスを拒絶したわけです。 その意味で言えば、主イエスが来られて、はじめて律法の養育係として の働きが明確になりました。それはこの後4:1以下でも語られますが、 異邦人と区別するための律法は、子ども時代にのみ有効なものであり、キ リストが来られて成人した時には不要になるということです。 ですから、今、わたしたちは、主イエスが教えた愛の律法に拘束され、 それをキリスト者の倫理の規範として受け止めています。この後パウロも 霊の働きとしてキリスト者の倫理を語ります。しかし、割礼や過越の祭り や、仮庵の祭りや、七週の祭りにエルサレムに巡礼しませんし、子どもが 生まれたからと行って、山鳩を犠牲にして捧げること等旧約聖書が細々と 語ってきた規則から解放されているわけです。 信仰が現れたので、わたしたちは今や律法という養育係の下にはおりま せん。そして、エルサレムから最も遠い地域にいたわたしたちにも主イエ スの福音は伝えられて、わたしたちはキリスト者とされました。この地に も信仰が現れてくださいました。主イエスが現れ、わたしたちの内に来て くださいました。福音が向こうから来てくださり、わたしたちを滅びの世 界から救いだしてくだったのです。祈ります。
旧約聖書に記されている律法、法律はユダヤの国民が定めたわけではな
く神が与えたものでした。ですから国王といえども神の律法の下にあり、
王は神に従うことによって王であり得たわけです。神に聞き従わず、神の
律法を無視する王は歴史の中で神の裁きにより退けられました。ユダヤ人
にとって律法、法律は神の意志が示されているのでとても重んじられてい
ました。しかし、パウロは約束が律法に先立ち、信仰が律法に先立つと語
ってきました。それが続けて23節以下でも語られます。
1.信仰が現れる。
その際、パウロはそもそも信仰は現れるものだと語ります。もともとの
言葉では「来る」という動詞が用いられています。信仰は向こうから来る
ものだと言うわけです。わたしたちは、信仰を持つために自分の方から教
会に行き、聖書を学び自分の方から信仰へと向かって行くと考えているで
しょう。しかし、そうではなくて信仰がわたしたちに向かって来てくださ
います。わたしたちはそれを自らの力で獲得することはできません。向こ
うからわたしたちのもとに来てくださいます。そこで信ずるという具体的
な生きかたがわたしたちの内に生まれます。
ここで語られている信仰は、この前の節に語られているように、「イエ
ス・キリストへの信仰」です。この来るという動詞は、19節では「約束
を与えられたあの子孫が来られるときまで」とあるように、あの子孫が来
ることを語る言葉として用いられています。あの子孫とは、16節「この
『子孫』とは、キリストのことです」と語られている主イエスです。そう
しますと、信仰が来るという言い方は、確かに主イエスへの信仰ですが、
それはまた主イエスが約束の子孫として来られるということと重ねて語ら
れているわけです。罪に堕落したこの世界に、主イエスが神の子として来
てくださいました。信仰の対象である主イエスご自身が来てくださったの
です。
2.時代の変換
しかし、その世界は主イエスが来られる前と後とで区分されます。それ
は約束の時代と成就の時代です。アブラハムとの約束のゆえに、異邦人は
皆祝福されるとの約束は主イエスの到来によって成就しました。その二つ
の時代で律法の働きも変わります。出エジプトの後にモーセを仲介者とし
て律法は与えられました。神礼拝の具体的な規則、祭儀や犠牲の規則と社
会秩序の維持のための刑法、民法、ユダヤ人を他の外国人から区別するた
めの様々な規定等が律法として与えられています。そして、律法は社会秩
序の維持と罪の抑止、そして罪を教える機能がありました。こうして、堕
落後の世界で、何が明確な罪であるかを律法は示したわけです。
罪が分かれば、罪を警戒して律法に従うように歩みます。ユダヤ人たち
は、歴史の中で何度も失敗し、神の民でありながら、律法を軽んじ、神な
らぬものを神々として生ける神の怒りを招きました。その結果、国は他国
に侵略され、神殿は破壊されるという民族消滅の苦い体験を重ねてきまし
た。それでも神は約束を守り、ユダヤを再建し、パウロの時代にはユダヤ
人はユダヤに戻されローマ帝国の支配のもとではありましたが、何とか命
脈を保っていたわけです。
律法を軽んじ神を軽んじた苦い経験から、国に戻された後は、ひたすら
律法を重んじて生活をしてきたわけです。それが主イエスが来られる時ま
でのユダヤ人の姿でした。ここでパウロが「信仰が現れる前には、わたし
たちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込
められていました」と語るのは、パウロを含めた当時のユダヤ人の律法理
解を示しています。ここでパウロが「わたしたち」と語るのは、ガラテヤ
の異邦人キリスト者に対して、「わたしたちユダヤ人は」という意味でし
ょう。
「律法の下に監視され」というのは、異邦人とは食事をしないという律
法がありますから、自分たちの行動を律法が監視する働きをしていたこと
を示しています。律法は、信仰が現れるまでは、異邦人と神の民であるユ
ダヤ人を区別する働きをしていました。律法という壁の中にユダヤ人を閉
じ込めていたという意味です。律法にはそのような機能がありました。で
すから、パウロ自身もそうですし、ファリサイ派のユダヤ人たちは主イエ
スが罪人と食事をし、交流することを批判しました。それは、主イエスに
よって約束が成就したことが理解できなかったからです。そしてそれはパウロ自身も同様でした。「信仰が啓示されるようになる
まで閉じ込められていた」という言い方は、パウロ自身の回心体験を反映
しています。1:12で「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えら
れたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」と
語っている通りです。啓示という言葉は、隠されていたことが明るみにで
るという意味の言葉です。ついに約束が明らかにされました。それはアブ
ラハムに対してなされた約束であり、創世記3:15に預言されていたヘ
ビの頭を砕く救い主の到来が実現しました。
ですから、主イエスによって、もはや閉じ込める律法は不要になったわ
けです。パウロは自分自身、そのことが分からずに、キリスト者を迫害し
ていました。しかし、主イエスがパウロに現れて、回心に導き、パウロは
福音の真理を理解したわけです。
3.養育係
その律法の働きをさらにパウロは「わたしたちをキリストのもとへ導く
養育係となったのです」と語っています。養育係と聞きますと家庭教師を
思い浮かべるかも知れません。しかしながら、ここで用いられてる言葉は
当時のギリシャ世界では、家庭教師のような働きもしたでしょうが、6歳
から16歳位までの少年を躾けたり教えたりする奴隷を指す言葉が用いら
れています。
当時の裕福な家庭では、子どもたちの保護と躾けのためにそのような奴
隷が用いられていました。奴隷と言いましても、諸外国で戦争捕虜とされ
た教育水準の高い人々で、中には解放奴隷となってもそのような養育係に
雇われていた者たちも多かったようです。ですから、教育を受けていた人
々がそのような養育のために奴隷として働かされていました。時には奴隷
によって子どもが虐待されるような事件もあったようですが、だからと言
ってこの教育システムは廃止にされませんでした。有効だと人々に認めら
れていたからでしょう。
パウロはここで、律法は、パウロの時代にも少年教育のために用いられ
ている奴隷としての役目を果たしていたのだと言うわけです。その点では
躾けや教育という意味がありますから律法は必ずしも否定的な働きばかり
ではありません。社会秩序の維持、そして倫理的な生活の規範として律法は機能したわけです。
しかし、当時のユダヤ人たちは、律法が命を与えるものであると考えて
いましたので、キリストへと導く養育係としての働きを全く理解できませ
んでした。そこで、パウロとの論争になっているわけです。パウロもキリ
ストを知るまでは、同じでした。キリストまでは神の民として生きるため
には割礼も必要ですし、ユダヤ人として生きなければなりませんでした。
しかし、キリストが来られた暁には、それまでユダヤ人と異邦人を区別す
る壁としての律法の働きは終わったということです。
ユダヤ人も本来の意味で律法の精神を理解して律法を完全に守ることは
出来ません。そのことも彼らには十分には理解できませんでした。なぜな
ら、隣人を愛しなさいと神様は命じていますが、ユダヤ人にとっての隣人
はユダヤ人だけですから、外国人やローマ人は愛の対象ではありませんで
した。
主イエスが、律法の本当の意味を明らかにして、敵を愛し、異邦人をも
招き、罪人も病人も招くことは、自分たちの律法理解を否定することにな
ると考えて、主イエスを拒絶したわけです。
その意味で言えば、主イエスが来られて、はじめて律法の養育係として
の働きが明確になりました。それはこの後4:1以下でも語られますが、
異邦人と区別するための律法は、子ども時代にのみ有効なものであり、キ
リストが来られて成人した時には不要になるということです。
ですから、今、わたしたちは、主イエスが教えた愛の律法に拘束され、
それをキリスト者の倫理の規範として受け止めています。この後パウロも
霊の働きとしてキリスト者の倫理を語ります。しかし、割礼や過越の祭り
や、仮庵の祭りや、七週の祭りにエルサレムに巡礼しませんし、子どもが
生まれたからと行って、山鳩を犠牲にして捧げること等旧約聖書が細々と
語ってきた規則から解放されているわけです。
信仰が現れたので、わたしたちは今や律法という養育係の下にはおりま
せん。そして、エルサレムから最も遠い地域にいたわたしたちにも主イエ
スの福音は伝えられて、わたしたちはキリスト者とされました。この地に
も信仰が現れてくださいました。主イエスが現れ、わたしたちの内に来て
くださいました。福音が向こうから来てくださり、わたしたちを滅びの世
界から救いだしてくだったのです。祈ります。