深みに漕ぎ出す
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- 細田眞 牧師
- 聖書 ルカによる福音書 5章1節~11節
1イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。2イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。3そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。4話し終わったとき、シモンに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。5シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。7そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。8これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。9とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。10シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」11そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。ルカによる福音書 5章1節~11節
福島教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。
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禅の修行を志す青年の姿を映した番組をテレビで見たことがあります。道場のあるお寺は人里離れた所にあるようでした。三人の青年たちは、山門の前に立って、自分たちが入門をすることを告げます。しばらしくして門が開きますと、表に出て来た先輩の僧侶は、彼らの申し出を退けます。そして、門をすぐに閉じてしまいます。その後三日にわたって、青年が入門をお願いし、寺の僧侶が断るという遣り取りが続きました。その間(かん)、青年たちは山門の前にたたずんでいました。三日目になって山門が内側から開いて、三人はようやく入門を許されたのでした。
青年たちは三日の間、山門の外側に留め置かれることを通して、修行の志の堅固であることが試されたのでした。
実はユダヤ教のラビへの入門も、青年がラビに入門を願うこのことから始まるそうです。ラビの弟子となって、ラビの下で研鑽を積んで、自分たちもラビ・先生のようになることを目指すのです。
私たちが読んでいます新共同訳聖書では、5章の初めに、「漁師を弟子にする」という小見出しが付いています。この小見出しから分かりますように、主イエスも弟子を取られました。しかし主イエスが弟子をお取りになった様子は、先ほど触れました禅の修行を志した青年たちや、ユダヤ教のラビの入門とはだいぶ様子が違っていました。
ルカによる福音書は、主イエスが、ガリラヤの町カファルナウムで、安息日に会堂で説教をされたことを伝えています。主イエスは会堂を去ると、シモンの家で、高い熱に苦しむしゅうとめをいやされました。日が暮れて、安息日が終わりますと、連れて来られた病人たちの一人一人に、手を置いて、いやしをされました。
それから、幾日かたってのことでしょう。しゅうとめをいやしてもらったシモンのもとに、主イエスが姿を現わされました。シモンというのは、8節に記されているようにシモン・ペトロのことです。私たちが日ごろガリラヤ湖と呼んでいます湖は、ここではゲネサレト湖と記されています。ゲネサレト湖は、ガリラヤ地方の東にあって、この地域と他を区別する境界線の役割を果たしていました。面積は179平方メートルあって、食用に適した魚が豊富な湖として知られていました。
シモンはこの湖で魚を獲る漁師を生業(なりわい)としていました。主イエスがおいでになった時には、漁に使った二そうの舟は既に陸地に引き上げてありました。漁師たちは舟から上がって、漁に使った網を洗っていました。少し後の主イエスとシモンとの会話の中で明らかになることですが、シモンはこの前の夜、湖に漕ぎ出して、夜通し漁をしていました。彼は、夜の帳(とばり)が降りる中、湖に網を降ろしました。そして息を潜めて、頃合を量って、網を引き上げたのです。
しかし引き上げた網には、一匹の魚も入っていませんでした。こうしてシモンの徹夜の漁は、徒労に終わったのです。彼は引き上げた網を舟に積んで、岸を目指しました。岸に着くと、舟を陸に引き上げました。そして疲れた足を引きずって、網を取り出して、洗い出したのでした。辺(あた)りには疲労感から来る重苦しい雰囲気が漂っていました。漁師を営んでいたシモンにとって、一匹の魚も捕れないということは、彼の生活の陰の部分でありました。こうした経験は彼にとって珍しいものではなかったかもしれません。
主イエスはこうした光と影に彩られたシモンの日常生活のただ中に、おいでになったのです。大漁によって意気揚々と湖から帰って来たシモンの所においでになったわけではありません。主イエスは徹夜で漁をしても何も獲れずに、疲れ切って網を洗っているシモンの所においでになったのです。
主イエスは網を洗っていたシモンに、舟を出すようにお頼みになりました。湖の畔におられた主イエスのもとに、群衆が押し寄せて来ました。御言葉を聞こうとして、大勢の人々が集まって来たので、岸辺には主イエスのお立ちになる場所がなかったようです。主イエスはシモンの持ち舟にお乗りになって、岸から少し漕ぎ出すように頼まれました。
主イエスは湖の畔から少し離れた舟の中で、腰を下ろしながら、岸辺にいる群衆に向かって説教をされました。岸辺を埋め尽くす群衆を見ながら、彼らに教えられたのです。その間(かん)シモンは説教される主イエスの傍(かたわ)らにいました。聖書は、この時、主イエスの一番近くで説教を聞いていたシモンがその御言葉に心を動かされたということは、一言も伝えていません。あるいはシモンは、「自分たちは一晩中働いていたのだから、説教を早く終わりにして欲しい」と考えていたかもしれません。
やがて主イエスの説教は終わります。すると主イエスはシモンにこうお命じになりました。沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。この御言葉はシモンに対しての挑戦でありました。シモンは長年このゲネサレト湖で漁を営んでいて、この湖については知り尽くしていました。彼はこの湖を取り巻く地形や気象についてよく知っていました。彼は何という魚が湖のどの辺りに住んでいるのかについて、よく知っていました。そして、それらの魚が、一日のどの時間帯に、どの場所に、生息しているのかことについてもよく知っていました。①←はず
シモンたちは昨晩、自分たちの知識と経験に照らして、夜に漁に出ました。そして、湖の適当と思われる場所で、網を降ろしました。漁師を生業としていたシモンがこうした努力を傾けたあげく、一匹の魚も取ることができなかったのです。普通であれば、この昼日中に、漁に出ても魚が取れるはずがないとお答えするところです。そして、主イエスの申し出は立ち所に退けられてしまうところです。①↑はず②↓
また、沖に漕ぎ出して、網を取り出して漁をしなさい(4節)とありますが、この「沖」と訳されている元の言葉は、「深み」です。幾つかの聖書の翻訳を調べてみますと、「深み」と訳しているものがあります。英語訳の聖書では the(ザ) deep(ディープ) と訳しています。ゲネサレト湖は水深の深い湖です。舟で沖に漕ぎ出して、舟もろともに転覆するようなことがあれば、湖に飲み込まれてしまい、容易に引き上げることはできません。漁師としての経験に照らせば、太陽が上がった昼日中に漁に出ても、魚が取れるとは到底思えなかったはずです。また湖の沖には人も舟も飲み込んでしまう深みが横たわっていました。
この時、シモンの脳裏にはこうした思いが駆け巡っていました。それにもかかわらず、彼は主イエスにこうお答えしています。5節、シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。最初シモンは、「徹夜で漁をしたにもかかわらず、何もとれなかった」と、自分の経験を語ります。その上で、しかし、と前置きした上で、「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えています。
「お言葉ですから」と訳されている元の言葉遣いは「あなたの言葉のゆえに」です。この時、シモンは、自分の経験に頼ることから、主イエスの御言葉へと、自分の軸足を移しています。そして、「あなたのお言葉ですから、沖に漕ぎ出してみましょう」と答えているのです。それは傍目(はため)には無謀と写ることでした。しかし彼はこの時、乗っていた舟を沖へと漕ぎ出して、そこで網を降ろしたのでした。
今から74年前、戦争が終わり、日本はこの戦争に負けました。多くの都市が焼け野原になりました。教会も戦争の間に、教会員が散り散りになったり、空襲によって教会の建物が消失したりしました。そうした折りに、教会が青年たちに呼びかけて、ある集会が開かれました。今日で言う青年修養会です。その集会に講師として招かれた先生は、このルカによる福音書の5章を取り上げて説教されました。その説教には、『恩寵の深みへと』という題が付けられていました。恩寵というのは、東京恩寵教会の恩寵です。かみ砕いて言えば恵みです。日本が戦争に敗れ、教会も大きな打撃を受けました。国も教会も再建が危ぶまれるような事態に陥っていました。そこに至った問題や罪責については、幾つも数え上げることができました。しかしそれらをどのように再建するのかについては、そのきっかけさえもつかめないような状態でした。まさに八方塞がりの状態だったのです。講師の先生は、説教の中で、「どんなに虚しい思いの中にあっても、その虚しさの中に、さらに深く突っ込んでいくような歩みをする時、『そこが恵みの深みである』と言いうるようなことが起こる」こういう話をされました。八方塞がりの状態になり、そこで恩寵が示され、「お言葉ですから」と舟を乗り出した時に、道が開けたというこの言葉は、この修養会に参加した青年たちの心を揺さぶったようです。そしてこの言葉によって、多くの青年たちが立ち上がりました。実はこうした青年たちが、戦後の教会の礎を築いたと言われています。
②↓沖☞岸 ↓①魚
シモンは主イエスの御言葉に従って、湖の沖に漕ぎ出しました。そこで網を降ろしました。するとおびただしい魚(うお)がかかり、降ろした網が破れそうになりました。シモンたちは大量の魚を引き揚げて、岸に運ぶのは自分たちの手に余ると考えたんでしょう。彼らはもう一そうの舟に助けを求めました。引き上げた網にかかった魚は、二そうの舟が沈みそうになるぐらいに、一杯の魚でした。③←量
まさに、これは、シモンたちにとって前代未聞の出来事でした。この時間に、この場所で、これだけ多くの魚が取れるということは、彼らの経験に照らせば、ありえないことでした。しかしそのありえないはずの出来事が、目の前で現実となったのです!本来ならば、驚いて、そして、躍り上がって、「この御方が豊漁をもたらしてくださった!」と呼ぶところです。
しかし、これを見たシモン・ペトロは、主イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言ったのです(8節)。おそらくシモン・ペトロは、主イエスの側にいたたまれなくなって、はじけるようにして、主の御許にひれ伏したのでしょう。
ある人は、「この時に、主イエスがもたらした経験は、シモンにとって光であった」と言います。それは強烈な光でした。その光はシモンを照らし出したばかりでなく、シモンという人物を貫いて伸びていきました。その光はシモンの本当の姿を露わにしました。シモンが、神の前に罪深い者であることを明らかにしたからです。罪があるということは、あなたのここの部分はよいけれども、ここは欠けているというようなことではありません。シモンは――この時、主イエスの前に、彼自身が、全き罪人であることが明らかになる――こういう経験をしたのです。
そこに居合わせた他の漁師たちも同様だったようであります。その様子が9節から記されています。「とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。10シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。」9節に、「とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。」と記されています。最後の「驚いたからである。」と訳されている元の言葉は、ギリシア語では驚愕が襲うという言葉遣いです。単にシモンと彼の仲間が驚いたという意味ではなくて、外側から驚愕の感情が彼らを襲ったということを表しています。
出エジプト記の3章に、主なる神が神の山ホレブに来たモーセに、柴の間から声をかけられたことが伝え られています。この時、主はモーセに「ここに近づいてはならない。足から履き物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」と言われました(5節)。その間(あいだ)、モーセはどうしていたのかと言えば、6節の後半に、「モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。」と記されています。神が臨在される時、そこに居合わせた人々は、驚愕、あるいは、恐れの感情に捕らわれるのです。
シモンは驚愕の感情に捕えわれて、主イエスの足もとにひれ伏しました(8節)。そして、思わず、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と口走ります。おそらく、彼はその場所をすぐにでも離れたかったのでしょう。
そのシモンに、主イエスは、意外な言葉をかけられました。10節の途中から、すると、イエスはシモンに言われた「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」。私たちの信仰の先達が読んでいました文語訳聖書では、この箇所を「懼るな、なんぢ今から後、人を漁(すな)らん。」と訳しています。「恐れることはない」、「懼るな」。これが、主イエスが危機に直面した弟子たちにかけられた御言葉です。
この時、主イエスは、自分が罪深いことを知って、離れようとするシモンに、「恐れることはない」と言って、ご自分につなぎ止められたのです。「恐れることはない」と言われて、主イエスの方で、シモンを捕えてしまわれたのです。
さらに、続けて、主イエスは「今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と言われました。ゲネサレト湖の漁師は網で魚を取ります。その魚は、網の中で、あるいは陸地に引き上げられた網の中で、間もなく死んでしまいます。しかし、シモンは、生きた人間を捕えて、その一人一人(びとり)を神の国に移すのです。
マルコによる福音書の1章の16節からの段落に、主イエスが四人の漁師を弟子にされた時の様子が記されています。この時、主イエスは、シモンと彼の兄弟アンデレにこう言われました。「わたしについて来なさい。人間を取る漁師にしよう」(17節)。主イエスは、二人に、ご自分に従うことを呼びかけられました。さらに御自分が彼らを「人間を取る漁師にする」と約束されました。
それに対して、私たちが読んでいますルカによる福音書では、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と断言されています。この福音書は西暦の80年代から90年にかけて記されたと言われています。つまり、この福音書を書いた人は、シモンの生涯を後から振り返って書いているのです。
ですからこの福音書の著者は、シモンが全てを捨てて、主イエスに従い、伝道者になったあゆみを知っていました。またシモンが、シモン・ペトロと呼ばれるようになり、教会の指導者となったことを知っていました。そして彼が最後に殉教したことも知っていました。それら全ての始まりが、シモンがゲネサレト湖畔で主イエスに出会い、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と御言葉をかけていただいたことにあることを、彼は伝えたかったのです。あの日がシモンという人物にとって、人生の方向転換の日になったのです。あの日からシモンは、彼の前を進んで行かれる主イエスの背を追って、人生を歩み出したのです。
今からもう30年ぐらい前のことです。当時私は神学校で、牧師になるための勉強をしていました。神学生だった私と机を並べていたクラスメイトは、当時の校長先生から、繰り返し、ある言葉を聞かされていました。それは「主にお従いする」という言葉でした。校長先生は、私たちに「あなた方が牧師になるのは、自己実現のためではあってはならない!」と繰り返し言われました。そして「あなた方の計画や願いは全て棚上げして、主にお従いすることに務めなさい!」と、こう口を酸っぱくしておっしゃったのでした。
この時から、私の脳裏には、いつも、この「主にお従いする」という言葉がありました。折に触れてその言葉が私の内側で鳴り響いて、私の生き方に影響を与えました。振り返ってみれば、私は、この「主にお従いする」という言葉に支えられて、今日(こんにち)まで伝道者の歩みを続けることができました。
私たちを招いてくださる主イエス・キリストにお従いする中で、私たちは神の国の伝道者・証し人として、生きることを許されるのです。
お祈りをいたします。(29分44秒)
新しい主の2019年を始めることを許されました。
この新しい年は、私たちにとって、
深い湖のような神秘をたたえる年です。
この新しい年に、あなたは、私たちに
御言葉を届けてくださいました。
主の導きに従って、御言葉に従って、
新しいこの神秘の年に、漕ぎ出していくように、
あなたは呼びかけてくださっています。
様々な事情が、また、様々な理由が
私たちの足にからみついて、
私たちが前に進むことを妨げるかもしれません。
どうか、御言葉に従うことに、心を砕き、また、
心を傾けることができるように、させてください。
人間的には、八方塞がりで困難と見える中で、
あなたの御言葉に踏み出していく中で、
新しい人生の転換が開かれることを、主イエスは
私たちに示してくださっています。
どうか、主の言葉を求め、主の言葉に
一心に生きる者として、
この年の歩みを支えてください。
この祈りを、私たちの主イエス・キリストの
御名によって祈ります。アーメン。