別の道を通って帰る
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- 安崎嗣穂 神学生
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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 2章1節~12節
2024 年8月4日秩父教会主日説教「別の道を通って帰る」
序
皆様初めまして。神戸改革派神学校から来ました安崎嗣穂と申します。1 か月という短い
間ですが、お世話になります。未だ修行中の身ですので、お気づきの点は何でもおっしゃっ
ていただけると助かります。この夏期伝道の間は、マタイによる福音書からキリストのご生
涯について皆さんと共に学びたいと考えています。さて、先ほどお読みしました箇所は、キ
リストがお生まれになった時のことを描いた箇所です。大変有名な箇所ですので、キリスト
教になじみのない方でもご存じではないかと思います。本日はこの箇所から、御言葉に聞い
てまいりたいと思います。
本論①
まずはこの箇所のあらすじを確認しましょう。キリストがお生まれになったのは現在のイ
スラエル国の領土です。当時そこはユダヤと呼ばれていました。そこはローマ帝国の支配下
にあり、ローマ帝国が認めた王であるヘロデ王が支配していました。さて、キリストがお生
まれになった時、一つの星が上ったようです。2節で、占星術の学者たちが「東方で星を見
た」と言っています。この言葉は「星が上るのを見た」とも訳せます。そして占星術の学者
たちはその星を頼りにしてはるばるユダヤの中心地、エルサレムまでやってきました。そし
てヘロデ王に、新しいユダヤの王はどこにいるのかと尋ねました。ここまでが、まずは一つ
の場面です。
占星術の学者たちの問いを聞いて、ヘロデ王は不安になりました。実はヘロデ王は自分が
ユダヤを治める正統性を持っていないことを知っていたのです。彼は先祖代々王だったわけ
ではありません。彼の父は前の王朝の家臣でした。それがたまたま流れに乗って前の王朝を
乗っ取る形で王になったのです。そのため、ヘロデは自分の地位が脅かされる不安にいつも
悩まされていました。自分が前の王朝を乗っ取ったように、自分の王朝も乗っ取られるかも
しれない。そんな不安に、彼はずっと悩まされていました。そしてその不安の赴くところ、
ヘロデは多くの虐殺を行いました。最終的には、自分の地位を脅かすものとみなして自分の
妻や息子すら殺しました。そのようなヘロデにとって、新しいユダヤの王が生まれたという
知らせは不安をもたらすものでした。また、エルサレムの人々も新しい王の誕生という知ら
せに不安を抱きました。エルサレムはヘロデのおひざ元です。ですから、そこに住む人々は
ヘロデの恐ろしさをよく知っていました。この知らせでまた何か騒ぎが起こるかもしれない。
いやきっと起こるだろう。彼らはそのように考えて不安になったわけです。ここでこの場面
は終わります。ヘロデとエルサレムの人々がそれぞれ不安を抱いたということがこの場面の
ポイントです。
次の場面では、彼らがその不安に基づいてどう振舞ったかが記されています。ヘロデは祭
司長たちや律法学者たちを呼び寄せました。おそらくヘロデは占星術の学者の言う新しい王
が預言されていたメシアであることに気づいたのでしょう。そのため、そのメシアがどこで
生まれることになっているかを確認しようと思ったわけです。祭司長や律法学者は預言から、
メシアはベツレヘムというところで生まれると確認します。確認が終わると、ヘロデは陰謀
を巡らせます。ベツレヘムで生まれたその子供を早いうちに殺してしまおうというのが、そ
の陰謀です。ヘロデは占星術の学者たちに、帰り道で自分の所に立ち寄って子供のことを知
らせるようにひそかに頼みます。できるだけ早くその子を特定して殺そうとする意図がここ
に現れています。これが、ヘロデが不安に駆られてとった行動でした。そして、占星術の学
者たちはベツレヘムに旅立ちます。この時、占星術の学者たちについていく人は誰もいませ
んでした。ヘロデの家来たちは、余計なことに巻き込まれたくなかったのでしょう。占星術
の学者たちと共に行けば、後日ヘロデからなんと言われるかわかりません。お前は新しい王
を拝みに行ったのかと問い詰められて、殺される恐れもあります。エルサレムの人々は不安
に駆られ、自分の身を守ることにしたのです。ここでまた場面が変わります。
占星術の学者たちを導く星が再び現れ、彼らを導きます。そしてキリストのいらっしゃる
家の上で止まります。占星術の学者たちは家に入り、新しい王を拝むことができました。そ
して彼らはこのために持ってきた捧げものを王に捧げます。黄金、乳香、没薬がその捧げも
のでした。そして彼らは帰路に就くわけですが、その前に夢でお告げがありました。そのお
告げの内容は「ヘロデの所へ帰るな」というものでした。彼らはこのお告げに従って違う道
を使って帰りました。こうして、キリストはヘロデの陰謀から逃れることができました。
以上が、本日の箇所のあらすじです。この話のあらすじはとてもシンプルです。それ故に、
皆様もご覧になったことがおありでしょうが、よくクリスマスの劇に用いられます。その際、
いろいろな設定が付け加えられることがあります。例えば、占星術の学者たちは劇ではだい
たい博士と呼ばれ、三人であると言われます。しかし、占星術の学者たちが何人いたかは聖
書から確認できません。学者たちと複数形で語られていますから、一人ではないようです。
しかし、厳密に何人なのか、特定することはできません。彼らが一体どのような人だったの
か、聖書からわかることはごくわずかです。
本論②
彼らは占星術の学者です。このことから二つのことがわかります。一つ目は彼らがユダヤ
人ではないということです。彼らは東の方から来たと1節に書かれています。ですが、それ
だけでは事情があって別の国に住んでいるユダヤ人だったかもしれません。しかし、占星術
の学者であるならば、彼らはユダヤ人でないと言えます。占星術はユダヤ人にとって、やっ
てはならないことだからです。申命記では4章で星に惑わされてはならないと言われていま
す。同じく18章で占いをしてはならないと言われています。このように、占星術はユダヤで
は禁じられていました。ユダヤ以外の国では、この当時占星術は非常に盛んでした。戦争な
どの国家の重大事は占星術で決められていました。しかしユダヤ人にとって、占星術は神の
御心を試そうとすることであり、禁じられていました。ですから、占星術の学者たちはユダ
ヤ人ではあり得ません。そしてもう一つのことは、先ほど確認したことに含まれています。
先ほど確認しました通り、ユダヤ以外の国では占星術は盛んにおこなわれていました。国家
の重大事を決める、そんな役割が占星術にはありました。ですから、占星術の学者たちは彼
らの国では高い地位を占める人間だったのです。今日の言葉で言うと政府のブレーン呼ばれ
るような人たちだったのではないかと思います。
彼らは一体、どこの国の人だったのでしょうか。東の方であるというだけで、はっきりと
は語られていません。ですが、彼らはユダヤ人に与えられた預言をおぼろげに知っていたと
考えられます。新しい星を見つけた時、ユダヤ人の王が生まれたと彼らは思いました。更に、
彼らはエルサレムに入ってユダヤ人たちに意見を聞きました。ユダヤ人に与えられた預言を
おぼろげに知っていたからこそ、彼らはこのような行いをしたのでしょう。ですから、彼ら
の国はユダヤ人と交流があるそんな国ではないかと想像できます。ユダヤは小さな国でした。
近隣の多くの国からユダヤは圧迫を受けていました。占星術の学者たちの祖国はかつてユダ
ヤを圧迫していた国なのではないかと考える人もいます。そこまで言えるかどうかは分かり
ませんが、とにかく彼らは旧約聖書で言う異邦人です。神に選ばれたイスラエルの民ではな
い人々です。
そのような彼らが、はるばる旅をしてわざわざ新しいイスラエルの王に会いに来ました。
その一方で、ユダヤに住む人々はどうだったでしょうか。祭司長たちや律法学者たちは、メ
シアが生まれることを知っていました。それだけでなく、メシアが生まれる場所もはっきり
と知っていました。先ほど、占星術はユダヤでは禁じられていたと確認しました。占いなど
を用いずとも、神はユダヤ人には直接語り掛けられるからです。祭司長たちや律法学者たち
はその神の直接の語りかけの記録を持っていました。それはつまり旧約聖書の預言です。6節
で引用されているのはミカ書5章1節の言葉です。祭司長たちや律法学者たちは、この言葉
をはっきりと知っていました。しかし彼らは占星術の学者たちとは違って新しい王を捜そう
とはしませんでした。彼らは御言葉を知っていても、それを自分のこととして考えていなか
ったのでしょう。彼らには占星術の学者たちのような熱心さが欠けていました。本日の箇所
は占星術の学者たちとユダヤに住む人々をはっきりと対照的に描いています。3 節で、ヘロ
デ王とエルサレムの人々は不安を抱きました。一方 10 節で、星を見た占星術の学者たちは
喜びにあふれました。ここに、ユダヤの人々と占星術の学者たちの違いがはっきりと描かれ
ています。
結論
11 節に書かれていることは、よく考えれば驚くべきことです。占星術の学者たちがひれ伏
してキリストを拝んだと書かれています。これは驚くべきことです。彼らは異邦人です。し
かも、神がユダヤ人には禁じておられる占星術を仕事にしている人々です。にも拘らず、マ
タイによる福音書においにおいては彼らが最初にキリストを礼拝しているのです。神に選ば
れた民であるユダヤ人の祭司長たちや律法学者たちはメシアの誕生を知識として知っていま
した。しかし彼らはその預言を深く考えようとせず、この時キリストを礼拝することができ
ませんでした。占星術の学者たちがキリストに捧げたのは黄金、乳香、没薬でした。この贈
り物についても様々な解釈が考えられています。つまり、これらの贈り物が一つずつ意味を
持っていると考えられることがあります。勿論、それも教会が積み重ねてきた解釈です。し
かし、カルヴァンはここでもっと根源的なことに目を向けています。わたしたちに求められ
ている真の神礼拝がここに象徴されているというのです。占星術の学者たちはまず自分を、
そしてその後に自分が持っているものをキリストに捧げた。これこそ、わたしたちに求めら
れている真の神礼拝の在り方だとカルヴァンは言います。異邦人である占星術の学者たちが、
この時真の神礼拝を行っていたのです。
12 節も、大切なことを示しているように思います。ここで、ヘロデの所へ帰るなという神
のお告げが彼らに知らされます。しかも、夢でそれが知らされたのです。ここまで、彼らは
自分の仕事である占星術を行っていました。9 節にあるとおり、キリストがいる家まで彼ら
を導いたのは星でした。しかしここでは占星術ではなく夢で神の御意志が知らされます。そ
して、この夢での知らせというのはマタイによる福音書によく登場します。本日の箇所に先
立つ1章の18節以下にも、夢によるお告げが出てきます。この時夢で神の御意志を示され
たのは、キリストの母マリアの夫ヨセフでした。つまり、2章の12節ではユダヤ人に対する
のと同じ仕方で神は占星術の学者に御意志を告げられたのです。異邦人である彼らが神から
直接語り掛けられることになったのです。かれらは彼らはもはや占星術に頼らなくてよくな
ったのです。神が禁じておられる占星術などに頼らなくても、神の御意志を直接知ることが
できるようになったのです。異邦人である彼らが、ユダヤ人と同じことができる存在へと変
えられました。そして、彼らは別の道を通って自分の国へと帰りました。このことは彼らが
以前とは違う人間になったことを象徴しているのではないかと思います。真にキリストに出
会った人間は、もはやそれまでと同じ道を歩むことなどできません。彼らは自分の国へと帰
るわけですから、その意味では何も変わっていません。しかし、彼らは違う道を歩む人間へ
と変えられたのです。
本日の箇所が語っているのはこのことだと思います。キリストに出会う人間は変えられる
ということです。占星術の学者たちは、キリストとの出会いによってもはや占星術を必要と
しない人間へと変えられました。彼らはそれまで占星術に頼っていました。占星術の学者と
してのプライドなどもあったでしょう。自分は国家の重大事にもかかわるんだとそのように
思っていたことでしょう。しかし、かられはキリストに出会い、占星術をもう必要としなく
なったのです。キリストに出会ったなら、それまで大事にしていたものはもはや必要なくな
るのです。私自身もこのような恵みの中にいるものです。私はクリスチャンホームに生まれ
ました。両親が二人ともクリスチャンです。しかし、私は決して熱心に教会に通っていたわ
けではありませんでした。占星術の学者たちのように、この世で評価されることをしたいと
思っていました。そのため私は成績にこだわり、他人と競い合うことに喜びを見出していま
した。しかし、神はそのような私にも語り掛けてくださいました。残念ながら、私はすぐに
変わることができたわけではありませんでした。それでも、神は私をお見捨てにならず、根
気よく私を導いてくださいました。そして私は自分でも想像できませんでしたが召命を与え
られ、神学校で学ぶことが許されました。皆さんも、このような驚くべき神の恵みを経験し
たことがおありかもしれません。占星術の学者たちはキリストと出会い、別の道を通るもの
に変えられました。私たちと出会い、わたしたちを新しい道へと導いてくださる神の恵みを
覚えてこの一週も歩みましょう。お祈りをいたします。