市川康則より「マタイによる福音書について」

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マタイによる福音書について

マタイによる福音書について

 去る6月12日の主日より、朝礼拝ではマタイによる福音書の御言葉に聴き始めました(それ以前は2年余り、創世記の御言葉に聴いていました)。ここに、マタイ福音書の特徴を要約して記します。毎週の礼拝で説教を聴くことにとって、また個人的にマタイ福音書を読むことにとって、少しでもご参考になればと願う次第です。

Ⅰ.著者

 長らく伝統的に、十二使徒の一人マタイ(別名レビ、かつて徴税人であった人物)と見做されて来ましたが(マタイ9:9、10:3参照)、近・現代の歴史批評的研究家は、主イエスの直弟子ではない、ギリシア語の堪能なユダヤ教からのキリスト教改宗者と見ています。

 全体の使信の核心部分は使徒マタイ自身(主イエスの直弟子で、十二使徒の一人)に遡[さかのぼ]りますが―あるいは、マタイが基本的な部分をヘブライ語ないしアラム語で残したかも知れませんが―彼の弟子たちがそれを継承し、また、既に存在していたと思われるマルコ福音書を枠組みとして用い、そのマルコ福音書と(既に伝わっていた)イエス語録と自分たちの特殊資料とを素材として用いて、今の形態と内容の文書をギリシア語で著述、また編集した、と考えるのが一番自然であると思われます。

 しかしながら、それでも、本福音書の中心的使信とその基本的特徴に鑑み、これを「マタイによる福音書」と呼ぶことは、また、本書の中心的(基本的)な意味での著者をマタイとすることは、全く問題ありません。

Ⅱ.読者(宛先教会)

 本福音書の直接の宛先は、ユダヤ人キリスト者(およびユダヤ教に改宗し、後にキリストを信じた異邦人)が主な成員であった教会であったと思われます。それは、本福音書の一大特徴として、旧約聖書からの引用が多いからです。これは、著者が読者たちの旧約聖書についての知識を前提としており、旧約引用が読者たちにとって有効、有益であると判断しているからです。

 ただ、本福音書が最終的にはギリシア語で書かれていること、教会の内外に回心した異邦人と不信仰なユダヤ人がいて、異邦人宣教がある程度進展していたことが反映していることから、宛先の教会は、ヘレニズム文化(広義のギリシア文化)に浴していた離散のユダヤ人の地域にあったと思われます。

Ⅲ.文献的(文学的)特徴

 1.旧約聖書からの多くの引用

 他の福音書の2倍以上にもなる60回以上に及ぶ、旧約聖書箇所から直接的な引用、あるいは実質的な引用(旧約聖書への明らかな言 及)。

 2.旧約記事への詳細な言及

 旧約聖書の記事や祭儀への非常に詳しい言及、およびそれらの丁寧な活用。

 3.「教会」の語の使用

 他の福音書には出て来ない、しかし、使徒言行録および書簡で多用される「教会」(エクレーシア)の語の2度の使用(16:18、18:17)。

 4.巧みな文体と構成

 文章表現や叙述の構成が巧みであること―<例>(1)キリストの系図の締め括りで旧約の救済史を3等分し、各々を14代としているが(1:17)、3は徹底性・究極性を象徴し、14は完全性を象徴する7の倍数で、完全性を一層強調し、これにより降誕されたキリストの救い主としての絶対完全性を強調している、(2)十字架上の罪状書きの文章「これはユダヤ人の王イエスである」(27:37)は主語と述語動詞を含み、他の福音書よりも一貫した文体となっている。

Ⅳ.中心的神学思想(マタイに固有ではないが、顕著なもの)

 1.旧約預言の成就としてのイエス・キリストの到来と働き

 神の国はナザレのイエスの人格と働きにおいて到来し、原理的に成就した―「インマヌエル(神は我々と共におられる)」の預言の成就。

 2.唯一、真の王なる主イエス

 <例>(1)降誕記事における「ユダヤ人の王」としての誕生、(2)山上の説教(王座への着座と王命の宣言)、(3)十字架の罪状書きにおける「ユダヤ人の王」、(4)復活後の山上における弟子たちへの顕現および弟子たちの跪拝[きはい]、(5)万国民のキリストの弟子(家臣)化としての宣教命令(王命)。

 3.神の国の歴史的進展における教会の不可欠的意義

 教会は神の国の地上的現臨の中心的しるしであり、天の国の鍵を授けられている。

 4.教会の建設・形成におけるキリスト告白の中心的位置

キリストの実存的な問いかけ―「あなたは私を誰と言うか。」

 5.主イエスによる律法の成就

 律法は元来、神の民に命を得させるための神の意志であり、権威あるものである。主イエスはそれを成就し、恒久的に確立された―福音としての律法。

 6.十二弟子の召命と派遣

 使徒たちは神の国の終末的成就の確信と待望の内に世界宣教に召され、派遣されたが、世々のキリスト教会はその働きの結実であり、同時にその働きの担い手とされている。

毎週日曜日は礼拝の日

千葉県の千城台教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。

日曜日 朝の礼拝
10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜日 夕の礼拝
16時00分~17時00分
こちらも必要な持ち物は特にありません。朝の礼拝に出席出来ない場合におすすめです。
水曜日 祈祷会
10時30分から11時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。お仕事などで日曜日に教会に通えない方におすすめです。

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