毎週日曜日は礼拝の日
千葉県の千城台教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。
- 日曜日 朝の礼拝
- 10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 日曜日 夕の礼拝
- 16時00分~17時00分
- こちらも必要な持ち物は特にありません。朝の礼拝に出席出来ない場合におすすめです。
- 水曜日 祈祷会
- 10時30分から11時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。お仕事などで日曜日に教会に通えない方におすすめです。
信仰告白をして―これまで・今・これから―(一 問 一 答)
聞き手 TI姉 回答者 NT兄
問1 信仰告白をして1年余りが過ぎましたが、特に変化のあったことや、感じたことなどありますか?私もそうでしたが、クリスチャンホームに育った場合、180度の変化があるわけでもなく、際立って信仰が成長したという実感があるわけでもないのですが。
答1 信仰告白をして1年が経ちましたが、自分の中での信仰の成長は感じにくいです。特に日常の変化がなく、遅刻癖が治らなかったり、生活改善の祈りを捧げても守れなかったりと神に謝るお祈りばかりしています。ですが、説教の捉え方と奉仕活動についての考え方は変わったと思います。説教の捉え方については、以前までは説教の反論を探して聞くという現代版ファリサイ派の学者みたいなことをしていましたが、今は疑問もなく説教の内容が頭に入ってきます。問題意識をもって聞くことも大切だと思っているのですが、捻[ひね]くれ者の自分が素直に聞けているのは大事な変化だと思っています。奉仕活動については、あまり嫌がらなくなったことです。教会員として出来る限りのことはしようと思うようになりました。信仰の成長とは呼べませんが、教会の見方が変わった1年だったと思います。
問2 クリスチャンホームに育ったことで、良かったと思うこと、あるいはこれは嫌だったなと感じた点はどうでしょうか?守られている部分と、反対に言い返せば、見張られている(笑)ように感じることはありませんか?若い時私はそんな気になったことがありますが、自分の子供には同じことをしていたと反省します。
答2 クリスチャンホームで嫌[いや]だったということは特にないです。キリスト教に理解ある人が周りには多く、虐[いじ]められたりもせず過ごせてきました。強いていうなら、日曜日朝の特撮が見られなかったことぐらいです。良かった点は優しい大人に囲まれて過ごせたという点です。学生時代に接する大人がほとんど教会員だったので、悪意に晒[さら]されず生活できたと思います。ですが、優しさに守られていると感じる反面、潜在的にキリスト教について考えさせられているとも感じます。どこに行っても宗教に囲まれた生活を送っていたおかげで、自分の将来もキリスト教に関することがしたいと思っていたのですが、いざ実現となると熱意が足りず、何がしたいか分からない状況に陥ってしまいました。小さい頃から続けられた習慣が礼拝しかないと考えた時は、少し悲しかったです。
問3 少子高齢化と言われる今の時代、社会でも教会でも若い人たちへの期待・負担は増す一方で、気の毒だなと思うこともあります。しかしながら、教会は全く別の基準で歩んでいることも真実です。礼拝や交わりの在り方、信仰生活等々について何か希望、アドバイス、不満はあるでしょうか。もしよろしければ、お聞かせ願いますか?若い世代の意見は、これからの教会形成の光だと思っていますから。
答3 私個人としては千城台教会の在り方はとても好ましく思っています。儀式性を重んじるやり方も堅苦しいと思っていた時期もありましたが、今は伝統を尊重するスタイルは良いと考えています。しかし、青年の数が多い他の教会に馴染みにくいところはあります。歌う賛美歌が違うところもあれば、同年代の仲良いグループも出来上がっており、今後の繋がりという点では難しいと思っています。無理に交友関係を増やしても苦しく、最近は教会は信仰を守ればいい場所だと開き直っています。ですが、老人になった自分が誰もいない教会にいることを夢見る時もあるぐらい、将来への不安もあります。不満もなければ、特別に希望がある訳でもないのが現状です。
<編集子より>
今号では、キリスト者家庭(クリスチャン・ホーム)に生まれて幼児洗礼を受け、そして昨年(2022年)の復活節(イースター)礼拝において信仰告白をされたNT兄に、その後の信仰の歩み、現在の心境、今後の展望等について率直に語っていただきました。今回は、ご本人の直接の叙述ではなく、回答を引き出す問答形式の形を採りました。その方が心境を述懐しやすいと思ったからです。なお、[ ]内の仮名は編集子の付加です。NT兄の今後の信仰生活のために、また、後に続く人たちが起こされますように、皆様のご加祷をお願いたします。