毎週日曜日は礼拝の日
千葉県の千城台教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。
- 日曜日 朝の礼拝
- 10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 日曜日 夕の礼拝
- 16時00分~17時00分
- こちらも必要な持ち物は特にありません。朝の礼拝に出席出来ない場合におすすめです。
- 水曜日 祈祷会
- 10時30分から11時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。お仕事などで日曜日に教会に通えない方におすすめです。
キリストにあって互いに仕え合う
(新約聖書・フィリピの信徒への手紙2章6-11節)
2022年度教会標語から
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」(フィリピ2:6-11)。今年の教会標語の基となった御言葉です。
キリストの体と言われる教会は、その名の通り、各部分が自分の役目を果たしつつ、全体として調和を保っていなければなりません。各信徒は自分の務めをよく果たさなければなりませんが、ただ自分だけが働けばよいのではありません。一定の秩序の中で他の兄弟姉妹全員の働きと調和していなければなりません。そうでなければ、自分の働きの優越性を強調したり、自負したりして、かえって人間関係が悪化し、教会の健全な成長・前進を妨げかねません。
使徒パウロはフィリピの教会の信徒たちに互いの謙遜を勧め、その根拠として、主イエス・キリストご自身の謙遜(十字架の死)と父なる神による高挙(復活・昇天)を説きました。それは単にキリストを模範とするとか、キリストに見習うという程度のことではありません。パウロの勧めは、復活し昇天して、神の右に着座された―高きの極みにおられる―キリストを、信徒が皆で一緒に崇(あが)める、礼拝するということです。それがキリストにある根本的な互いの関係であることを、明確にしているのです。
神が人となるという思想は古来普遍的ですが、それらは皆、人を支配したり、人に教えたりする、つまり上に立つ者として人となった神(々)です。しかし、キリストは罪人の犠牲となる、すなわち身代わりに裁かれるために、人となられました。正に、低さの極みです。しかし、このようにできる神こそ、本当の―「神」の名に値する―神であられます。二人三脚の競技では、足の速い人が遅い人に合わせられますが、その逆はできません。キリストは、神の御子、すなわち父なる神と同質・同等の方(つまり神)であられますが、そうであればこそ、真の人間となり、低さの極みである十字架上に死ぬことさえお出来になったのであります。
キリストは地上の生涯において十字架の死に至るまで父なる神に信頼し、服従して、これによって神の御心(罪人の贖い)を実現されました。そして、これに対する神の祝福の報いが、復活と昇天でした。この高く挙げられたキリストに対して私たちができること、なすべきことは、身を低くして礼拝することです。私たちはみんなで、一緒になってキリストを礼拝することによって、互いに謙遜になることができるのです。そして、これが教会の健全な形成と前進の基となるのです。
この一年、聖霊なる神様の御導きの下に、この御言葉に励まされ促されて、一緒にキリストを礼拝しつつ、互いに仕え合いましょう。そして教会の一致と成長を目指しましょう。
2022年の展望
今年も年初からコロナ禍が拡大し、特に、昨年発生した新種のオミクロン株による感染が猛威を振るっています。先行きが見えず、不安が募る日々です。しかし、このような時にこそ、天地の創造者である神様が人間と自然界の真の支配者であられることを確信しましょう。この信仰を持って、この一年を過ごし、教会としての、またキリスト者としての歩みを続けたいと願います。そして、可能な限り、適切な仕方で、礼拝を始め諸集会を持ちたいと思います。みのり会、女性の会、青年会も、例えば第一礼拝と第二礼拝の間に行う、あるいは各礼拝の後にその礼拝の出席者によって行うなど、無理のない仕方で再開できないでしょうか。
特に、聖餐式は可能な限り励行したいと願います―すぐに毎週でなくとも、適切な方法で。
さらに喫(きっ)緊(きん)の事柄として、牧師が既に定年を過ぎており、後任の牧師を招聘しなければなりません。牧師招聘委員会の働きのために、神様の御導きを祈り求めて行きましょう。
(※ 2022年度の『年報』より、一部変更、短縮して転載)