毎週日曜日は礼拝の日
千葉県の千城台教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。
- 日曜日 朝の礼拝
- 10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 日曜日 夕の礼拝
- 16時00分~17時00分
- こちらも必要な持ち物は特にありません。朝の礼拝に出席出来ない場合におすすめです。
- 水曜日 祈祷会
- 10時30分から11時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。お仕事などで日曜日に教会に通えない方におすすめです。
主 の 山 に 備 え あ り(2023年度教会標語)(創世記22章14節より)
今年(主の2023年)の教会標語は、創世記22章に記されているアブラハムのイサク奉献物語から取られています。
アブラハムは神に試みられ、大きな試練に遭います―跡取り息子を犠牲として捧げることを命じられて。このときのアブラハムの試練の大きさ、心の苦しさ・辛さは、想像に難くありません。このような命令は極めて非人道的で、理不尽です。後に制定される律法では、それは異教徒の劣悪な宗教的習慣で、イスラエルでは厳禁されます。また、イサクを失えば、神ご自身の約束―アブラハムの子孫が繁栄し、世界が祝福される―が不可能になります。神に自己矛盾はあり得ないはずです。そして、このような行為は当然親子間の愛情の絆に逆行します。
しかし、逆説的ながら、この試練が運命などではなく、神の命令であるがゆえに、またそうであればこそ、神との関係において捉えることができるのです。アブラハムはこの時、どうしていいか分からないがゆえに、苦し紛れにでも、命令するその神に自分を投げかける―委ねる―というような心境と姿勢です。そして結果的には、アブラハムは神ご自身が備えてくださった雄羊を神への焼き尽くす捧げ物として捧げることができたのです。
ここで注目すべき大切な点は、神がアブラハムのために雄羊を備えてくださったのは、彼が神に従順たらんとした時であるということです。そして、神は彼のはるか後の時代、時至って、ご自身の独り子を与え、その御子を犠牲として十字架上に捧げられました。その結果、アブラハムの(霊的な)子孫が全世界に広がることとなったのです。神は決して暴君のように一方的に命令する方ではなく、人間の真の必要を人間以上に知っておられるがゆえに、その必要に備えることがお出来になるのです。
よく「苦しいときの神頼み」と言われますが、世俗的な意味では、キリスト教信仰は無論こうであってはなりません。しかし、言葉の本質的な意味においては、正にこの通りです。キリスト者は八方ふさがりと思えるときにも、神の御旨と信じることを敢えて行うのです―神が何とかしてくださると信じつつ、神に何とかしてくださいと祈りつつ。
キリスト教の教理では、天地創造から終末の完成までの神の支配を「摂理」と言いますが、摂理は英語ではプロヴィデンス」と言われます。これは「予め見る」という意味のラテン語に由来する言葉ですが、神の摂理を適切に表しています。そして、プロヴィデンスに似た綴りの英語プロヴァイドは「備える」「供給する」などを意味します。すなわち、前もって見、知っているがゆえに備えることができる、ということです。神の全知全能がよく表れている言葉です。神の摂理とは正に、神がご自身の民の真の必要を熟知しておられ、それゆえその必要に十分に備えてくださる、ということであります。
私たちの教会がこの年どのような歩みをすることになるのか、誰も完全に知ることはできません。牧師は既に教会規程上の定年を過ぎており、毎年、東関東中会に引退延期の願を出しています。また、少子高齢化はさらに進んで行くかもしれません。しかし、私たちすべての会員がそれぞれに主に対して自らを捧げ、忠実に歩むとき、主は必ず、今我々が知る由もない仕方でご自身の教会を新たに導いてくださり、その一環として後任牧師を与えてくださいます。
ちなみに、新約聖書では、アブラハムのイサク奉献の経験がキリスト者の信仰上の試練と、それを経て与えられる神の祝福(約束の実現)との実例また予型とされています(ヘブライ6:13-15、11:17-19、ヤコブ2:21-23)。私たちも主イエス・キリストにあって神に一層献身しましょう―神が更なる祝福を備えていてくださることを確信して!
(『2023年度年報』より転載。※ 『年報』は現住陪餐会員にのみ配布されますので、他の方々にもお読みいただけるように、季報にも載せました。)
聖餐式の規則的執行の再開!
1月から夕礼拝が再開され、また聖餐式(於 朝礼拝)も1月に3回、今月も3回(伝道礼拝を除く毎礼拝において)執行できるようになりました。主に感謝いたします。御言葉と共に聖餐の恵みに与り、主イエス・キリストの死と復活による救いを正に体感し確信して、主の再臨において実現する御国の祝宴に与ることの先取りとさせていただきましょう!