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2024年03月24日「初めの愛」

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日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 20章1節~10節

原稿のアイコンメッセージ

「初めの愛」
 ヨハネによる福音書21:1-10                     
2024年3月24日(日)
1.残された亜麻布
2.初めの愛
I.残された亜麻布
 死が死で終わることはない、死の向こうには永遠の命があると言われたお方が十字架で死なれました。ラザロを死から甦らせることができたお方が亡くなられたのです。弟子達にとって、またイエスと共に歩んできた、マグダラのマリヤはじめとする女達にとってもそれは、ショッキングな出来事でした。しかし、イエスは死に打ち勝たれてお甦りになられました。今日は、イエスの復活の御言葉について、ご一緒に御言葉に聞いて参りたいと思います。
イエスの復活の出来事は、四つの福音書に全て出てまいります。その描き方は、四つの福音書とも、少しづつ違う訳ですが、四つの福音書に、共通しているところがあります。それは、「墓が空っぽだった」ということと、復活したイエスが弟子達にお姿を現わされたということです。
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た」(ver1)。
 厳密に言えば、ヨハネの福音書には、墓に石が立てかけてあったという記事は出来ません。しかし、「ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った」(マタイ27:59-60)。と、聖書は言っていますように、イエスが死んだときに、その墓の前に大きな石が置かれ封印されたということは、当時皆知っていることでした。そして、今日の御言葉で「わたしたちには分かりません」(ver2)。と、複数形で言われておりますから、今日まず、一番最初に墓に行ったのは、マグダラのマリヤだけではなくて、他の女性たちも一緒にイエスの墓に行ったことが分かります。そして、墓で彼女達が見た物は何だったのでしょうか。
「そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」(ver2)。聖書が語っておりますように、それは、「空っぽの墓」でした。その話を聞いた弟子達が、急いで墓に向かいました。「そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた」(ver3-4)。
ペトロともう一人の弟子、「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」(ver2)。これは、最後の晩餐の席上で、ユダの裏切りをイエスが弟子達に告白する時に、 「イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた」(ヨハネ13:23)。
と言われている、ゼベダイの子のヨハネ、この福音書の記者ヨハネが、ペトロと共に、墓に走って行ったのでした。ヨハネの方が、このとき、ペトロより若かかったので、ペトロより先にイエスの墓に到着しました。新改訳では、ヨハネの方が足が速かったのでと言っていますが、ペトロは、この直前にイエスを三回も否定してしまっている訳ですから、もしかすると、そのことが気にかかって、気おくれしてしまったのかもしれません。いずれにしてもヨハネが先に墓に着きました。しかし、墓の中を覗いただけで中に入らずに待ち(ver5)、そのすぐ後に到着したイエスの一番弟子であったペトロに墓に一番最初に入ることを譲りました(ver6)。
「身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」(ver5-8)。
亜麻布というのは、白く長い包帯のようなもので、それで遺体をぐるぐる巻きにしたのでした。これは、「布」(ルカ19:20)、手拭い(使徒19:12)とも訳することができて、ラザロが甦ったときの、顔覆い(ヨハネ11:44)と同じものです。
 ところが、その亜麻布が置いてあったのです。顔を覆っていたものは、更に離れた所に丸めてあったのです。イエスは顔と体に巻かれた、布だけを残して、ぱっと消えてしまわれたのです。イエスは、甦られたのです!!
しかし、イエスの復活を認めない人の間では、イエスの復活を否定するために、ここから様々なことが言われているのです。
それは第一に、マグダラのマリヤはイエスに会いたい一心だったので、イエスの幻を見たのだというのです。しかし、そうでしょうか。マグダラのマリヤは、「墓の入り口から、あの大きな石を転がしてくれるでしょうか」(マルコ16:3)と話しながら、墓に行っているのです。しかも、彼女はイエスの遺体の処理をする油を塗るために墓に行ったのです(マルコ16:2)。イエスが甦ることなど、これっぽっちも考えてはいなかったのです。つまり、イエスの死を諦めてしまっていたのです。会いたい一心ならば、幻を見ることもありましょう。しかし、諦めて墓に行ったにも拘らず、マグダラのマリヤは復活のイエスに出会ったのでした。
次に考えられたのが、イエスは実は完全に死んでいなかったということです。半死のまま墓に葬られて墓の冷たい空気で、蘇生したのだというのです。しかし、これはあり得ないことです。イエスは十字架で亡くなられたときに、兵士が脇腹を槍で刺しているのです。そうすると血と水が出た、これは死んでいる証拠だそうです(ヨハネ19:34)。しかも、念には念を入れて、絶命させるために、兵士がすねを折るために十字架までやってきたのです。しかし、既にイエスは死んでいたので、すねを折る必要もなかったのです(ヨハネ19:33)。しかも、本当に蘇生したならば、ちょうどイエスによって甦らされたラザロが包帯をぐるぐる巻にして墓から出てきたように、イエスも亜麻布を巻かれたままの姿で墓から出てくるはずです。しかし、亜麻布も顔覆いも置いたまま墓からイエスが出てきたのですから、これもまた考えられないことでした。
そして次に一番考えられたのは、誰かが来て死体を盗んだということです。これには幾つかの可能性がありました。まずは、墓荒らしの存在です。この時代、高貴な人の墓を荒らして、金品を盗み去る、墓荒らしの存在がありました。しかし、イエスの生活を見れば、高価な金品など身につけている訳はないということは明らかなことですから、これはあり得ないことです。
当局者達が来て、遺体を盗むということも、復活が一番あってほしくないのが、彼らですから、論理的にはあり得ないことです。
「そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい」(マタイ28:12-13)。
 と聖書が言っておりますように、イエスの復活を否定するために、弟子達が来て盗んだという噂をながさせたほどでした。ですから、これもあり得ないことです。
一番可能性として考えられたのは、弟子達が来て盗んだということでした。しかし、弟子達が来て死体を盗まないように、祭司長たちとファリサイ派の人々は、綿密に打ち合わせをして、石で封印して、兵隊を番兵として付けたのでした(マタイ27:62-66)。番兵は命がけで墓を守りました。しかも夜陰に乗じて番兵の目を盗んでイエスの死体を盗むならば、何故、亜麻布を、顔覆いをわざわざ畳んで置いていくのでしょうか。一刻を争って死体を盗むならば、そのまま担いで出て行くしかないのです。
そして、イエスの復活を抜きにして、何よりも説明することが出来ないのは、弟子達の大きな変化でした。イエスが本当は死んでしまったとするならば、どうして、彼らは復活のメッセージを語ることができるのでしょうか。「おおい、ペトロ、イエス様匂って来ちゃったよ」何て言いながら、どこかにイエスの死体を隠して、復活のメッセージを語るなんて言うことはあり得ないことです。
また弟子達は、イエスの十字架の死によって打ちひしがれていたにも拘らず、何故180度変えられて、多くの人々に福音を伝えることができたのでしょうか。自分たちに迫害の手が及ぶことを恐れて、息を殺して、戸を閉めて、隠れていた弟子達が、何故イキイキと変えられてしまったのでしょうか。どうして最後にイエスのために、弟子達は殉教の死を遂げる事ができたのでしょうか。それは復活のイエスに出会ったからです。
残された亜麻布、これこそがイエスが死からお甦になられた、動かし難い証拠なのです。
アメリカの優れた将軍で、天才的な天文学者として有名な、ルー・ウォーレスいう人がいました。彼は過激な無心論者で、大学を始め様々な所で無神論的な講演をして、人々に影響を与えておりました。ある時彼は、数人の友達に一つの誓いを立てました。「私はキリスト教を抹殺してしまうために、キリストを否定する一冊の本を書く」それからの5年間というもの、どれほど、ルー・ウォーレスが夢中になってキリスト教を研究したかを、彼は後になって述べています。彼はキリストが生きた、イスラエルに飛び、キリストに関するありとあらゆる研究をしました。ヨーロッパ、アメリカの殆ど主要な図書館を巡って、キリスト研究を重ねました。こうして5年間が過ぎていきました。やがて彼は、山のような資料に囲まれて、キリスト撲滅論の第一章を書き始めました。彼の心の中には、キリストへの激しい憎悪が渦巻いておりました。第二章を書き進んでいたある夜のことでありました。突然彼は、ペンを投げ出して、椅子から崩れ落ちました。跪いた彼は、両手を組むと、イエス・キリストに向かって、叫んでおりました。「わが救い主よ、わが神よ。」十字架に釘付けにされながらも、「父よ彼等をお許し下さい。彼らは何をしているのか、自分でわからないのです。」と、祈り叫ぶキリストの声が、ずーと、ルー・ウォーレスを悩ませ続けておりました。
もう一つが復活の出来事でした。3日目にキリストの墓から死体が消えてしまいました。それを境にして、弟子達の中に一大変化が起こっています。あの臆病とも思えるおどおどとしたキリストの弟子達が、大胆不敵になりました。山をも崩しかねないほどのエネルギーを爆発させて「キリストが復活した」と叫び始めました。考えられない大逆転であります。彼らはキリストの復活の説教に文字通りに、命を掛けていきました。炎も、剣も、獅子の牙も最早彼らは恐れませんでした。こうして、30年、40年と弟子達の証言活動は変わることなく、遂には、全員が殉教の死を遂げて行きました。
この復活の出来事がルー・ウォーレスを苦しめ続けました。そして、この夜、彼は突然に、キリストが救い主であり、神であることが分かったのであります。それは一瞬にして目が開かれるような経験でした。とにかく、彼の心は素直になって、キリストを信じることができるようになったのでありました。
クリスチャンになった彼は、今までの原稿を破り捨てました。そして、新しくペンを握りなおしました。そこで書かれたものこそが、キリストの時代を扱う文学作品としては、比類のない最高傑作と呼ばれている、あの「ベン・ハー」だったのであります。
彼は、自分の中に経験した奇跡とも言えるその出来事を、キリストと同時代に生きる、ベン・ハーに託して発表したのであります。
恨みと憎しみに燃える、ベン・ハーが、ただただ復讐の鬼と化して、エルサレムの郊外をさ迷っていました。丘に向かって急ぐ人々に出会い、後をついていくと、丁度一人の男が、荒削りの生木を組んだ、十字架を背に、ヨロヨロと引かれていくところでありました。ローマの兵隊の鞭が唸りを上げます。飛んでくる石がその顔に当たり、鈍い音をたてます。性も根も尽き果てたその男には、憔悴の色がありありと浮かんでおりました。
やがて男は、十字架の上に押し倒されて、両手、両足に鉄棒のような、太い犬釘が打ち込まれました。そして、十字架が丘の上に、垂直に立てられます。一瞬のざわめきに続いて再び重い沈黙がありました。その時でした。十字架の上からの絶叫が人々を、ギクリとさせました。「父よ彼等をお許し下さい。彼らは自分で何をしているのか分からないのです。」
この祈りにやがて、ベン・ハーの心は溶かされていきます。そして、敵であった、メッサラへの復讐心から解放されて、ベン・ハーは自由を獲得します。それは、憎しみ煮の束縛から愛の自由への解放でありました。
イエスの復活こそが、はあなたに命を与え、あなたを新しくするのです。

II.初めの愛
「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った」(ver9-10)。
 さて、この御言葉にご一緒に聞いて、終わりたいと思います。これは矛盾したような御言葉です。この弟子はイエスの復活を見て、信じたのです。復活のイエスにまだ出会ってはいなかったのですが、残された亜麻布を見て、この弟子はイエスの復活を信じました。この弟子はトマスにイエスが求められたように見ないで、信じたのです。なのに、この弟子はまだ、復活についてのイエスの御言葉、例えば詩篇16:10-11等をまだ理解してはいなかったのです。おそらく、彼らはこのときに、確かにイエスの復活を信じたのだけれども、その意味をまだ理解することができなかったということだろうと思います。
  「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(20:31)。
 この弟子は、空っぽの墓を見て、イエスが救い主であり、イエスがお甦りになられたことを信じました。しかし、それが、旧約聖書がずっと語ってきたことであると、聖書全体の知識の中で、旧約聖書の預言の中で起こった復活の出来事であるというところにまでは、この弟子はまだ至っていなかったのです。それほど、まだ不十分な聖書知識しかなかったのです。
さて、ここで大切なことがあるのですが、それは、このときに、イエスの復活を見て、そして、信じたのは、「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」(ver8)。で、言われておりますように、もう一人の弟子と呼ばれた、ヨハネだけなのです。厳密に言えば、この時にペトロはまだ信じていないのです。
「しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った」(ルカ24:12)。
 これはあまりにも有名なことですが、ペトロはこの時点で、イエスのご復活を驚きながら帰って行っただけで、この時点ではまだ信じてはいなかったのです。ペトロとヨハネという二人の弟子が、同じ話をマリヤから聞き、急いで墓に飛んで行って、同じ光景を目撃しました。
しかし、信じたのは、一番弟子のペトロではなくて、もう一人の弟子と言われたヨハネだけなのです。
ペトロは真っ先に墓に入り、ま近に残された亜麻布という光景を見にも関わらす、信じませんでした。しかし、先に着いた、「イエスの愛しておれた、もう一人弟子」、ヨハネは墓の中に入らず、外から覗いただけだけれども、イエスの復活を、イエスを信じたのです。
この後、ガリラヤ湖で、復活のイエスに弟子達が出会った時にも、まっ先にペトロに、主だと言ったのは、 「イエスの愛しておられたあの弟子」(21:7)、ヨハネだったのです。
 この福音書は、いつでも、イエスの愛しておられた弟子が、一番早く墓に着き、一番早くイエスを信じて救われ、一番早く復活のイエスを認めたのだと言っている訳です。
 では何故、ヨハネは、一番早く墓に着き、まだ不十分であったとしても、一番早くイエスを信じて信仰に入り、一番早く復活のイエスを認めたのでしょうか。
それは、ヨハネが、イエスが愛しておられたもう一人の弟子だったからなのです。彼は自分がイエスに愛されていたということを、深分かっていたのです。ですからこの福音書は、愛の福音書であり、ヨハネは愛の使徒であるといわれておりますが、彼は自分がイエスによって愛されていたということを、誰よりも深く認識しておりましたので、自分のことを、ヨハネと言わずに、イエスが愛しておられたもう一人の弟子と言って憚らなかったのです。
 ヨハネが、この福音書を記しましたのは、イエスの復活から60年も後の、自分が90歳ぐらいの頃であるといわれています。AD1世紀前後です。彼は、この福音書をしたため、自分の信仰を思い返したときに、いつも、ここに、イエスの復活の出来事に立ち返らざるをえなかったのです。
 嗚呼あのとき、僕は初めてほんとの意味でイエス様を信じたのだ。後になって考えてみたら、確かに聖書の体系的な理解はまだ不十分だったけれども、あの復活が旧約聖書の預言の成就であることはわからなかったけれども、あの時、イエス様が僕の救い主であることが分かったのだ。あの復活が僕のためであることが分かったのだ。ヨハネは、自分の救いを振り返るときに、いつも、いつも、このイエスの「空っぽの墓」、お甦りの出来事に、立ち返って行ったのです。そして、何度も何度も、自分が愛されて行ったその恵みに感謝していったのでした。
「わたしに聞け、正しさを求める人/主を尋ね求める人よ。あなたたちが切り出されてきた元の岩/掘り出された岩穴に目を注げ」(イザヤ51:1)。
 私達が長い信仰生活の中で、戻るべきは、この切り出された元の岩、掘り出された岩穴、「イエスの初めの愛」です。こんな自分をイエスが愛して下さったという、初めの愛であります。イエスに愛された、これが信仰の原点です。
しかし、長い、長い、信仰生活の中で、私達はこの愛を忘れてしまうのです。そして、信仰生活に行き詰まりを感じてしまうのです。そうして、何とかしようと、ある人は特別な聖霊体験を求めようとします。ある人は学問的に聖書研究をして、ある人は神学を勉強するのです。しかし、皆さん、ある種の聖霊体験という物を私達は、決して不偏化することは出来ないのです。それを全ての人に当て嵌める事は出来ないのです。
また、勿論神学をすることは当然です。神とはどのようなお方か、イエスが私達のために何をして下さったのか、聖霊とはどのようなお方か、人間の罪とは何か、これらは、自分の救いの体験と喜びだけでは絶対に語れません。これらを神学的に理解しなければ、厳密に言えば、福音は伝えられないのです。
また聖書の一部分を強調することは、結局は聖書の全体性を否定することになってしまいますから、私達は聖書を体系的に勉強しなければなりません。
しかし、ヨハネはイエスを、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」(ver9)時に信じたのです。難しい聖書のことを全ては分からなかったけれども、彼はイエスの愛が分かり、その愛に答えたのです。
まだ聖書の事が良く分からないので、分かったら信じますという人がいます。しかし、聖書はどんなに学んでも極め尽くす事が出来ませんから、聖書が分かったら信じますという人は、何処まで行っても信じる事が出来ないのです。
大切なことは、唯一つです。それは、イエスの愛に、愛をもって応答することです。
クリスチャンであったとしても信仰生活は行き詰まることがあるのです。躓いてしまうことがあるのです。立ち尽くしてしまうこともあるのです。しかし、その時に大切な事は、「初めの愛」に立ち返ることなのであります。あなたの切り出された岩、掘り出された穴に立ち返ることです。あなたを愛して下さった、イエスの愛に立ち返ることなのです。
 ●赤い布
 ある牧師が汽車に乗りました。そこには一人の青年しか乗っていませんでした。 彼は青ざめた顔に大言いようもない不安を漂わせて、車中を行ったりきたりして落ち着かなかったそうです。牧師は何か助言でもしてあげようと、彼のもとに行って話しかけました。しかし、 青年は何も応えようとは致しません。それでもしきりに心配がつのってくるとみえ、やがて牧師に話しかけはじめたのでした。「ぼくは長い間、自分の我儘から家出していましたが、もう精根尽き果ててしまいました。それで、ぼくが安らぐことのできる唯一の場所は、家族のいる家しかないことがわかったのです。父に帰宅を許してくれるように手紙を書きましたが、しかし、何の返事ももらえませんでした。それで、今度は母に手紙を出しました。
『返事を頂かない内に帰りますから、もし許してくださるなら、線路の端にあるリンゴ畑の木に赤い布をつけておいてください。もし赤い布が見えないときには駅に降りないで、ぼくはそのままどこか遠くへ行ってしまうことにします』
 あと少しで駅になりますが、母の返事を見るのがとても怖いのです。赤い布がなかったら……と思うと……」この 牧師は彼に代って見てやることにした。青年はリンゴ畑に近づくと牧師に知らせ、自分は顔をうずめてしまいました。
 するとどうでしょう。リンゴの木には、赤い布がはためいていたのでした。それも、我が子が見落としてはいけないとの親心から、畑の中の木に何十枚と、まるで一面に花が咲いたようにひらひらとひるがえっていたのでした。

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